[1-1]吸血鬼少年と翼の少女


 遅い午後、通りには帰宅途中の学生たちが目立っている。今日はなぜか朝から警邏けいらが多く、さっきも街角で魔法使いっぽい旅人が職務質問をされていた。

 手元の広報誌に目立ったニュースは載っていないけど、おそらく大きな事件の調査か後処理なんだろう。明日の朝刊にトップニュースとして載るかもしれないな。


 トラブルに巻き込まれないよう、今日はカフェで読書しながらのんびり過ごすつもりだった僕の目に、気になる光景が飛び込んできた。

 身なりの良い魔族ジェマの学生が小柄な女の子に詰め寄っている。よくあるナンパの光景にしては、度が過ぎているように思えた。

 席を立ち、会計を済ませて外へ出る。足音を忍ばせて近づき意識を集中すれば、二人の会話が耳に届いてきた。


「君、言ったじゃないか。今夜の宿はまだ決まってないって」

「え、……って、あの」

「だから、タダで泊めてあげようって言ってんの。……それとも、断るってのか?」


 声に脅しをにじませながら詰め寄っているのは、金髪に緑の目の男子学生だ。おそらく上流階級、もしかしたら貴族の子かもしれない。

 女の子は制服ではなく、藍地に桜柄のワンピース。男子学生と歳は変わらなそうに見えるけど、学生ではなさそうだ。ゆるく波打つ薄浅葱うすあさぎの髪と瑠璃藍アズライトの目、怯えたように涙ぐんでいる。

 これは見過ごすわけにいかない。


 声を掛けようと一歩を踏み出して、僕は彼女の別の特徴に気がついた。背中に、淡い空色の大きな翼。風の民、翼族ザナリールの特徴だ。

 それを見た途端、プツリと僕の中で何かが切れた。


「何をしているんですか」


 怒りを抑えて声がけたつもりだったけれど、耳に届く自分の声は思ったより低かった。

 驚いたように振り返った学生の口元に、一瞬だけ鋭い牙が見える。苛立ったような緑玉エメラルドの瞳には不穏な光が揺れていた。こいつ、吸血鬼ヴァンパイアの部族か。


「誰だよ、おまえ」


 不遜な応答から彼の身分が透けて見え、怒りとともに呆れがよぎる。

 吸血鬼ヴァンパイアの瞳には魔力がある。睨みつけることで他者に対し恐怖心を植えつけ、身体を硬直させる力を持つ。

 その力を翼族ザナリールの女の子に使うなんて、最低な奴だ。


「貴方こそ、そのをどうするつもりなんですか」

「そんなの、おまえに関係ないだろ」


 この学生、自分の言動が恥ずべき行為だとわかっていないのか。それなら僕も容赦なく応じるまでだ。

 腰に帯びていた長剣を見せつけるように抜き放つ。ぐいと切っ先を突きつければ、彼は僕の本気を感じたのか、焦ったように後ずさった。


「横取りかよ、卑怯者! べ、べつにそんな女どうだって……」

「うるさい。僕の自制心が働いてるうちに早く去りなさい」


 傲慢ごうまんな物言いは負け惜しみなのか、本気の勘違いなのか。彼の内心など僕にはわからないし興味もないが。

 そもそも彼女は物品でもなければ獲物でもない。失礼にもほどがある。


 ぐ、っと一歩を踏みだせば、吸血鬼ヴァンパイアの学生は踵を返して逃げだした。追うつもりはないので、それを見届けてから剣を収める。

 視線を転じれば、翼族ザナリールの少女が怯えたように僕を見ていた。


「大丈夫ですか?」


 手を差し伸べた途端、彼女はびくっと震えてぎゅっと目を瞑ってしまった。その姿は痛々しくて、申し訳ない気持ちが胸をふさぐ。


「……すみません、怖い思いをさせてしまって。僕は、本当に、貴方を害するつもりはないんですよ」


 声音はできるだけ優しく、穏やかに。

 話し方は丁寧に、親しみをこめて。


 僕が魔族ジェマであるがゆえに怖がられることを見越して、父が叩き込んでくれた教えだ。父の言葉を思い出しながら、僕は地に片膝をつく。

 さながら姫にかしずく騎士のように、思いつく最大限の礼を尽くして。


「貴方に触れませんし、貴方を別の場所に連れて行ったりもしません。ただ、翼族ザナリールが一人で行動するのは危険ですから……貴方の安全を見届けるまで、そばに控えることを許してくれませんか?」


 彼女が怖々こわごわと目を開く。憂いを帯びた瑠璃藍アズライトの目が僕を見、驚いたようにゆっくり大きく開かれた。


「……あの」


 翼族ザナリールって本当の鳥みたいに綺麗な声をしてるんだな、なんて。

 見惚みとれて、あるいは聴き入って、つい反応が遅れてしまったからだろう。彼女は焦ったようにわたわたと両手を動かし、それから困ったように眉を下げ、僕と目線を合わせるように膝を揃えてしゃがみ込む。


「あの、……助けてくださったのに、失礼を、ごめんなさい」


 視線の高さが一緒になっただけなのに、彼女の顔がぐっと近づいた気がした。

 長い睫毛に縁取られた目が僕をまっすぐ見つめている。身体の奥からじわじわと上ってきた熱に、耳が熱くなる。

 どうしよう――今、僕の顔、真っ赤になってるんじゃないのか。


「いえ、僕への失礼なんてもう、そんなことはどうでも良くってですね! それより、僕は貴方を安全な場所まで、護衛したいと思いまして!」


 場を繕うつもりが、口から出てきたのはやたらとうわずった声で、ぐらりと意識が回った気がした。

 ちょっと待て、今の僕めちゃくちゃ恥ずかしくないか?


 ――と、そこで。

 背後から足音が聞こえて、浮ついていた意識が冷水を浴びたようにクリアになった。利き手を剣に添え立ちあがって振り返る。

 驚いたように僕を見ていたのは、長い杖を持った長身痩躯そうくの魔法使いだった。


「……君、だれ?」

「おさま!」


 怪訝そうに尋ねる彼と、安堵の声を上げる彼女。

 その短いやり取りだけで、僕の中で全部が一気につながった。途端ぐわっと湧きあがってきた衝動に突き動かされ、思わず僕は師匠と呼ばれた魔法使いにつかみかかる。


「うわっ!? 何!」

「貴方が彼女の連れですか! 何やってるんですか、翼族ザナリールを街中で一人にするなんて! 僕が見つけていなかったら、大変なことになってたかもしれないんですよ!?」

「ちょ、待て待て待って、わー、メルトちょっと助けて!?」


 彼女の名前は、メルトと言うらしい。

 可愛い名前でよく似合ってる――って、そうじゃなく。


 師匠のくせに、彼女がピンチに陥っていた間どこに行ってたんだよ、とか。

 その辺の釈明をきっちりしてもらわないと、僕の気持ちは治まりそうにないんだけど。


 別に、照れ隠しとかそういうわけじゃないんだからな。



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