第28話

 そして俺たちは一旦、六合目まで下りて宝永山(仮)に向かうことにした。


 現実の宝永山、つまり宝永山(本物)は、富士登山に四つある山梨県側からの富士吉田ルート、御殿場からの御殿場ルート、樹林を少し歩く須走ルート、そして五合目が全ルート中で最も高い富士宮ルートの内の富士宮ルートから行ける山だ。


 ちなみに現実では富士宮ルートの六合目から宝永山(本物)に向かうことが出来るはずである。


 ここはハルヒの世界、超異界なのでうろ覚えのハルヒの知識に基づき色々とカオスだ。

 というのも標高さえ「約七千メートル」と余りに雑に案内看板があった程度なのだ。


「おいおいハルヒよ。それじゃあヒマラヤやエベレストに少し劣るだけの世界的な大山だ」


 三七七六.二四メートル。

 日本最高峰の霊山の正しい標高とされるのは、こう。


 しかしそんなカオス富士山にもなぜか宝永山(仮)はあり、俺はそれが気になった。


「……涼宮ハルヒではなく、彼女による閉鎖空間の改変である可能性」


 長門のその見解を聞き、なるほどなと俺は思った。

 彼女とは、つまり佐々木だ。


 佐々木がハルヒの超異界を更に改変し、宝永山(仮)を作った。確かにハルヒがまぐれで置いたというより信憑性が高い気がする。


 ☆


 宝永山(本物)のように、(仮)にも火口は全部で三つあるようだ。


 これらの噴火口は、現実においては上から順に第一、第二、第三と名付けられ、一番大きい宝永第一火口は、最大直径が一.三キロにもなる巨大さである。


 第一火口に着き、そこから更に四十分ほど登り、俺たちは宝永山(仮)の頂上に辿り着き、果たしてそこで佐々木を見つけた。


「良かった。やっぱりいたんだな」


 俺がそう言葉を掛けても、佐々木は微動だにしない。

 視界に広がる雲海、視界を遮る霧、そして視界に移る佐々木がそれぞれになんともミスマッチだ。


「宝永大噴火は宝永四年、つまり一七〇七年に始まった噴火だ。富士山の噴火規模としては非常に大きな部類に属する」


 佐々木はおそらく現実の宝永山について言っているのだが、俺はそんな初歩的なことすら知らない。


 知っているとすればせいぜい、古より山岳信仰の盛んな日本において、霊山の三大として富士山・白山・立山を束ねた名数を日本三霊山、または単に三霊山と呼ぶことくらいだ。


 ☆


「なあ、佐々木。立山と御嶽山って、どっちが三大霊山に入るだろうか?」


 俺はそう聞いてみたが、佐々木は答えない。

 ついでに他のみんなも、ただただ風に吹かれて沈黙している。


 やれやれ。

 超異界だっていうのに、百歩譲って仮にもほぼ宝永山みたいな山にいるのに、これじゃあ北高の屋上と一緒だ。


 霊山がややこしいのは、日本三霊山とは別に日本三大霊山があるらしいということだ。


 富士山・白山に加えて立山と御嶽山――これは長野県の御嶽山のことらしい――のいずれかを挙げて三大としている。


 他にも栃木県の岩船山を日本三大霊山の1つに入れることもあるのだ。


「……それは諸説ありの本質。恐山・白山・立山を束ねた日本三大霊場、および、恐山・川原毛地獄・立山を束ねた日本三大霊地の関係性にその話は似ている」


 長門の博識がそのように呈され、俺や俺並みにアホそうな藤原なんかが俄に混乱してきた。


 ☆


「くっくっ。日本三大霊山は、恐山・比叡山・高野山の三霊山。そんな説すらあるとしたら、キョン。キミやボクみたいな凡人はさぞ生きるのがつらいと思うだろう?」


 皮肉まじりに事実を仮説のように言っている、佐々木のその口振りから俺はそんな印象を受けた。


「「よべ地震ひ、この日の午時雷の声す、家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。」。儒学で有名な、かの新井白石は

