[7-3]夢のおわり、物語のはじまり


 僕らを取り巻いていた幻想の闇が、ゆっくりほどけて散ってゆく。真昼の陽光ひかりがキラキラと降って、白い身体を新雪のように輝かせている。

 雪ウサギのようにうずくまっていた白竜は、眩しそうに目を細めたままゆっくり頭をもたげた。ふわふわの毛に覆われた長い耳を持ちあげ、背の白翼を膨らませ、サファイアのような目を開いて、不思議そうに辺りを見回している。


「……白竜っ!」


 僕の隣で立ち尽くしていたメルトが弾かれたように飛びだし、白竜に抱きついた。ほぼ同時に、修練場の端にいた火竜の紅蓮ぐれんが人型のままで走ってくる。白竜は目を丸くしたままメルトを見、紅蓮を見、戸惑ったように目を瞬かせて、口を開いた。


『きみは、あの小鳥なの?』

「はい、はいっ。……私、こんなに大きくなっちゃいましたけど、小鳥ですっ! 白竜……会いたかったっ」


 ポロポロと泣きながら首にすがるメルトを、白竜は青くつぶらな瞳でいとおしげに見つめていた。竜は名で呼び合う習慣がないという話を、何だかここでも実感する。

 勢いよく駆けてきたくせに遠慮しているのか、二人をジッと眺めている紅蓮へ、僕は目配せしてやった。

 さあ行け、紅蓮。魔竜ライバルに差をつける絶好のチャンスだ!

 いや、魔竜がどう思っているかは知らないけど。


『よかった、きみが生きのびて、大きくなっていて。……でも、ぼく、どうして? 火竜は砂漠での幽閉がとけたの? どうして魔竜までここにいるの?』


 困惑もあらわな白竜に、紅蓮が意を決したように近づいた。

 その意気だ、頑張れ! などと僕が心の中で送っている声援は、表層心理を読める竜たちに伝わってたりするのかな。ちょっと落ちついて黙ろうか、僕。

 まあ、聞こえていてもそれどころじゃないんだろう。緊張した表情のまま、紅蓮は白竜を見おろして口を開く。(そこ、しゃがんで目を合わせるとかさ!)


「……白竜。詳しい経緯は後ほどゆっくり話すが、とにかくおまえは甦ったんだ。もう誰もおまえを脅かしたりはしない。もしもそんな輩が現れたら、私が今度こそ全力で守ろう」

『そうなの? でも火竜、つぎに暴れたら幽閉じゃすまないぞ、封印だぞって……統括者さまに言われてたよね?』


 せっかく格好いいことを言ったのに、空回った。しかも今にして、何か重大な事実が明るみになったような。

 どういうことだよ、と意味を含めて紅蓮を見れば、かれは気まずそうに視線を泳がせていた。良くわからないけどこの反応、脱獄中とか逃亡中みたいな身柄なのか、もしかして。


「私は、何としてもおまえを取り戻したかったんだ、白竜。……いや、白竜、ではなく。私はおまえを、名前で呼びたいのだが、……どうだ?」

『……名前? でもぼく、竜だから、名前はないよ?』

「だから、名前を贈りたいのだが……駄目か?」

『駄目じゃないけど。あ、ちょっと待ってね』


 コレはアレだ、紅蓮の奴、まだ全然想いを伝えてないというか、絶賛片想い中なのか。もどかしいやりとりに苦戦している紅蓮が可愛すぎて、つい顔がゆるんでしまう。

 僕がニヤニヤを顔に出さないよう頑張っているうちに、白竜はメルトを離れさせて身を起こし、ふわりと翼をはためかせて姿を変えた。

 柔らかく波うつ白髪はくはつとサファイアの双眸そうぼう、背に鳥の白翼と白い羽根耳、白生地を重ねて身にまとった可愛らしい女性がそこに現れる。


「合わせてみた」

「……ああ。似合っている」

「変なの。火竜、ちょっと見ないあいだに人っぽくしゃべるようになったんだね」

「……変か?」


 駄目だ、笑ってしまう。

 空気を読んでそっと僕の隣に戻ってきたメルトが、眉をきゅっと寄せて僕を見あげた。笑っちゃダメ、と言いたいらしい。


「変だけど、わるくないよ。名前……なんて、ひとぎらいな火竜の口から聞くことになるなんて思わなかった。それで、どんな名前なの?」

「私は『紅蓮ぐれん』だ。燃え盛る炎の色らしい。そしておまえは『六花りっか』、空に舞う雪の花だ。……どうだ?」


 大柄でいかつい成人男性の姿をした紅蓮が、小柄で儚げな女性の姿をした白竜の前では、うなだれる子犬みたいだ。修練場の向こうで魔竜が二人の様子をニヤニヤしながら眺めているのが見える。大丈夫か、紅蓮。


