第17話

 俺たちは北高に戻った。

 俺が佐々木に会わないため、敵となった涼宮ハルヒに出会わないために敢えて避けてきた場所。


 それは……屋上だ。


「やあ、待ちくたびれたよ」


 くっくっと笑う佐々木は、夕日に照らされてなんだか異世界の人間のように俺には思えた。


「佐々木、時間がない。涼宮ハルヒが敵として来るから覚悟だけしてくれ」


 すると、佐々木は思っていた以上に余裕の表情を浮かべた。


「くっくっ。それよりまず、私に託された力を使ってやる」


 佐々木が右手を光の古泉に向けると、赤い光はふらふらと地面に降り、やがて古泉の姿に戻った。


「古泉くん!」

「……これは、改変能力?」


 素直に喜ぶ朝比奈さんとは対照的に、長門は佐々木が行使した力に涼宮ハルヒのごとき性質を見出だしたようだ。


 そして佐々木が妙な能力を使えるようになってるっていう状況、それは俺につくづく非日常を実感させた。


 ☆


「――長門――ご名答」

「お、お前は!」


 いつの間にか、背後には九曜がいた。

 完全に気配を絶っており、長門ですらビクッと身を震わせていたのだから大したヤツだ。


「はあ、はあ。全く、佐々木の人遣いの荒さはなんとかならねえのか……って、佐々木!」

「あなたがモタモタとコンビニなんかに寄るからいけないのです」


 屋上の入り口で立ち止まる藤原の背中を、橘が蹴っ飛ばした。

 なんか、昔『蹴りたい背中』って小説あったなあ。


「キョン、ボクだってずっとこんな所にいたわけじゃない。キミの活躍はボクの友人たちから常々耳にしていた。そしてさあ、ともあれ役者は揃った」


 なんだか偉くトントン拍子だが、それもどこか涼宮ハルヒの世界改変能力に由来したご都合主義、何でもござれが本質だったりするのだろうか?


 だが、佐々木が言う通り北高の屋上に役者と言えなくもない異能力の持ち主たちが集まったのは紛れもない事実だ。


「後は涼宮ハルヒ。どうやらお前を待つばかりらしいぜ?」


 俺は虚空に向かって呼びかけた。

 だって、今までのお約束に基づくならば既にアイツは……。


 ☆


「……あれ?」


 涼宮ハルヒは来ない。


「佐々木、すまん。俺には何がなんだか」

「くっくっ。キミには分かっているんだろう、涼宮ハルヒがなぜ来ないのか」


 な、なんだって?

 それになんだかその質問に似た問答、つい最近にも経験したような気がするぞ。


『いえ、それをご存知なのはあなた自身のはずです』


 やれやれ。

 二ヶ月後の古泉からは佐々木、そして今の佐々木からはハルヒ。


 俺に会いたくないヤツってそんなにいるのか?


「なあ、佐々木。佐々木は俺に会いたくなかったのか?」


 佐々木は答えない。

 ただ、その代わりにやたら真っ直ぐと俺を見つめてきたのだ。


「えっ、ハルヒ……?」


 なぜだか俺は、反射的にその名を口にした。

 いざという時に限って、俺を見つめるやたら真っ直ぐな視線。


 それは佐々木というよりむしろ、ハルヒのものであるような気がしたのだ。


 ☆


「半分、正解だ。彼女、涼宮ハルヒは今、私の閉鎖空間の中にいる」


 ななな、なんだってー!


