[3-2]原生の森と予期せぬ暴挙


 ルーンダリアの国境を越えた先に樹海化した原生林があるというのは、一般のニュースとしてなら知っていた。まさかそこが、メルトと関わりがあったなんてびっくりだ。


 ここは無国籍領域、つまりどこかの国がこの森を占有することはできない。

 もともと獣人族ナーウェアの集落が多く散在していたために、後からおこった国家はいずれも領有をあきらめたのだという。

 猛獣の部族や武術に長けた一派の隠れ里との噂もあるが、本当のところはわからない。


「だから調査も進んでなくて、彼らが隠れ住むには都合がいいと思うんだよね」


 元より一人で向かうつもりだったシオンは、例の焼け跡の位置については下調べを済ませていたらしい。

 実際は精霊たちの暴走で迷いの森と化していて、精霊の道案内を望めるフォクナーなしでは目的地へたどり着くのは難しかっただろうけど。


 遠目に不気味な気配を漂わせていた樹海も、踏み込んでみればごく普通の森だった。

 落葉が厚く積もった獣道は歩きにくく、背の高い樹々には何重にもツタが絡まり見通しが悪い。それでも重なり合った梢の隙間からこぼれる光は色あざやかで、賑やかに鳴き交わす小鳥たちの声は気分を浮きたたせてくれる。

 行き先がワケありでなければ、楽しい森林ピクニックみたいなのに。


「リュカ、メルトについててね」


 現地に到着した途端、フォクナーはそう言い残してシオンと先に行ってしまい、僕とメルトは周囲に警戒しながら倒木に腰を下ろして二人を待つことにした。

 たぶん、危険がないか先行調査するつもりなんだろう。隠密職らしいシオンはともかく、フォクナーって魔法職のくせにガンガン前に出ていくからびっくりする。


「思ったより近かったですね」

「はい。……確かにこの辺りの木は樹齢が若いみたいですし、下草も新しいので、焼け跡からの異常繁茂は間違いないと思います」

「へぇ、そんなことわかるんですか。メルト凄い」


 さすが狩人ハンタースキルを持っているだけある。

 メルトは道中の情報もしっかり観察していたのか。


「私はまだまだです……お師さまは精霊からそういう情報は聞きだせちゃえますし、私ももう少し……――、」


 言葉の最後が不自然に途切れ、メルトは唐突に立ちあがった。


「リュカさま、だれか来ます!」

「え、誰かってフォクナーたちじゃなく?」

「ううん、私たちが来た方向からです!」


 切迫した響きに悪い予感が湧きあがり、僕はすぐさま立って剣を抜く。メルトを後ろにかばいつつ目を向ければ、僕の耳にも草を踏み分ける音が聞こえてきた。

 見通しの悪い獣道から現れたのは、深紅の髪と緋色の長上衣サーコートが目を惹く、背の高い男性だった。黒いマントを肩に掛け、手には鞘に入ったままの宝飾剣を持っている。

 悪い予感がますます強くなっていく。


其方そちらから出向いてくるとはな。だが、手間は省けた」


 低い声、抑揚の少ない喋りかた。男性の言葉に直感した。

 ちょっと待って欲しい。僕、一言もだなんて聞いてなかったんだけど!


「……いにしえの、火竜」

「そうだ。よく解ったな、。私はそのを貰いに来た。駄目だというなら私と戦え」

「駄目に決まってるでしょう! メルト、フォクナーたちを呼び戻してください」

「はいっ」


 いにしえの竜って人の姿になれるのか、とか、相手を体色で呼ぶのかよ、とか、いろいろ突っ込みたいけど後回しだ。

 地面は柔らかく勢いを削がれてやりにくいけど、それは向こうも一緒だろう。

 メルトが後方で警笛を吹いたのに合わせ、僕は火竜との距離を詰めて斬りかかる。彼は鞘入りの剣で受け止め、僕の剣を弾き返して大きく後退した。

 戦えと言った割にやる気がなくないか?

 妙だな、と思いつつ追撃で斬り込むも、再び防がれた。相手からの反撃はこない。気味悪く思いながら、今度は下方から斜めに斬りあげてみる。

 大きく飛び退すさって避けられたので追って踏み込みかけ、――我に返った。


 ……誘導されている?


