[7-2]願いと祈りを歌に編んで


 そうして迎えた当日の朝。それぞれに身支度を整え朝食を終えた僕たちが兄の案内で向かったのは、魔法の研究室ではなく兵士たちが訓練などで使う修練場だった。

 大きめの箱を抱えたロウルが修練場の真ん中にいて、離れた場所には火竜の紅蓮ぐれんと魔竜の千影ちかげの姿も見える。


 ルーンダリアの城に数日滞在してわかったことだけど、この城には騎士たちの姿があまり見られない。ギルヴェール国王は出自や身分をあまり気にせず、能力とやる気で雇用するかを決めるタイプのようだ。多種族混合の商業国家というカラーのルーンダリア国に合った方針なのかもな。

 元は流れ者だった兄が宮廷魔術師なんて立場についているのも、陛下のそういう方針ゆえなんだろう。


「俺は最後の準備終わらせるから、おまえたちはそこの休憩所で待機しててくれるか」

「はい。でも、満月なら夜まで待つんじゃないんですか?」

「満月ってのは暦的なもので、夜じゃなくても大丈夫なんだ。……まあ、任せておけって」


 兄に自信ありげな笑みを向けられたので、僕はメルトと顔を見合わせうなずき合った。魔竜から魔法を学び、大国の宮廷魔術師として抜擢ばってきされるほどの兄さんが、任せておけと言っている。これほど心強いことはない。

 兄が修練場のほうへ行ったのと入れ替わるように、シオンが姿を現した。僕らを認めて表情を和め、休憩所の方にやってくる。


「おはよう、リュカ、メルト。……これ、ロウルから預かってきたんだ。メルトなら歌えると思うから、今のうちに見ておいてくれるかな?」

「歌、ですか?」


 不思議そうに首を傾げながらシオンが差しだす紙束を受け取ったメルトは、視線を落としてそれを読みだした。

 ぱっと見は呪歌に似ているけれど、違うものなんだろうか。紙面を追う彼女の瞳を見るともなしに見ていると、シオンがお茶を出してくれた。


「おれもよくわからないんだけど、ロウルによれば『竜の歌』というものらしいよ。竜の言葉を人は読めないから、呪歌じゅか風に翻訳したらしいね」

「竜の歌……。儀式に必要なんですかね?」

「たぶんね。最初は『反魂』の禁術式に基づいたやり方でするつもりだったけど、魔竜と氷室ひむろ氏の提案で『再構築』の魔術式を応用することにしたらしいから。……いずれは風竜のためにも転用できればって言ってたよ」


 シオンが言い淀んだわずかの間に彼の複雑な思いが表れているように思えて、僕は黙って彼を見る。

 一千年以上も前のこととは言え、伝承のせいで和国での『龍』はいまだに退治されるべき悪者のままだ。その意識を変えるなんて個人には過ぎた改革だし、ロウルもそれを望んでいるわけではないだろう。

 それでも、ロウルや竜たちを個人的に知ったシオンが「いつか風竜もよみがえらせてあげたい」と願うようになったのは、うまく言えないけど大きな前進だと思う。


「大丈夫です、シオンさま。これなら歌えそうです」


 真剣に歌詞を読み込んでいたメルトが空気を読まないタイミングで顔を上げて言ったので、僕とシオンは思わず笑ってしまった。キョトンと目を丸くする彼女に割り切ったような笑顔を向けて、シオンは口を開く。


「良かった。メルトは当事者だし、プレッシャーも不安もあると思うけど、気負わず自然体でね。いにしえの竜は人族と違って、身体の再構築は難しくないそうだから」

「わかりました。私、白竜のためにがんばりますね」


 メルトの素直な応答に、シオンはどこか安心したように微笑んだ。

 全部を一度に変えるのは無理だろう。だから、今できることを確実に、ひとつずつ。そうしていつかはルーンダリア国だけでなく、ライヴァン帝国や和国ジェパーグでも竜たちが脅かされずに生きていけるように。

