第三章 樹海にすまう巨獣たち
[3-1]オムレツの朝と彼女の決意
朝にはメルトの熱はすっかり下がっていた。
悲しい夢を見て泣いていたのにはびっくりしたけど、すぐに元気を取り戻してくれてよかった。一応フォクナーには報告したほうがいいだろうし、メルトは身支度もあるだろうから、僕は先にリビングへと向かう。
部屋の戸を開けると香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。リビングで寝ていたはずの二人の姿はなく、隣接したダイニングキッチンから話し声と物音が聞こえてくる。
思わず時計を見れば、時刻はすでに遅い朝。
僕としたことが、うっかり寝坊してしまったみたいだ。
「リュカ、おはよう。食材適当に借りたぜー」
「二人ともよく眠ってたみたいだから、昨夜のお詫びも兼ねて朝食の用意くらいしようと思って。勝手に使われるのが嫌だったら、ごめん」
「大丈夫さー、シオンの料理はプロ級だし」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、フォクナーが請け負うことじゃないよね」
キッチンに入った途端、気づいた二人が交互に話しかけてきた。
シオンには寝顔を見られたって?
戸は閉めていたはずなのに、いつのまに。さすが、
「大丈夫ですよ、気にしませんので。僕こそ、寝過ごしてしまってすみません」
「メルトに付き添ってくれてたんだろ? ありがとね」
「は、はい!」
別になんてことないはずなのに、フォクナーに言われると妙に緊張してしまう僕だ。彼はすぅと目を細め、柔らかく笑った。
「僕もさすがに昨夜は力尽きちゃったからさー、助かった。シオンも久しぶりに、何も心配せずぐっすり眠れたみたいだよ」
「フォクナー、余計なことまで言わなくていいから。……さて、出来たから食べよう。メルトはまだ寝てる?」
「メルトは今身支度してるので、もうすぐ来ると思います」
よかった、と柔らかく笑いながら、シオンはダイニングテーブルに皿を並べていく。
切り分けてトーストしたパンと、チーズやクルトンを混ぜた野菜サラダ。喫茶店で出てくるような形の綺麗なオムレツに、トマトとトマトソースが添えてある。
フォクナーもそれをてきぱきと手伝っているので、僕は何だか不思議な気分に陥った。
実家にいた頃は、まあ、給仕の人たちがやっていたし、今でも帰省すればそんな感じだけど。でも今は基本的に独り暮らしなので、久しぶりの賑やかな朝に嬉しくなってくる。
「じゃ、僕はお茶を淹れますね」
浮きたつ気分で食器棚からティーカップを出していると、メルトがダイニングに入ってきた。
「おはようメルト。顔色良くなったみたいで安心したよ」
「おはようございます、昨晩はありがとうございました、お師さま」
「メルトごめんね、おれが陛下を引き連れてきたせいで、大変な思いをさせちゃって」
「い、いえっ、大丈夫です! シオンさまの朝ごはん、すごく美味しそうです」
それぞれに挨拶を交わす様子をぼうっと見てたら、ちょうどこちらを見た彼女と目が合った。彼女の表情に最初のような緊張はなくなっていて、はにかむような笑顔が僕に向けられている。
「リュカさまも、ありがとうございました! 私もお手伝いします」
「え……あ、そうですね! それじゃ、テーブルにカップを並べてもらえますか?」
「はいっ」
柔らかな笑顔、明るい声、……そしてふんわり自然に膨らんだ翼。
朝だからというのもあるだろうけど、彼女が本当に元気になっているのが嬉しい。
胸の奥まで温かいもので満たされるのを感じながら、僕は全員分の紅茶を注いで、それからみんなでテーブルについた。
フォクナーの言葉通り、シオンが作ったオムレツはプロ級の美味しさだった。喫茶店のバイトで仕込まれたからだって言ってるけど、絶対それだけじゃないだろ。と思いつつ、あえて突っ込まないのも礼儀だろうと、僕は納得したふりをしておく。
食後のコーヒーを飲みながら昨日の情報をメルトも交えて整理する。
国王陛下からの依頼、もとい命令は、『城に入った泥棒を捕まえる事』。
シオンの使命は、『魔法剣を捜索する事』。
