[3-3]巨竜と巨獣と雲鯨


 世界の営みは精霊によって成り立っているので、魔法を行使するためには属する精霊がその場にいなくてはならない――とは、王都学院で教師をしている兄の言だ。


 フォクナーが天才魔法使いだとしても、人である限りそのことわりを無視することはできない。

 つまり今、炎を押しとどめる水魔法を行使することはできないということだ。この局面を打開するには、水精霊を呼び戻さなくてはいけない。


 僕が煙と炎を避けながら火竜の頭上にたどり着いたのとほぼ同時、立木を薙ぎ払って灰色熊がその巨大な姿を現した。

 驚いたように火竜がそちらを凝視し、その隙に僕は氷雪ブレスを上空から降らせる。地上に達する前にほとんど蒸発してしまうだろうけど、これで少しは水の精霊力が回復するはずだ。


 火竜は、眼前の灰色熊に気を取られて僕の方を見ていない。

 僕はもうひと吐きしようと息を吸い込む。


『森を壊す無法者はお前か』


 びっくりして、塊みたいなブレスが出た。今喋ったのは灰色熊……ってことは、彼、獣人族ナーウェアなのか!?


『なんだ、貴様は』

おれはジウ・ガイ、この森の先住部族よ。墓参りに立ち寄ってみれば、なんだこの有様は! この蛮行、断じて許すわけにはいかん』


 灰色熊の彼は律儀にもそう名乗り、火竜の返事を待たずにその巨体で殴りかかった。当然、火竜も放火作業どころではなくなり、ツノの生えた額でその一撃を受け止める。


 巨竜と巨獣の対決だ。

 空を飛んでる僕の元にさえ、殴り合いによる地響きが届くようだ。

 目を奪われかけていた僕の耳に、呼び声が聞こえる。


「リュカ!」

「リュカさまっ」


 僕より上空に紫色の天馬ペガサスに乗ったフォクナーと、その隣にメルト。……ってことは、天馬はシオンが変化へんげしてるのかな?


『無事ですか、フォクナー』

「生きてるよー。火傷の手当ては後からするとして、あの人は?」

『先住部族の方らしいですね。僕、加勢してきます!』

「待って」


 制止の声に、僕は羽ばたきながらその場に留まり地上とフォクナーを交互に見る。

 ちょうど熊の彼が火竜を横倒しにして、長い首に噛みついていた。どちらが優勢なのか、僕の目には判断つかない。


『彼は獣人族ナーウェアですよ? 助けに行かないと!』

「リュカはメルトの側にいて」


 キッパリ指示を放つと、フォクナーは天馬シオンの耳に何かを囁いた。高度を下げる様子から、考えがあるのだろうと察する。

 僕が羽ばたいて上昇すると隣にメルトが来た――といっても、僕の翼が起こす乱気流に巻き込まれない距離を保ちつつ、だけど。

 眼下では、口内からほのおをあふれさせる火竜の顎門あぎとに、熊の彼が折れた樹木を勢いよく突っ込んでいた。


「大丈夫です。お師さまは、雲鯨クラウディアを召喚するつもりです」

『……なるほど』


 彼女を助けた時にも召喚したという、水属中位精霊か。

 瑠璃藍アズライトの瞳が憧れと尊敬を映して、キラキラ輝いている。そんな場合じゃないのに、僕の中に複雑な気持ちが湧きあがった。


 天馬の背から飛び降りて空中に浮かび立つ、天才を自称する魔法使い。

 飾りの少ない杖を掲げ魔法語ルーンで精霊に呼び掛ける姿は、その華奢きゃしゃな身体に不似合いなほど堂々としている。


 ――彼はこんなふうにして、最初の時も火竜からメルトを救ったんだろうか。


『さすがです。凄いですね、フォクナーは』


 やっぱり敵わないよな。そんな思いが押しだした僕の言葉が聞こえたのか、メルトは不思議そうに目を見開いて僕を見た。


「すごいのはリュカさまです。火竜がほのおで造ったオリを破る方法を、リュカさま知ってたんですか? お師さまが、リュカさまはセンスが天才だって言ってました!」

『え、え、え? フォクナーが……って、センスが天才ってどういうことですかね!?』

「よくわかんないですけど、すごいって褒めてるんじゃないんですか?」


 彼女のキラキラした憧れは僕にもまっすぐ向けられていて。

 不意打ちに動揺を抑えきれず、純真すぎる彼女に比べ自分の心の浅ましさが猛烈に恥ずかしくなって、僕は挙動不審にブンブンと尾を振った。


 ありがとう兄さん。

 兄さんのおかげで僕、好きな子に尊敬リスペクトしてもらえたよ!