「お、おいおい。何が半分正解なんだ佐々木。全くすっかり、きっちりちっとも俺には理解困難だ」


 俺は思いの丈を正直に佐々木に告げた。

 折角集まった役者たちも、想像を絶する展開に完全に目が点になってしまっている。


「順番に説明してやろう。今回の世界改変は、まず私の閉鎖空間に起きた」


 つまり、気付いたら佐々木の閉鎖空間にハルヒがいて、ハルヒはまずそこを改変したらしい。


「そこで存在の根幹を私と同一にした彼女は次に、私という存在を触媒として強力になった改変能力でSOS団員の存在を改変した」


 なにそのトンデモ発想。

 いやはや。伏線も予兆も何もない癖に、突拍子もない展開を起こしてくれたモンだ。


「何もかもが想定通り。キミが見た未来にいた私もまた、涼宮さんと一つになった私だ」


 ☆


 なんて結末だ。


 佐々木の閉鎖空間。

 そんな所に入れるのは、せいぜい橘くらいだし、それってつまりハルヒの改変能力に太刀打ち出来ない限りは完全に詰んでるってコトじゃないか。


「なあ、佐々木。お前、大丈夫なのか?」

「くっくっ。この間といい、キミは何やら親切心が育まれているんだね。それはSOS団のおかげかい? それとも、……」


 何か言いかけて、佐々木は口をつぐんだ。

 それとも。その言葉の先が分からないほど、鈍感な俺でもない。


 それはやっぱりハルヒなんだろ、そう言いたい佐々木がいるんだろうな。


「なるほどな」


 俺は呟いた。

 いや、呟いたとは言っても、その呟きは限りない確信に満ちた言葉だ。


「なるほど、だって?」

「ああ。佐々木が俺に会いたくなかったのは、ハルヒがいるからなんだろ?」


 は、恥ずかしいのはあるぞ。

 だが話が進まないんだから、しょうがないじゃないか。強いていうならこれは不可抗力。


 そう、ハルヒのせいなんだからな。


 ☆


「やれやれ。キミは本当に半分正解が好きなんだな」


 そう言えば、さっきから俺と佐々木の会話に、みんな着いて来れているんだろうか?


「半分正解、か。じゃああとの半分を当ててやろう。つまり、……ハルヒもなんだな?」


 長門も朝比奈さんも、やたら静かだ。

 古泉は無駄に卒倒しているし、橘、九曜、藤原の三人組は慣れない非日常ゆえか完全に石みたいになっている。


「ハルヒはハルヒで、俺に会いたくない。その理由を俺は見つけないといけない。きっとそういう事なんだろ?」

「くっくっ、資格を得たな。キョン、これから先はキミだけが進むべき道。愉快な仲間たちは単なる観客に過ぎない」


 愉快な仲間たちと揶揄された愉快な仲間たちはほんのりと微笑を浮かべて、ただただそこにいる。


「俺だけが進む道か。上等だ。ハルヒを助けて人類も救う。それが出来るのが俺なら、やってやるぞ。うん、なるべくな」


 ☆


 すると佐々木が、クリーム色の巨大な門へと姿を変えた。


 なにこれ。


「くっくっ。キョン、今の私はキミにしか開けず、キミしか通れない門だ。さあ、涼宮さんを、人類を救世するための最後の試練に進みたまえ」


 言われた俺は余りに現実離れした展開に若干の気後れを覚え、後ろを振り向いた。


「……のろけ、乙」

「ふふ。涼宮さんを助ける勇者は、やっぱりキョンくんじゃないと」

「んふ。今回ほどあなたにおいしい所を持っていかれた事はありませんが、涼宮さんに免じて不問としましょう」


 総じてこっ恥ずかしいコメント、サンキューな。


「あなたならきっと、やれるのです」

「――愉快――痛快」

「おっ、怖じ気付いたならいつでも交替するぜ?」


 こっちはこっちで、ガヤ感がスゴい。


 ☆


 そして夜の暗がりが近づく前に、俺は閉鎖空間に飛び込んでいった。


 待ってろよ、ハルヒ。

 お前が神だと言うなら、俺はなんだかんだで神に追い付けるように頑張っていくぞ。


 気持ちだけはな。


「うべし~っ」


 なんで段差があるかな。

 階段になっていて、俺は情けない声を上げながら謎の空間を転がり落ちていった。


 おい、おいおいおい。

 俺は不思議の国のアリスか!


 なんとなく見える周りの景観は、やたら虹色っぽいメルヘンな雰囲気だ。


 たまにペガサスとかヘラクレスとかが宙を優雅に舞っていく。


(ペガサスはまだしも、ヘラクレスは飛行タイプじゃねえし!)


 やたら長い階段。

 やはりそれは俺・イン・ワンダーランドなわけだ。


 やれやれ。

 チェシャ猫でも出てこよう者なら、インファイトすら覚悟しておかないとな。

 だって俺はアリスみたいな美少女じゃない。


 限りなく平凡顔の、男子高校生なんだから。


「あてっ」


 やがて階段は終わり、五才児にぶつかった中年サラリーマンみたいな声が俺から漏れ、八回ほどでんぐり返しした末に、ようやく俺に対する重力の悪戯は終了したのだった。

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