[2-2]月下の逃亡劇とその顛末


「国王陛下……って、ルーンダリア国王ギルヴェール陛下?」


 メルトを抱きしめたまま頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出して、僕は気がついた。

 そうだ、ここの国王は魔族ジェマの希少部族・鳥獣王グリフォンの部族だった。


「メルト、大丈夫ですよ。あの方は魔物モンスターじゃなくて、グリフォンに変化へんげできる魔族ジェマなんです」

「えっと、国王陛下……ですか? でもどうして」


 本当、どうしてなのかは僕も知りたい。国王陛下って普通、お城で護衛の兵士に守られて政治を行うお役目じゃなかったっけ?

 人喰いの魔族ジェマ――昔と比べて今は随分少なくなったという――であればのためとも考えられるけど、ルーンダリアの国王は他種族への加害行為を禁じているはずだ。でなければ僕だってこの国に滞在したりはしない。


 そこに思い至ってメルトが余計に怖がってるんじゃないかと心配が募ったけど、驚きのほうが強かったからか彼女の瞳から怯えの色はなくなっていて、僕は少し安心した。

 腕を解き、手近な場所にあったロングタオルを取ってメルトの肩にかけてあげて、促すよう肩を支えながら窓へと向かう。


 時刻はもう夜。辺りは暗く、半分満ちた月が通りに立つ人影を淡く照らし出している。僕から見て右手方向に、二人の影。左手方向に、大きなグリフォンと一人分の人影。


「……フォクナー、どうしてここに?」

「偶然、ってか、精霊の采配さいはいかもね」


 右手側はフォクナーと、彼の友人だという人物のようだ。淡い夜光では輪郭りんかくすらも夜闇に溶けて容姿などは確認できないけど、若い男性の声をしている。


「貴様、陛下に向かって光撃魔法シャイニングフォースを放つとは」


 左手側の人影が言う。

 大きなグリフォンが陛下なら、きっと従者か護衛だろう。


「陛下なら、僕の魔法なんか大して痛くないでしょ。そうでもしないと聞く耳持たない様子だったし」

「当たり前だ。陛下にあの程度の魔法が効くわけないだろう……って誤魔化すな」

「そっちこそ、彼が何をしたって言うのさ」

「知らないのならそこを退け、かばい立てするなら貴様も仲間だと――」


『まあ、待て』


 従者とフォクナーのやりとりに割って入ったのは、低く強い声だった。鼓膜ではなく身体の内側に直接届くような聞こえ方で、グリフォンが言葉を発したのだとわかる。

 金色の幻獣は頭をひと振りすると溶けるように姿を変え、長身の男性になった。

 月光の下でも際立つ金の長髪を一つに括って後ろに流している。立ち襟の宮廷服を着こなし、腰には長剣。はっきり顔が見えるわけではないけど、その立ち姿からは迫力がにじみ出ていた。


「おまえ、その泥棒と友人なのか?」

「泥棒、って……シオン、どういうこと?」


 振り向いたフォクナーに問いを向けられ、シオンと呼ばれた彼は困ったように頭を掻いたようだった。


「誤解だよ。おれは何もしてない」

「ならなぜ逃げた?」

「それは……怖かったから、デス」


 雷の迫力が込められた陛下の問いに、怯えたような声で彼が答える。

 確かにアレは怖い。

 現に僕も、理性を押し退けて本能がと警告してたもんな。


「……そもそも、わざわざ姿事態とか。一体、どんな宝を盗まれたのさ」


 若干呆れ気味な声でフォクナーが問えば、陛下はふふんと楽しげに笑う。

 

「そいつが隣国ゼルスのスパイだという情報があってな。調べてみれば、城に泥棒が入った直後に仕事を辞め、住居を引き払っているじゃないか。ならば直接事情を聞いてやれと出向いたところ、城への同行を拒否して逃げ出す始末だ。それなら力尽くでと……」

「ちょ、待ってください! いきなり宿に踏み込まれて捕まえられそうになれば、誰だって逃げますよね!?」

「釈明は城でゆっくり聞いてやると言っただろう?」

「それ、拷問されたくなければキリキリ吐けって事じゃないん……ですか?」


 夜更けの往来で何をやってるんだろう、この人たちは。

 頭が冷えてきた僕はいくらか平静さが戻ってきて、そんな心配がよぎるくらいには余裕が出ていた。とりあえず、殴り合いにならないなら家に入ってもらった方が良さそうだ。


「拷問されたくなければキリキリ吐け、隣国ゼルスの泥棒猫」

「やっぱりそうじゃないですか。というか、おれ、泥棒猫じゃないですから。ただの善良なイチ出稼ぎ民です!」

「あのさ、全然わからないから、順追って説明してくれない?」


 ついにフォクナーがツッコミを入れ、国王陛下の視線がこちらに向いた……気がした。びくりと肩をすくませるメルトをかばうつもりで抱き寄せ、僕は彼らに声をかける。


「ひとまず入って、落ち着いて話をしませんか。国王陛下」

「そうだな。そうするか」


 月下の貴人は、僕の誘いに上機嫌に笑った――ように見えた。

 