「変なの。まるで人がつける名前みたい。でも、いいと思う。きれいな意味と響きで、ぼくは好きかも」

「そ、そうか! 実は考えたのは私ではない。その話も、後ほど順を追って、話してもいいか? はく……リッカ」

「うん、わかった。ありがとう、グレン」


 おぉ、ついにやった!

 拍手を贈りたい気持ちを抑え込み、かわりに僕とメルトは二人でこっそりハイタッチした。いや、公衆の面前だし全然こっそりではなかった。

 僕自身もついこの間、初恋を知ったばかりだっていうのに、いろいろアドバイスしてあげたい気持ちが募っていく。

 待て僕、落ちつけ僕。それよりまず自分のことだろ、ライバルは多いんだし!


「よし、そろそろいいか」

「わ、国王陛下!?」


 竜たちと僕たちの何となくいい雰囲気を遠慮なくぶち壊したのは、ギルヴェール国王陛下だった。紅蓮が怪訝けげんそうな目を陛下に向け、白竜の六花は首を傾げて陛下を見あげる。

 感動的な再会のシーンに堂々と割って入った国王陛下は、意味深な笑みを紅蓮に向けて言った。


「おまえが、人族が竜に害なしたことで怒り、大地を焼いたこと。それによってカルスタ地方が砂漠化し、それを統括者に咎められて砂漠の地下へ幽閉されたこと。父の縁をたどって訪ねてきたロウルにその結界を破らせ、風竜の剣を盗みださせ、エンハランス商会所有の研究施設を破壊したこと。全部、魔竜とロウルから聞いたぞ」

「なっ……はく、リッカの前で余計なことを!」

「グレン、そんなことしてよく封印されなかったね」


 紅蓮、そんなことしてたのか。……というか、樹海化だけでなく砂漠化までも紅蓮の仕業だったのか。

 制御されていない竜の力というのは環境や気象までも歪めてしまうようだ。精霊に与える影響の甚大さは、僕自身もつくづく思い知ったことでもあるし。

 精霊王の統括者は世界のバランスを見守り、保全する役割を担っているという。そんな権力者に咎められたのに、それでも懲りずにメルトを追いかけて森を焼いたのか。


 封印、という恐ろしい言葉が六花の口から出た途端、紅蓮が一気にしゅんとした。

 なるほど。フォクナーやロウルが言っていた『許されない』ってそういうことなのか。人側が危険視して討伐を目論むというだけでなく、世界の管理者から問答無用で罰を与えられる可能性がある、と。

 紅蓮の行動はなりふり構わぬ暴走に見えるけど、今なら僕も何となく理解できる。かれは、自分がどうなろうと絶対に白竜を……六花を取り戻したかったんだって。

 心配そうに見返す六花に陛下は笑顔を向け、言葉を続けた。


「幸いにして死者は出なかったし、火竜が暴れたことによって非道な研究の実態が明るみになり、結果的に益になったということを、俺から統括者に申しあげておこう。その上でおまえたちふたりとロウルの身柄を、当面我国ウチが引き受けてやる。そうすれば、誰もおまえたちに手出しはしないだろうよ」


 その言葉を聞いて紅蓮が一瞬、挑むような目で国王陛下を見た。陛下の真意を探ろうとしたのかもしれない。

 それから、傍らでキョトンとたたずむ六花を見、ため息を吐きだすように答える。


「それでリッカが脅かされることなく、安全に暮らせるのであれば。私は、それでいい」

「うん、ぼくも異存なしです。ありがとう、人の王さま」


 ふたりの合意を確認して国王陛下は満足げに笑い、それから僕とメルトに視線を傾けた。


「ヒムロによれば、問題なく再構築がなされたとはいえ、白竜には十分な休息と魔力の補給が必要らしい。再会で募る想いもあるだろうが、まずは休ませてやろうぜ。メルトの保証人についての話もしたいしな」

