最終章 願え、ましろき夢の顕現を

[7-1]白狐の兄と故郷のこと


 中庭から戻ってメルトと別れ、割り当てられた部屋へ向かっていたら、廊下に立つ白い人影が目に入った。背の高い痩身そうしん、白っぽい狐の耳と尻尾――ヒムロ兄さんだ。

 僕の部屋の前にたたずんでいるところを見ると、僕に会いにきたのかな。


「兄さん、どうしたんですか?」


 声をかけると驚いたのか、びくりと耳を震わせてこちらを見た。太くて長い尻尾が、廊下の薄暗がりの中でゆらゆら揺れている。

 何か重大な話があるのだと……と言うか、その内容も何となく察してしまう。


「リュカ、遅い時間に悪いな。ここ数日、時間がなくって全然話もできなかったからさ。明日の準備もようやく終わったし、少し話したいと思って」

「はい、大丈夫ですよ兄さん。兄さんこそ、遅くまでおつかれさまでした」


 遠慮がちに話す兄さんに不安を与えたくなくて、僕は笑顔で応じた。

 僕はヒムロ兄さんをハッキリと覚えているわけではない。それで、兄さんのこの遠慮が生来のものなのか、僕に向けた何らかの感情の表れなのかを判断できずにいる。


 深夜というほど遅くはないけど、廊下で立ち話をする時間でもないので、僕は兄さんを部屋へ招き入れた。酒でも飲み交わしながら話せればいいのだろうけど、明日のことを考えるとそうもいかない。

 かわりに僕は温かな紅茶を淹れてソファに座る兄さんに出した。応接室ではないためソファは三人掛けのが一つだけで、必然、僕は兄さんの隣に腰を下ろすことになる。

 改めて思えば、再会してからこうして二人きりの時間を過ごすのは、今がはじめてかもしれない。


「リュカは……憶えてないんだっけ」

「……はい、ハッキリとは。ごめんなさい」

「仕方ねぇさ。アレは、ほんとに、小さい頃だったからなぁ」


 そう言って紅茶に口をつける兄さんの瞳は、どこか遠い場所を見ているように思えた。

 僕が知っている僕自身の過去は、養父が教えてくれた『海賊船に捕まっていた』という事実だけだ。そこに至るまでの経過も、海賊から救いだされたことも、僕は自分の記憶としては憶えていない。

 僕を『冬雪ふゆき』と呼んだ兄さんは、当時のことを憶えていて、僕を捜していたのだと言った。


「本当はさ、憶えてないなら思いださなくてもいいと……俺は思うんだ。でも、おまえは、気になるだろうと思って。……その、家族のこととか」

「……はい。僕も、聞かなきゃって思ってました」


 再会したのはメルトがさらわれた直後で、僕自身も気が動転していたし兄さんも忙しかった。ルーンダリア城に戻ったあとも、魔法効果が最大になる満月の日までに準備をしなきゃいけないと言って、兄さんはロウルや魔竜と一緒にずっとこもっていた。

 聞きたい、という思いはあったけど、時間を置くにつれて聞くのが怖くなっていったのも、正直な気持ちで。

 兄さんはそれをわかっていたのだと思う。

 だからきっと僕が尋ねるのを待たず、こうやって話にきてくれたんだろう。


「察しの通り、俺とおまえは和国ジェパーグの出身だ。森に近い辺境にあった妖狐の村で、父さんと母さんと俺とおまえ、四人で暮らしてた」


 紅茶で喉を潤しながら、兄さんがポツリポツリと語っていく。ジェパーグは小さな島国で、全方位を海に囲まれ山も多く緑豊かな国だ。大陸とは限られた国家との国交しかないが、自給自足で成り立つほど水源も資源も十分にある。

 慎ましやかであるが、閉鎖的な島国。それゆえに、かの国は外からの脅威に対し非常にもろい。有りていに言えば世間知らずなのだ。

 もちろん和国の民はそんなふうに思ってはいない。兄さんはルーンダリア国の宮廷魔術士としてギルヴェール国王と付き合いを深めるうちに、そう思うようになったのだという。


「ルーンダリアとジェパーグは国交もないから、当時のことについて、切っ掛けが何だったかは調べようがなかったけど、あの日……村は海賊の襲撃を受けて壊滅した。大人たちは殺され、散り散りになり、子供たちはさらわれて……俺たちの父さんと母さんも……」

