[4-5 side dy side]翼の少女は優しき過去に涙する


 喉の奥に大きな固まりがつかえているようだった。

 胸が苦しくて、呼吸がうまくできなくて。――涙が、とまらない。


 私を抱えてくれているリュカさんの肩口から流れ落ちる、真白い髪。その懐かしさの正体を、今ならはっきり答えることができる。

 私を助けてくれた、私を守ってくれた、優しいひと。


 ――白竜。





 リュカさんが私をベッドに寝かせてくれて、お師さまが温かなハーブティーを入れてくれた。つきあげる嗚咽おえつがひどくてはじめは飲めなかったけど、しばらくしたら涙も引いてきて、気分も落ちついてきたので、少しぬるくなったそれをいただく。

 優しい薬草の香りとほのかな甘み。

 お師さまからはいつも、草と風と光の匂いがする。


「思いだしたの?」


 静かに、優しく尋ねられて、私はちょっとためらったけれど頷いた。

 思いだしたといっても、自分の親とか生まれのことではなくて、白竜のことだけど。


「……話せる? まだ無理なら、今じゃなくてもいいよ」

「大丈夫、です」


 心配そうに私を見ているリュカさんと、すぐ側で私を覗きこんでいるお師さま。……と、その後方にいたシオンさんが立ちあがった。


「フォクナーは休んだほうがいい。急いで簡単に食べられるものを作るから、話はそれを食べて少し眠ってからにして」

「えー……ヘーキだって」

「何言ってるんだよ。おれのことはいつも先回りして心配するくせに、自分に関しては無頓着すぎるだろ」

「そうかな?」


 シオンさんの言うとおり、お師さまは見るからに顔色が悪かった。目を瞬かせて二人を見ていたリュカさんが「それじゃ」と口を開く。


「メルトには僕がついてますから、フォクナーは休んでください。ジウには見張りをお願いできますか? 今日はもう来ないとは思いますが……火竜、動揺してましたし」

おう、薪割りでもしつつ見張ろうか。お前はしっかり休めよ、フォクナー」

「えー、僕、そんな顔色悪い!? わかった、じゃちょっと眠るよ」


 シオンさんがお師さまを引っぱって部屋を出ていき、そのあとをジウさんも追っていった。

 リュカさまと二人きりになり、少し緊張した空気が張りつめる。


「……メルト、あの、すみませんでした。僕の変化へんげが引き金で、思いだしちゃったんですよね」


 遠慮がちに切りだしたリュカさんのブルーの瞳が、気遣わしげに私を見ていた。

 そういえば、リュカさんはワームの部族だと思ってた。あの時どうして、白竜の姿に変身できたんだろう。


「リュカさまは、火竜があの姿で動揺するって、ご存知だったんですか?」


 疑問を口にしたら、リュカさまは否定の意味で勢いよく首を振った。


「まさか! ワイバーンのブレスでは火竜に対抗できないと思って、火竜をモデルにへの変化を試みたんです。……でも、練習せずにいきなり本番だったから、失敗しちゃったみたいです」

「……いにしえの、……なるほどです」

「黙っててすみません。実は僕、妖狐ようこの部族なんですよ。妖狐は大陸だと希少で狙われやすいって聞いてたので、なるべく言わないようにしてるんです。騙すつもりではなかったんです」


 シュンとして謝るリュカさんを、ちょっと可愛いと思ってしまう。白竜変化を見てしまったあとだからかも。

 名前が大陸風なのでわからなかったけど、確か妖狐は和国ジェパーグの主要部族だったはず。……ということは、もしかしてシオンさんも妖狐なのかな。


「大丈夫です。私はあまり魔族ジェマのことは知らないですし、お師さまも気にしてないと思います。……それに、リュカさま、失敗はしてないですよ」

「ありがとうです、メルト。でも、アレは竜っていうより巨大ウサギでしたし」


 遠い目をして呟く、リュカさん。

 爪もツノも牙もなく、柔らかでふわふわの白毛に覆われ鳥の翼を持つ、オオカミより少し大きいくらいの竜。火竜と並ぶと、同じ種族とは思えないほど違う姿だったから、リュカさんがそう考えるのも無理はない。