ともに、犯人は『火竜と一緒に行動しているらしい魔法使い』というのがフォクナーの見立てだ。証拠があるわけではないけど。
性別はわからないので仮に彼と呼ぶとして。彼は『いにしえの火竜を使役し、何かの魔術式を成立させる鍵としてメルトを狙っている』らしい。……と、推測の域を出ないものの、現状でわかっている情報はこんなところだ。
「そういえば、フォクナーがメルトを助けたのって、いつくらいの話なんですか?」
「何年か前。現場はこの国と隣国の境目にある、無国籍領域だね」
「それから今まで、接触とか襲撃は?」
「一度もないよ。向こうが積極的じゃなかったのかもしれないし、僕もメルトと一緒に動くようになってからは、できるだけ都会で過ごすようにしてたからね」
魔法使いの拠点はどこなのだろう。
確かに、
それなら彼は、火竜をどこかに置いて一人で街を訪れ、必要を済ませていたんだろうか。
「おれとしては現場
「だーめ。シオン一人じゃ、向こうに捕まっちゃうのが目に見えてるからねー」
「そこまでドジじゃないよ!?」
「……不運体質」
「うっ」
なんだか二人でどんどん話を進めているみたいだ。
部外者である僕はともかく、メルトはどう思っているんだろう。ふと気になって彼女に目を向けたら、なぜか僕は見つめられていてバッチリ目が合ってしまった。
「メルトは、ここに残りますか?」
間が保たなくなって思わず聞いてしまう。何なら、
僕の発言にフォクナーとシオンも話をやめて、メルトのほうを注視しているようだった。
「私は、一緒に行きたいです」
「……怖くないんですか?」
聞き返したものの、なぜだろう、僕は彼女がこう答えるとわかっていた気がする。
「怖い、です。でも、たぶん私はその場所に、大切なだれかといたんです。……だから、迎えに、行ってあげないと」
「今朝の夢の話、ですか?」
「はい」
誰かが遠くへ行っちゃう夢、と彼女は話していた。
家族なのか、友人なのか、恋人なのか――、そう思ったら胸が痛んだ。彼女の過去を、僕も、彼女自身も、ここにいる者は誰一人として知らない。
「メルト。危険かもしれないんだぜ」
フォクナーが静かに念を押すと、メルトはコクリと頷いた。
「お師さま、前に言ってましたよね。いにしえの竜は食物を必要としないって」
「うん、彼らは精霊に近い組成の存在だからね。……だからあの火竜が君を呑もうとするのは、魔法儀式的な意味合いがあるんだと思うけど」
「はい。私は、その目的を知りたいです。悪いことなら止めたいし、戦わなくて済むのなら、そういう道を探りたいんです。私はもう、ちいさな子供じゃないですもん」
フォクナーは眉を下げ、視線を落として考え込んでいるようだ。シオンは何も言わず二人の様子を見守っている。
きっとメルトは、彼らが自分の過去や存在の意味を知っていると考えたんだろう。そしてそれが、遠くに行ってしまった誰かともつながっているだろうって。
僕も、思いだせないけど夢に出てくる人がいるから、わかる。
きっと僕だって、記憶がない時代の僕を知っている相手に出くわしたら、話をしてみたいって思うだろうから。
「僕は、メルトが行くなら護衛しますよ。相手が火竜だろうと悪の魔法使いだろうと、必ず守ってみせます!」
彼女の追い風になるよう宣言してみせたら、三人分の目が同時に僕を見た。
フォクナーが、クスリと笑う。
「わかった。一緒に行こう、メルト、リュカ。ただし、約束して。リュカはメルトを最優先で守ること、いざって時には
「お師さま! 私だって、ちゃんと戦えるんですよ!?」
「君が離脱してくれれば僕らも安心して逃げられるんだって」
翼の羽毛を逆立てて立ちあがるメルトと、彼女をなだめる師匠のやり取りを微笑ましく思いつつ、僕はフォクナーに首肯を返した。
「そうと決まったら、今日中に準備して明日朝イチで出発しよう。目的地は樹海だから、軽装じゃちょっと面倒だし」
「え、焼け跡って、平地じゃないんですか?」
意外に思って聞き返せば、「実はね」と前置きしてフォクナーは
元々森の外れだったあの場所は、ここ数年の間に樹々が異常に繁茂して、今は迷いの森みたいになっているんだよ――と。
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