 今日はその未来に向けた大切な第一歩、大きな転換点なのだから。





 広い修練場のならされた地面に、兄さんが錫杖の先で複雑な陣を描いてゆく。ロウルがその後ろをついていき、手に持った紙を確かめつつ地面に何かを置いている。

 遠目には宝石のように見えるそれは竜石とも呼ばれる魔石の一種で、紅蓮ぐれんが焼け跡に撒いていたものと同じらしい。

 僕が――というか人族一般が知らないだけで、いにしえの竜たちは世界中にいるんだそうだ。紅蓮や千影はかれら独自の通信手段ネットワークを利用して、ここ数日間でそれらの竜から魔石を集めていたのだということだった。


 火竜のルビーは命の炎。地竜の翡翠は再生の力。自我こころを呼び戻すのは月竜のムーンストーン。再構築のベースには氷竜の氷晶石クリオライトで。それらを結びつけ奇跡を喚ぶのは魔竜の紫水晶アメジストと銀竜の黒銀河石ブラックオパール。価値を換算すれば計り知れないほどの稀少な宝石を惜しげもなく使いながら、兄さんとロウルは魔法陣を描きあげていく。

 それぞれの竜石に役割があるように、置かれた位置にも意味があるんだろうか。全部終わったら、兄さんに聞いてみようかな。


「さて。俺も立ち会うか」


 夢中で魔法陣構築を眺めていたら、いつの間にか国王陛下が隣に来ていた。シオンの姿は消えている。……最初期のトラウマをまだ引きずってるんだろうな、可哀想に。


「おはようございます、陛下。この度はいろいろ計らってくださり、本当にありがとうございました」

「おまえは一々いちいち律儀だな。恩返ししたいなら、身体で払ってくれてもいいが?」

「……身体で? 雇用の話ですか?」

「ギル! ふざけんな!」


 国王陛下が台詞を続ける前に、兄さんが大声を上げて走ってきた。大きな耳も太い尻尾もピンと立てて、国王陛下につかみかかる。


「リュカに手ぇ出すとか俺が許さねえからな!」

「え? どうしたんですか、兄さん?」

「リュカは下がってろ! ……この節操なしの、猛獣がッ」

「待て待て、ヒムロ落ち着け、首を絞めるな」


 尻尾の毛を逆立てて怒ってる兄さんと、余裕の笑みでいなしている国王陛下。わかったようなわからないような気分だけど、そういうことなんだろうか。

 僕自身はともかく、節操なしの国王陛下がメルトに目をつけたら大変だ。

 陛下は要注意人物……と僕は心に書き留め、戸惑って目を丸くしているメルトをそっと背中にかばう。


「とにかく! ギルは仕事サボってねぇで執務室へ行けよ!」

「こんな面白いイベント見逃したら勿体ないだろ。大丈夫だ俺も儀式の成功を祈ってやるから」

「……絶・対! リュカに触んなよ!?」

「わかった、わかった」


 物凄い剣幕で陛下に念押ししたあと、兄さんは耳を下げて僕を見た。困ってる……のではなく、これは緊張してるのかな。


「リュカ、いよいよだ。おまえも……成功祈っててくれよな」

「はい、わかりました。兄さん、宜しくお願いします」

「ああ」


 ホッとしたように笑ってから、兄さんはその表情のままメルトを見る。


「何も危険なことや怖いことはないから、大丈夫だ。宜しく頼むぜ、メルトちゃん」

「はい、大丈夫です。がんばります」


 立ちあがったメルトが兄さんにいざなわれ、魔法陣のほうへと向かう。それに気づいたロウルが目を瞬かせ、それから僕を指差して言った。


「リュカも一緒でいいと思う」

「……え? 僕が、何ですか?」


 唐突すぎて意味がわからない。が、それは兄さんも同じだったみたいで、聞き返した。


「リュカを? 何に?」

「彼女と一緒に。リュカ、雪だから、共鳴できると思う」

「ああ……なるほどな」