 眼下ではいつのまにか、フォクナーによって召喚されたらしいねずみ色の小型クジラが空を泳ぎながら、霧の雫を振りまいている。熊の彼と火竜は気づけば間合いを取っていて、戦況も沈静化しつつあるようだ。

 と思ったのもつかの間、火竜の口内に再び焔がともる。

 視線の先には灰色熊の彼がいる。灼熱の焔を生身でくらったらどうなるかなんて、考えるまでもない。かといって僕の位置からでは遠すぎて、氷雪ブレスは届きそうにない。

 誰もが最悪の惨状を想起したであろう、その一瞬。


 雲鯨クラウディアが青く光り輝くと、女性の姿をとって灰色熊の前に立ちはだかり。

 火竜の目の前に突然、小柄な人影が飛び出して立ちふさがり。


「これ以上は駄目だよ。いったん退こう、火竜。君が人を殺しては駄目だ」


 風のような声を発した見知らぬその人物が、この一連のであることは明白だった。

 焔を鎮めた火竜が、頷くように首を振る。


『……わかった、ロウル。おまえがそう言うのであれば、退こう』

「うん、いこう」


 短く声を交わし合い、ロウルと呼ばれた魔法使いは鳥のような身軽さで火竜の背に飛び乗った。灰色熊の彼を牽制けんせいするように火竜は頭を低くし、翼を広げて羽ばたきをはじめる。


『待たんか!』


 制止の声には耳を貸さず、ふたりは風を巻きあげ飛びたった。そして、あっという間に空の彼方へと飛び去ってしまったのだった。





 しばらくすると地上の炎も鎮火し、空中に逃れていた僕らはそれぞれに変化を解いて、ようやく地面に降り立った。

 人の姿をとった雲鯨クラウディアは、波うつ薄紫のロングヘアが地面に広がるのも気にせず(精霊だからだろうけど)、ジウと名乗った獣人族ナーウェアの手当てをしているようだった。


「まったく、人族の身の上で無理をしおって。わらわが来れねば焼け死んでおったぞ」

『なぁに、あんな炎など大したことないわ! ……痛てて、それはそれとして火傷は痛むのだが』

「毛皮を着込んだまま炎に突っ込むからであろ」

『森を荒らす不逞ふていやからがどこの誰かと思えば巨竜とな、この愉快な巡り合わせに立ち会いをせんでどうするというのだ!』

「どうもせんわ。今少し穏やかに生きる道でも模索するがよかろ」


 灰色の毛皮はあちこち焦げて見るからに痛々しいのに、彼はなんだか楽しそうだ。ひと通り手当てを終えたらしい雲鯨クラウディアが、溜め息とともに立ちあがって僕らを振り返る。


「ぬしらの傷も診てやろうかの?」

「ありがと、雲鯨クラウディア。でも、これ以上は君の負担になるだろうし、僕の手に負える程度だから大丈夫だよ」

「あいわかった。……そこな命知らずは、人のていに戻ったら改めて診てやるがよい。では、わらわはひきあげよう」

『感謝するぞ、精霊よ』


 ジウ氏の謝辞に満更でもなさそうに頷きつつ、彼女は再びクジラの姿になり、それから青い魔力の余韻を残して消えていった。

 そうして僕らは改めて、灰色熊の彼と対面することになる。


 そういえば獣人族ナーウェア獣化変身ビーストチェンジ魔族ジェマ本性変化トランストゥルースと違って、身につけている衣服や装身具にまでは変化が及ばないんだった。

 ちょっと不便な代わりに、彼らの獣形態ビーストフォームは僕らの本性形態トゥルースフォームと比べ物にならないくらい戦闘能力が高い。そりゃ火竜もたじろぐよ。

 それはそれとして、彼はまだここでは人型に戻れないということかな。


『……さて、お前たち』


 濃灰色の毛並みに埋もれた翡翠のような目が、僕らを見る。熊の姿では、機嫌がいいのか悪いのか判断しにくいよ。

 意を決したようにフォクナーが一歩進み出たのと同時、彼がヌッと二本足で立ちあがった。……その大きさは、あの火竜の背丈さえも超えるんじゃないかってくらいで。

 けど彼は、僕らの引き具合いも全然気にしていないようだった。


『手当が必要なのであれば、おれの仮小屋に案内するぞ。少々頭数は多いが、まあ、入らんこともないだろう』


 威圧感のある風体で、フレンドリーな申し出だ。僕はつい、メルトと顔を見合わせる。

 精霊である雲鯨クラウディアも気を許していたみたいだし、悪い人ではなさそうだけど……。


「ありがとう、助かるよ。じゃあちょっとだけ、場所を貸してもらおうかな」


 フォクナーのひと言で方針は決まった。

 こうして僕らは巨大な灰色熊に先導されて、彼の住んでる小屋にお邪魔することになったのだった。



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