「私の保証人、ですか……?」

「そういう話が出ているんだ。これからどう生きていくにしても、国民証があれば国家の保護と保障が受けられる。だが、おまえの師匠フォクナーは国を持たない流浪者だから、保証人にはなれない。それでヒムロがおまえとフォクナーの保証人になって、ルーンダリアの国民証を出してやろうか、とな」


 これは僕が昨日の夜、兄さんに相談したことだ。国民証さえあればどこに行ってもルーンダリア国の保護を受けることができるし、学校へ通うこともできる。

 もちろん、定住するか旅を続けるか選ぶのはメルトだけど、特殊な産まれゆえに自由を奪われていた彼女が今度こそ幸せになれるよう、選べる道は多いほうがいいと思うんだ。

 メルトは困惑したように陛下を見返し、それから視線を落として考え込む。


「何、今ここで結論を出さなくていいさ。国民証の利点についてイメージできないなら、リュカに聞けばいいし、おまえの師匠に相談してもいい。な、リュカ」

「は、はい! 大丈夫ですよ、メルト。わからないことは僕が教えますから」

「……はい」


 陛下は僕に目配せし、それから紅蓮と六花を連れて城のほうへと戻っていった。修練場に集まっていた他のみんなも戻ったらしく、残っているのは僕ら二人だけ。

 辺りにはすでに儀式の名残もなく、夢から醒めたような気分と終わりの安堵感が混じった不思議な疲労感が胸を満たしている。


「これで、ひと安心ですね。これからはお城にくればいつだって、紅蓮や六花と会うことができそうです。メルトもお疲れさまでした」

「リュカさまこそ、一緒にいてくださってありがとうございました! 私、……安心したら、おなかがすいてきちゃいました」


 恥ずかしげに視線をうつむけながら告げる姿が愛らしすぎて、僕はつい笑ってしまった。

 やっぱりメルトは、すごく可愛い。こんな可愛い子が学院に転入してきたら、ルドどころじゃなく、男子学生がみな色めき立つのは目に見えている。


 紅蓮の恋を心配してる場合なんかじゃなかった。

 僕はメルトにまだ、ちゃんとした形で想いを告げてはいないのだから。


「……あのですね、メルト。僕もお腹がすいてきたので、今から一緒に街に出ませんか? お勧めのカフェレストランがあるんですよ。そこで何か食べながら、今後のこととかも話しませんか?」

「あ、いいですね! それなら、お師さまやルドさまも誘いましょうか」


 嬉しそうに目を輝かせるメルトの反応に、僕は失敗を悟った。

 余計な理由づけなんて要らないじゃないか。回り道ばかりしていては、いつまでもたどり着けるわけがないんだ。

 小さく息を吸い、意を決する。

 僕は、君に、伝えたい言葉があるんだ。


「いいえ、僕は……メルトと二人だけで、デートに行きたいんです。僕は、君が、世界中の誰よりも大好きです」


 格好いい決め台詞も、ロマンチックな口説き文句も浮かばなかった。飾り気ない告白は、今、僕の内側を満たしているまっすぐな想いだ。

 瑠璃藍アズライトの両目が、大きく見開かれる。白い肌が朱に染まり、そうして彼女は――花が開くように笑った。


「あの、リュカさま。私も、リュカさまが大好きです。……一緒にデート、行きたいです!」

「はい! じゃ、全力でエスコートしますね!」


 心は、鏡合わせみたいなものなのかもしれない。

 彼女から返された言葉も同じく、まっすぐな想いだった。


 歓声をあげて踊りだしたい気分をグイグイ押し込み、僕はそっとメルトの手を取る。触れ合った指からじわりと熱が広がってゆく。

 僕の想いと彼女の想いが、混ざりあって広がってゆく。


 これから先のため、考えなければならないことはまだ沢山あるけれど。

 今日だけは、二人の時間を大切に過ごそう。


 僕と彼女の恋物語は、まだ始まったばかりなのだから。



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