享保元年、つまり一七一六年頃に成立した随筆『折たく柴の記』に当時の住まいである江戸への降灰の様子をそう記しているそうですよ。んもっふ」


 古泉がここで急に新井白石を持ち出して来た。


「そうだね。宝永大噴火の話に戻そう」


 佐々木は即座に理解したようだ。

 確かに降灰なんて噴火でしか起きないな。


 ☆


(これやこの 行も帰るも 風ひきて 知るも知らぬも おほかたは咳)


 百人一首で有名な蝉丸の和歌をもじった、江戸時代の狂歌だ。


 降灰と聞いて、ふと俺はこの歌にある単なる咳が降灰の影響だったのではないかと連想した。


 つまりくしゃみの奇病と思ったら単なる花粉症、しかし花粉が原因なんて知らなければ生涯知らないままなのと同じ理屈だ。


 すると朝倉が無学なりに絞り出したような理屈を言い出した。


「当時は噴火も経済効果があったのよね? まあ、それは今もなきにしもあらずか」


 皮肉にも宝永大噴火の被害は世間の富士山への関心を高めた。


 それは狂歌しかり、新井白石の随筆しかりで明らかなことだ。


 ☆


 ま、だからこそ現代の科学者は明日か明日かと富士山の噴火予測に躍起になるわけだし、そんな事を知らない普通の人たちも良く整備された富士山トレッキングを楽しむ。


 そう思えば、被害こそ出たかもしれないが大噴火に感謝。そして記録に残してくれた新井白石や江戸時代の知識人に感謝なのである。


「――溶岩――恐怖」


 九曜はそう言うが、まあマグマや、マグマが火山から吹き出て出来る溶岩は実際、当事者からすれば恐怖そのものだ。


 そもそも火山の噴火は、地下にあった高温マグマが地表に出る現象である。


 火山の地下には直径数キロ程度の液体マグマの塊、いわゆるマグマ溜りが存在すると想定されている。


 マグマ溜りは地下のもっと深いところからマグマの供給を受けて少しずつ膨らみ、噴火によって――中身が減ってしまうからか――収縮する。


 ☆


「ふええ。噴火はイヤですう」


 イヤと朝比奈さんが言った程度では、噴火は制御することが出来ない。


 ところで、地下のマグマ溜りから地上まで、マグマが上昇してゆく原因は大きく分けて三種類が考えられる。


 一つ目は深所からのマグマの供給によってマグマ溜りが一杯になり内部の圧力が高くなってマグマが溢れること。


 二つ目は周囲の圧力によってマグマが押し出されること。


 そして三つ目はマグマ中に含有される揮発成分の分離、つまり発泡によって体積が膨張しマグマが溢れることである。


 富士山の地下にもマグマ溜りが存在し、火山活動の原因となっているらしい。


 ☆


 もっとも、古泉が持ち出した新井白石の随筆などから分かるように、宝永大噴火では溶岩の流出などによる被害はなかったが、大量の火山灰が広範な地域を覆ったようだ。


 もし溶岩の流出も甚大だったなら、それだけで歴史は変わり、世はますます混乱していて新井白石どころではなかっただろう。


「それで、キミはボクに何の用かな?」


 佐々木に問いただされ、俺は我に返った。

 そうそう、俺は、俺たちは何も「よく分かる宝永山大噴火」をやりに来たんじゃない。


「なあ佐々木。俺は元の世界にみんなで帰りたい。ハルヒもだし、もちろん佐々木も。だから朝倉だってこうして俺たちのいる世界から来ているわけだし」


 俺はそう言って朝倉をチラ見したが、「あなたの問題でしょ!」と言わんばかりの鋭い眼光ばかりが記憶に残った。


 ☆


「くっくっ、そうだね。いつまでも会いたい会いたくないなんて、誰かさんを振り回していたら十年後のボクには友だちがいなくなってしまうかもしれない」


 意外にも、佐々木は説得に応じてくれそうだ。本当に良かった。


「もう、佐々木さん。心配したのですよ?」


 超異界の橘は、しかし橘らしく佐々木に言葉を掛けた。


「すまない。そろそろボクはボクの人生の新天地のために、今はキミたちと行こう」


 むやみにカッコいい台詞と共に、佐々木は俺たちの旅の仲間となった。

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