 不意に後方から激しい物音が響き、思わず振り返る。さっき僕らがいた倒木の辺り、木偶人形パペットゴーレムみたいな何かとシオンが切り結んでいた。人形は複数あるけど、メルトは樹上に逃れて弓で支援をしていたのでホッとする。

 こちらを分断してメルトを攫おうっていう作戦か。苦戦している様子のシオンを加勢すべきか一瞬迷う。

 と、彼と何かを言い交わしていたフォクナーが杖を掲げ、叫んだ。


灼虎しゃっこの信託により来たれ、火焔の竜フレイムドラゴン!」


 シンプルな造りの杖がけた鉄の真紅に変わる。ゴオォと唸りをあげて先端から燃える火柱が吹きだし、大蛇……いや、胴長ドラゴンをかたどって、次々に人形を食らっていった。

 巻き込まれないようにかシオンは下がり、僕の前方で火竜が舌打ちしたのが聞こえる。


 かなりの熟練度が必要な、制御の難しい高位魔法だ。フォクナーって自称じゃなく、本当に天才魔法使いだったのか。


「私の魔力を利用するとは」


 火竜が苦々しげに呟き、さらに大きく退いて剣を収めた。

 なるほど、組成つくりが精霊に近いってそういうことか。火竜がここにいることで炎精も活性化しているから、炎魔法の効果も大きくなるんだ。

 人を呑むって聞いたから竜ってもっと暴力的な存在かと思っていたけど、違うらしい。


「貴方はどうしてメルトを狙うんですか?」


 今なら対話ができそうな気がしたので、僕は尋ねてみた。

 でも火竜はこちらを一瞥いちべつしただけで。


「やむを得んな」


 とか何とか自己完結すると、不意にその姿を変化させた。

 赤光がきらめき、成人男性の輪郭りんかくが溶ける。光は紅蓮の色を保ったまま膨らみ、広がり、瞬く間に巨大なドラゴンがその場に姿を現した。その大きさたるや――ほろ馬車よりゆうに大きくて、小型の倉庫にも匹敵するんじゃないか?


 バキバキ、バキバキと、巨体に押された樹木が倒れていく。

 変化のあざやかさと想像以上の大きさに圧倒されて、不覚にも茫然ぼうぜんとしてしまった僕だけど、火竜が首を曲げ折れた樹木を咥えたのが見えてハッとした。


 そうだ、僕は。

 メルトを守らないと――!


 ブンと勢いよく首を振って、火竜が無惨に折れた樹を投げつける。一本ならず、二本、三本と。

 放られた樹は炎を吹いて燃えあがり、シオンとフォクナーがいる辺りに落下した。二人に直撃はしなかったものの、落下した地面に炎が燃え移り、異常な早さで火勢を増してゆく。


 前言撤回だ、暴力的にもほどがあるだろ!


 メルトが悲鳴をあげてフォクナーを呼んでいるけど、燃え広がった炎に阻まれ分断されて姿を確認できない。

 というか、煙と、炎と、熱風で、状況が把握できない。

 目を凝らしてみんなの姿を探すけど、煙が目に沁みて炎が視界と聴覚を遮って――、


「あぁ、もう! どうしてこんな酷いことするんですか!」


 水気のある森の樹木がこんなに一気に燃えるはずがないから、これは暴走だ。いや、暴挙と言うべきか。

 むくむくと怒りが沸き起こる。何とか止めないと、僕らも森も取り返しのつかないことになってしまう。でもどうやって?


 剣は駄目だ、物理的なサイズ差を覆せない。

 魔法は無理だ、彼が中位精霊に匹敵する炎魔力を内包しているのなら、僕に使える二系統はどちらも発動しそうにない。闇精霊は炎に弱いためこの空間から逃げだしているだろうし、炎精霊と相殺してしまう水精霊もこの場に留まることはできないからだ。


 こうなったらもう、僕がやるしかない。

 樹々が立ち並ぶ地形には向かない形態すがただけれど、突破口を開く一助になればいい!


 髪をなぶる熱風を顔に感じながら、僕は意識を集中する。全身が溶け、光へとわる錯覚。手足の形が変化し、肌に感じる熱感が変わる。

 この間、わずか数秒ほど。

 僕の腕は皮膜の翼に、両足は鉤爪を備えた後足に。全身を真っ白なワイバーンに変化させ、僕は暴挙を重ねる火竜の頭上に舞いあがった。


 ひと足先に空中へ逃れていたメルトが、目を見開いて僕を見ている。僕の姿に驚いた――のかと思ったけど、そうではなかった。

 彼女は何かを訴えるように、手に持った弓の先端で真下を示している。

 つられて見下ろした僕は、その理由を理解して青ざめた(顔色は変わらないけど)。


 火竜とさほど変わらない大きさの巨大な熊が、森の中をこちらに向かって走ってきている。物凄いスピードで、道中の倒木や低木を蹴散らしながら。

 濃灰色の毛並みが躍動する全身に合わせ艶やかに波うっていた。

 森を荒らす者たちに怒ったからなのか、それともの匂いを嗅ぎつけたからか。


「リュカさま! お師さまとシオンさまをなんとか脱出させないと!」

『は、はい! メルトはここにいてくださいね、じゃないと、僕があとでフォクナーに怒られちゃいますから……!』


 彼女には一応しっかり釘を刺し、翼を羽ばたかせて僕は降下を試みた。

 こういう場合を想定してフォクナーが僕にメルトを託したのはわかってた。彼との約束を優先するなら、メルトを連れて今すぐ転移魔法テレポートで街に戻るべきだと思う。


 でもやっぱり、こんな状況で二人を置いて離脱するなど、僕にはできそうもない。




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