 何がなのか僕にはわからないけど、兄さんはわかったみたいだ。僕を振り返り手招きするので、急いで立ちあがってそちらへ向かってみる。


「リュカ、彼女と一緒に魔法陣の中央に立ってくれ。二人、手をつないでくれるとなお良しだぜ」

「は、はい! メルト、なんかよくわからないですけど宜しくです」

「あっ、はい、こちらこそよろしくです」


 兄に促されるまま二人で立ち、向かい合って片手をつなぐ。視線の下、すごく近い場所に彼女の顔があって、公衆の面前だというのに僕の心臓は破裂しそうだ。

 思えば、火竜に対抗しようといにしえの竜に変化した時、僕は白竜の姿をかたどった。

 共鳴するって意味はわからないけど、僕がここにいて成功率が上がる、もしくは再構築の過程が安定するのなら、役立ちたいよな。


 兄さんが僕ら二人の足元に文字を書き加えていく。うっかり踏み消しちゃうような位置ではないけど、やっぱり緊張する。

 少し潤んだ瑠璃藍アズライトの両目で僕を見あげているメルトも、もしかして同じ気持ちなのかな。


「大丈夫ですよ、メルト。成功させましょうね」

「はい。リュカさまと一緒なら、絶対うまくいきそうです」


 お互い言葉を交わし、うなずき合った直後。

 足元と、修練場に描き広げられた魔法陣が、燃え上がるように発光した。思わず手を握り合わせた僕らを取り巻くように、銀光をはらんだ闇の帯が広がってゆく。

 真昼に降りる、夜空の幻想。

 ガラス細工の鈴のようなかすかで透明な音が、僕らのいる空間に満ちてゆく。それに被せられるように響きだすのは、振動のような重低音。最初は何かの楽器に思えたそれがロウルと竜たちの歌声だと、ややあって気づく。

 メルトがはっとした表情で片手に持っていた紙を掲げ、僕を見た。そして、かれらの歌に合わせるようにゆっくりと歌いだす。



  うたえ、いのちの輝きを

  願え、ましろき夢の顕現けんげん


  我らはが魂に くすしき願う心をたま

  いにしえより さだめられし星の約定

  人が想い かたちをあたえ

  祈りは銀河そらへ届き 哀しみの運命かこをくつがえす


  ここに、願いは束ねられ

  ここに、時は来たれり


  いざや叶えん この祈り

  竜のことばでえがかれし しるべの歌にもとづきて

  われらが歌姫ひめの のぞみのままに

  いざやきたらん ましろき竜よ


  今、ここに

  今こそ、ここに



 その歌は、共通語コモンではなかった。魔法を行使するときに使われる精霊語でもなく、少なくとも僕がこれまで一度も学んだことのない言語だ。

 それなのに、その歌詞は僕の心へまっすぐ入ってきて形をなしてゆく。

 メルトのキラキラした瞳が僕を見ていた。透明で優しい彼女の声が耳の奥まで入り込み、胸を満たして、心を震わせる。

 その誘いかけにあらがえず、僕の唇はいつの間にか知らないはずの歌を口ずさんでいた。


 僕らの周りで踊る、闇と光の幻想。

 夢を見ているのか、それとも現実なのか、周りで見ている人たちに僕らがどう映っているのか、まったくわからないまま――。


 夜銀の闇を押しのけるように、真白い鳥がゆるりと翼を広げるように。メルトの身体から抜け出た雪の破片がふわりふわりと集まって、白くやわらかな形にこごってゆく。

 既視感のあるその姿はメルトの心を揺さぶったんだろう……歌い続ける彼女の目には今、こぼれんばかりの涙がたたえられていた。


 ――白竜、と。


 僕が声を漏らしたのか、メルトが囁いたのかわからない。

 祈り歌の余韻が残る闇色の中、僕が変化へんげしたあの小型竜とまったく同じ姿の白い竜が、そこに姿を現したのだった。



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