「……はい。何となく、わかってました」


 国交がないと言っても、手紙が届かない場所ではない。生きのび、逃げのび、魔竜の後ろ盾を得て強くなった兄さんが、それでも故郷には戻らずルーンダリア国に留まっていることから――きっとそうなんだろうとは思ってた。

 父さんの顔も、母さんの顔も、僕は憶えていない。

 あの日、村を襲った惨劇についても、恐ろしい海賊についても。何ひとつ思いだせないのに、それなのに。


「……リュカ、ごめんな。辛いな」


 兄さんの腕が優しく僕の肩を抱く。胸が、喉の奥が、圧迫されるように苦しかった。何ひとつ憶えていないのに、込みあげてきた嗚咽おえつとあふれ出した涙を止めることができない。

 一度決壊してしまったら、あとは号泣だった。

 腕をまわし抱きしめてくれた兄さんの温もりに甘えて、僕は子供みたいに声を上げて泣き続けた。





 全力の号泣っていうのは長く続かないもので、五分もたたないうちに涙も嗚咽おえつも引いてくる。そうしてようやく落ち着いた僕は、冷えてしまった紅茶を淹れなおし、気分を改めるように兄さんの隣へ座り直した。

 夜も更け、お城の人たちはみな寝静まったのか物音も聞こえてこない。兄さんの尻尾がソファを擦るかすかな音だけが、僕の耳に聞こえてくる。


「ごめんなさい、ヒムロ兄さん。僕、兄さんに情けない姿ばかり見せてる気がします」

「いいんだよ。リュカは弟なんだから、甘えてくれよ。おまえが生きててくれただけで、俺は……」


 声を詰まらせ、僕の頭を優しく撫でて兄さんは照れたように笑った。その心底安心したような表情から、兄さんがどれだけ僕を気にかけてくれていたかがうかがえて、胸の中がじわりと温かくなってゆく。

 養父や義兄たちから疎外感を感じたことはなかったけど、それでも旅に出てよかった。

 メルトと出会い、いにしえの竜について知り、兄さんと再会して……きっとこれから昔のことも少しずつ思いだしていけるだろう。


「僕も、兄さんに会えてよかったです。それにしても凄いですね、国王陛下。ちょっと会って話しただけなのに、兄弟だとわかるなんて」

「ギルはさ、アレで結構部下思いだからさ。シオンを追いかけ回してたのも、アイツを切っ掛けに和国との国交を開いて、俺が故郷に行きやすくしようって考えだったみたいだし」

「え、そうだったんですか?」


 てことはやっぱりシオン、初期段階でもう身バレしてたのか。でも確かに、和国についてまったく知らない相手ならともかく、側近に和国出身者がいれば色々わかってしまうよな、とは思う。

 それはそれとして、国王陛下はやり過ぎだとも思うけど。


「そうだったんだよ。ジェパーグは鎖国もしてるから、転移魔法テレポートじゃ行けないからさ……。ま、宝剣の件についても、俺ならレプリカ造れるから技術提供って形とか、色々考えてるらしいぜ」

「もし国交が開かれるなら、兄さんはジェパーグに帰るんですか?」


 やっぱり故郷に帰りたいのかな、と思って尋ねた問いに、兄さんは遠い目をして曖昧あいまいに笑った。


「いや、帰郷じゃなく旅行だな。なんだかんだで俺はギルが好きだし、……帰る家はもう、ないからさ」

「……そうですよね」

「おまえこそ、この件が終わってから予定とかあるのか? 何なら、俺が口添えするから、この城で働かないか?」


 明るい口調で兄さんが話を切り替えたので、僕も、ネガティブな思考は振り払うことにする。大切なのは今で、これからだ。僕や兄さんだけでなく、メルトや竜たちがこれからも笑って過ごせるように、僕らはこれからを築かなくちゃいけない。


「実は僕、考えてることがあるんですよ。兄さん、相談に乗ってもらえますか?」


 兄さんの振りは、ここで一緒に暮らそうという誘いだったのかもしれない。だから僕の持ちだしたはきっと、予想外だっただろう。

 僕の話を最後まで聞いた兄さんは、切れ長の目を見開いて僕を見つめたあと、優しく笑って「もちろん協力するぜ」と返してくれたのだった。



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