「リュカさま、あれは、……いにしえの白竜はくりゅうなんです」


 言葉にしたら、胸に何かがこみ上げてきて視界が歪んだ。リュカさんが焦った表情で立ちあがり、ハンドタオルを持ってきてくれたので、私はそれで涙をぬぐいながら続ける。


「白竜は癒しに特化していて攻撃手段を持たない竜なんです。リュカさまは雪の精霊力が強いから……いにしえの竜を模したとき、白竜の姿になっちゃったんだと思います」

「そうだったんですか。……メルトや火竜は、その白竜と知り合いだったんですね」

「火竜と白竜の関係を、私はよく知らなくて。でも、いにしえの竜同士、お仲間だったのかもです。白竜は、私の命を助けてくれたひとなんです……」


 涙が、とまらない。

 本当はお師さまやシオンさんにも伝えるべきなのだろうけど、胸をふさぐ固まりが苦しくて、吐きださずにはいられなかった。私は今、リュカさんに甘えて告白を続けている。


「それは、火竜に襲われる前ですか?」

「はい。……白竜はもうずっと長い間、囚われてて、魔法の薬の材料として、身体を少しずつ切りとられていたそうです」

「え」


 目を見開いてリュカさんが絶句する。

 あのとき、思いだせそうで思いだせなかった真実。例の薬は本当に存在していたけれど、それは白竜の身体を切りとって粉にしたものだ。だから病を消し去る効果というのも本当のことなんだ。


「いにしえの竜は精霊に似た存在なので、流血したり、痛みを感じることはないそうです。それでも、長くそうされていれば生命力は弱っていくので……私と出会ったとき、白竜の命はもうすぐ尽きようとしてました」


 ぎゅ、と手を握られる。

 真剣な光を映すブルーの目が、私を力づけようとしてくれているのがわかった。

 だから、言葉を、続ける。


「私はそのとき、まだ卵でした。白竜を捕らえていた人たちは、何かの方法で、白竜が命尽きる前にその命を移しかえる――もしくは複製クローンを作るため、卵を、利用しようとしていたみたいで」

複製クローン……そんなことできるんですか」

「わかりません。私も、白竜にそう聞かされただけで……白竜はそんなふうに私の自我いのちが失われてしまうことを、よしとはしなかったんです」


 それがまだ卵の中だったときなのか、ひなとしてかえったあとだったのかはわからない。

 わかっているのは、白竜が私にかけられていた呪いを命の残りを使って解いてくれたことだけだ。


「白竜の命が尽きたあと、私は大人たち……今思えば施設の職員だったと思うんですけど、その人たちにいろいろ調べられたり何かを飲まされたりしました。彼らは私を殺そうとはせず、最低限の世話をしてくれました。もしかしたら、私が白竜に変わるのを期待していたのかもしれません」

「……ひどい話ですね」

「はい、今思えば。でも、あのころの私は何もわかっていなくて、ただ、白竜がいなくなってしまったことが寂しくて、それだけで」


 優しく握ってくれるリュカさんの手を私も握り返しながら、真白い姿とサファイアの瞳を思いだす。

 いつの時点で記憶を失ったのかは、思いだせなかった。大人たちにいろいろされる中で私は、だんだんと自我も記憶もぼんやりかすんでしまったんだろうと思う。


「火竜は、白竜がメルトを助けたってことを、わかってないのかもしれないですね」

「どうでしょう。白竜は私を助けて命が尽きたのだから、私に仕返ししようと思ってるのかもしれません」


 自分で言って、涙がまたこぼれる。

 それが真実ほんとうなら、私は黙って静かに火竜に食べられるべきなのかもしれない。


「いいえ」


 私の心の声を否定するように、リュカさんが強く言った。

 強く手を握りしめ、眉をつり上げて、ちょっとだけ怒ったような表情かおで彼は私を覗きこむ。


「火竜が白竜を大切に想っていたのなら、かれがメルトを傷つけるのは間違っています。大切なひとを奪われたもの同士で傷つけあうなんて、そんなの誰のためにもなりませんし、白竜だって望んじゃいないはずです」

「……でも、私のために、白竜は」

「メルト」


 強い声が、私の涙と思考を止めた。

 吐息がかかりそうなほど近くに、私を真剣な目で見つめるリュカさんの顔がある。顔が熱くなり、心拍が速さを増してゆく。


「僕は白竜をしりません。火竜との関係も、メルトをどうやって助けたのかもわかりません。でも、これだけは言い切れます」


 遠くておぼろな、優しい過去の面影。

 白銀の髪と青い目の彼は、記憶にたゆたう白竜の残象かげと似ているようで。


「白竜は、君を守りたいと願ったんです。生命いのちをかけても助けたのは、メルト、白竜が君を大切に想っていたからです。火竜が白竜の友であろうと、その願いを踏みにじるのは間違っています」


 ――涙が、決壊した。


「はい」


 私は、自分に生を選びとる資格なんてないと、無意識に思っていたのかもしれない。

 優しい白竜を犠牲にして生きのびたこと、それを忘れていたことに、息がとまるような罪悪感を感じていたのかも、しれない。


 白竜、リュカさん。

 私、死にたくなんかないです。

 これからも生きて、いろんな場所をめぐって、美味しいものを食べて、たくさんの人と出会って――そんな未来を描くことを、望んでもいいのでしょうか。



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