第30話

 俺たちは港町で話していたように、二手に分かれた。片やSOS団、片や佐々木の一味だ。


「涼宮ハルヒを見つけたら、互いにこの港町に連れて来よう。ここは獣や魔物がいないなら安全だ」


 佐々木の提案に俺たちは全面的に同意し、各々のハルヒ探しを始めた。


「さあて、俺たちはどうします。朝比奈さん?」


 とりあえずハルヒがいないことだしと、俺は副団長の古泉を差し置いて年上である朝比奈さんに意見を求めた。


 ま、そもそもハルヒ製のみんなだから、SOS団なんて意識はないはずで、つまり年功序列だ。


「……神社仏閣巡り。日本人の定番はこれに尽きる」


 なんで長門が答える流れに?


「わあい、絶対そうしましょう。それが良いに決まってます」


 朝比奈さんは朝比奈さんで、本当に朝比奈さんだな。


 ☆


 俺たちはそんなこんなで、東京都(仮)台東区(仮)は浅草寺(仮)にやって来た。


 俺が何にでも(仮)を付け始めたのを聞いていたのか、案内標識にすら(仮)が後付けで貼ってある。


「なんなんだ東京都(仮)って」

「まあ、まあ。人は誰しもが儚い仮の存在と思えば、大したことではありません」


 古泉の納得しかねる詭弁に歯痒い思いをしていると、長門の長めの解説が入った。


「……浅草寺。東京都台東区浅草にある東京都内最古の寺。山号は金龍山。本尊は聖観世音菩薩。元は天台宗に属していたけれど、昭和二十五年、つまり一九五〇年に独立し、聖観音宗の本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所、十三番である。江戸三十三箇所観音霊場の札所、一番でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップテンに収まっている」


 ☆


「……『浅草寺縁起』等にみえる伝承によると、浅草寺の創建の由来は以下のとおり。推古天皇三十六年、西暦六二八年。宮戸川、つまり今の隅田川で漁をしていた檜前浜成・竹成兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音像。この像を拝した兄弟の主人・土師中知、またの名を土師真中知は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。その後大化元年、西暦六四五年、勝海上人という僧が寺を整備し観音の夢告により本尊を秘仏と定めた。観音像は高さ一寸八分、つまり約五.五センチの金色の像と伝わるが、公開されることのない秘仏のためその実体は明らかでない。平安時代初期、延暦寺の僧・円仁、つまり慈覚大師が来寺して「お前立ち」という秘仏の代わりに人々が拝むための像の観音像を造ったという。これらを機に浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と称している。天慶五年(九四二年、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、雷門、仁王門、つまり今の宝蔵門などはこの時の創建といわれる。一説に、本尊の聖観音像は、現在の埼玉東京の県境に近い飯能市岩淵にある成木川沿いにある岩井堂に安置されていた観音像が大水で流されたものとする伝承がある。浅草寺創建より百年程前に、岩井堂観音に安置されていた観音像が大雨によって堂ごと成木川に流され、行方不明になったという。成木川は入間川、荒川を経て隅田川に流れており、下流にて尊像発見の報を聞いた郷の人々が返還を求めたが、かなわなかったという」


 いや、長い。長めとか言って舐めてかかっていたらコレな。


 朝比奈さんはもうすっかり怯えているし、古泉は勝手に奥に進んでいくし、そもそも長門の話では長すぎて浅草寺のありがたみが今いち分かりづらい。


 ☆


「長門。神社仏閣はここだけじゃないんだ。ちょっと肩に力、入りすぎじゅないか?」


 俺は良かれと思い長門にそう言ったのだが、それが長門の神社仏閣スイッチをなぜか全力でオンにしてしまったようだ。


「……神社は「かむやしろ」とも読み、日本固有の宗教である神道の信仰に基づく祭祀施設。産土神、天神地祇、皇室や氏族の祖神、偉人や義士などの霊などが神として祀られる。文部科学省の資料では、日本全国に約八万五千の神社がある。登録されていない数万の小神社を含めると、日本各地には十万社を超える神社が存在している。また、近畿地方には生国魂神社など創建が古い神社が多く存在する。神社は日本固有の宗教である神道の祭祀施設であるとされているが、その位置付けは時の政治の状況との関連もあり一定していない。律令国家においては式内社が国家による祭祀の対象として神祇官の統制下に置かれたが、その頃から既に式外社と呼ばれる神祇官の統制外にある神社もあったことは確実である。近世においては仏教の施設となった神社や修験道・陰陽道の影響下にある神社も存在していたが、一方で伯家神道や吉田神道と言った他宗教からは独立した神道の神社もあった。近代になると神社は国家神道として神道系の宗教を含むあらゆる宗教から建前上は分離されたが、その位置づけには議論があった。宗教としての神道は教派神道として神社と分離された。現代においては国家神道は廃止され、多くの神社は神社神道に分類される宗教団体の施設として再編された。その多くは神社本庁に所属している。でも、現代においても神社の在り方はさまざま。有名な神社であっても、鎌倉宮・靖国神社・伏見稲荷大社・日光東照宮・気多大社・梨木神社・新熊野神社・富岡八幡宮など神社本庁との被包括関係を有せず、単立宗教法人として運営される場合がある。大きな単立神社は約二千社、宗教法人格を有さない小さな祠等を含めると二十万社の単立神社がある。東大阪市のように宗教法人格を有している神社に限っても半数以上が神社本庁に属していない地域もある。さらに神社本庁以外にも神社神道系の包括宗教法人がいくつかあり――神社本教、北海道神社協会、神社産土教、日本神宮本庁など――、これに属する神社は神社本庁の被包括関係には属さない。また、教派神道や修験道、陰陽道、神道系新宗教――大和教団、大倭教等――や保守系の諸教――生長の家、天照皇大神宮教等――に所属している神社も存在している」


 ☆


 神頼みも過ぎれば厄とか言われるのは、こんなにも神社に関する話でもりもりと色々あるからなんだろう。


 俺は折角だから、洗礼でも受けるかのような気持ちで長門の話を聞き続けた。


「祭祀対象は神道の神であり、八百万、つまり「やおよろず」と言われるように非常に多彩である。神聖とされた山岳や河川・湖沼などから、日本古来の神に属さない民俗神、実在の人物・伝説上の人物や、陰陽道・道教の神、神仏分離を免れた一部の仏教の仏神などの外来の神も含まれる。また稲荷や猿、鯨など動物を祭神とする神社、子孫繁栄の象徴として男根の像を祀る神社もある。古くは神聖な山、滝、岩、森、巨木などに「カミ」――信仰対象としての神――が宿るとして敬い、社殿がなくとも「神社」とした。現在の社殿を伴う「神社」は、これらの神々が祀られた祭殿が常設化したものとされる。神は目に見えないものであり、神の形は作られなかった。神社の社殿の内部のご神体は神が仮宿する足場とされた御幣や鏡であったり、あるいはまったくの空間であることもあり、さまざまである」


 へえ、と俺は素直に感心した。

 その話が本当ならば、「神はどこにでも宿ってる」と考えても的外れじゃないレベルだ。


 しかし、神社仏閣巡りなんて気楽に始めるつもりだったが、有名っぽい所だけでも随分とあるっぽいな。


 仮に百歩譲って神社仏閣のどこかにいたとしても、ノーヒントじゃあ流石に見つかる気がしない。


 やれやれ。

 佐々木ですらご都合主義でたまたま見つけただけなんだからな、ハルヒ?


 だがまあ、俺たちはひとまず浅草寺(仮)巡りを満喫することにした。

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