 くしゅん、と、僕の腕の中でメルトがくしゃみをした。

 あれこれ騒いでいるうちに彼女の髪と翼はすっかり乾いてしまったようで、冷え切った身体が震えているのが心配なんだけど。


 国王陛下と従者はきちんと玄関から(一介の短期移住者である僕の家に!)入って来て、今はリビングのソファに座っている。

 テーブルを挟んだ向かい側にはシオンとフォクナー。僕はメルトを寝かせてあげたいんだけど、家主がこの場を離れるわけにもいかない。


「フォクナー、……メルトが」


 悔しいけど彼女の体調には替えられない。僕が小声で呼びかければ、彼は察したように立ちあがってこちらに来てくれた。


「僕は陛下にお茶を出します。フォクナーはメルトを寝かせてあげてください」

「うん、了解。タイミング悪かったからなー、風邪ひかないといいけど」

「……お師さま、リュカさま、ごめんなさい」


 彼女は、どうにも謝りすぎな気がする。

 僕もフォクナーも(たぶん)打算的な考えなどなくって、彼女の助けになってあげたいだけだ。それは恋心……なのかもしれないし、もしかしたら同情とか親愛とか友情とか、なのかもしれないけど。

 どんな感情であれ、そうする、というので間違いないはずだ。


「大丈夫ですよ、メルト。国王陛下には僕が事情を聞いておきますから、ゆっくり休んでください」

「はい、ありがとうです……リュカさま」


 言いたいことは色々浮かんでくるけれど、今は早く身体を休めて欲しい。その付き添いを僕ができなくて、フォクナーに任せるっていうのはちょっと……いや凄く悔しいけど。いや、でも下心を疑われるくらいなら自制するさ。

 僕は、あまり笑顔を見せない彼女にもっとリラックスして欲しい。そのために一番適役なのは、彼女が慕ってる師匠フォクナーだってことくらいわかってるから。


 二人が客用の寝室に行くのを見送ってから、急いでお湯を沸かす。

 リビングでは、陛下とシオンが何やら深刻な話をしているようだった。そこに割って入っていいものかどうか迷いつつも、貴人を放置して寝るわけにもいかないので……僕は四人分のお茶を用意してソファの方へ向かった。


 陛下の雷色の目が、僕を見て笑う。

 そんな一々いちいち凄まなくってもいいのに。


「陛下、どうぞ。……お口に合うかはわかりませんが、紅茶です」

「おう、ありがとうな。ま、何も構わなくていいからおまえもそこに座れ」


 全員の前にティーカップを置き、僕は促されるままにシオンの隣へ腰掛けた。向かい側に陛下がいるので、つい背筋を伸ばして姿勢を正す。


「……それで、結局、何だったんですか?」

「あー、誤解だった。悪かった」

「……はぁ」


 国王陛下相手に失礼だと思うけど、無意識に声が出ちゃったんだから許して欲しい。

 安息の夜を騒がせた挙句、誤解だったって何、どういうことだよ?


「探られて痛くない腹なら、素直に出頭すれば良いものを」

「まあそう言うな。隣国ゼルス籍ってだけで拷問にかけられると勘違いする気持ちはわからなくもないさ。誤解はお互い様だったようだし、今回はとにかくタイミングが悪かったんだ。……それに、収穫もあったしな」

「すみません、陛下。その件に関しては、おれの一存では引き受けられないんですが」


 突き放したような従者の物言いと、悪びれる様子のない陛下の態度に、困ったように眉を下げるシオン。

 ようやく明かりの下で見た彼は、先の尖った耳、濃紺の髪の魔族ジェマ青年だった。紫の双眸は疲れたように笑っていて、物柔らかな雰囲気をかもし出している。


 どう見ても泥棒とかスパイとかには見えないのに、陛下に勘違いされて本気で追いかけられたとか。

 何か抗えない星の下にでも生まれてしまったんだろうか、彼。……とつい失礼な方向に思考が脱線し掛かったところで、陛下が口を開いた。


「俺も城に帰らねばならんのでな。用件だけ話していくから、明日にでも話をまとめて城に報告を入れろ。それでチャラにしてやる」

「え、チャラ? 誤解だったんじゃないんですか?」

「いいから、口を挟まず聞け」


 僕のツッコミは当然の疑問だと思うし、一々いちいち凄まないで欲しい……本当に。

 と思っても流石に面と向かっては言えず、僕は渋々頷いて口をつぐんだ。

 事情を知っておきたい気持ちもあるし、困っているならできることがあれば――と思ったのも本当で。


 そんな僕の予測をはるかに飛び越えて、陛下が持ち込んできたのは、ひどく厄介な事案だった。



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