第六章 過去に出逢い、未来を想う

[6-1]望郷の心と朧に霞む過去のこと


 夕飯のあとに報告会をし、それから今後の方針やらあれこれ話し合っていたらいつの間にか深夜になっていた。だからといって寝過ごすつもりはなかったのだけど、朝に僕を起こしに来たのは意外な人物だった。


「リュカ、朝の鍛錬たんれんに付き合わんか?」

「え? あ、はい?」


 普段の起床時間より一時間ほど早い。ジウが竹で作った剣と長棒を持って起こしに来たのは、朝霧がまだ晴れていない早朝だった。


「いいですけど……でもなぜ僕?」

「お前は基礎をきっちり仕込まれた剣筋のようだから、手合わせしてみたかったのよ」

「そうですか。もうだいぶ、我流になってますけどね」


 昨日は火竜と仕合って今日は僕。

 ジウの鍛錬に対する熱心さは、凄まじいものがある。


 僕は長剣を扱うけど、ジウの得物は長槍だ。剣と槍では扱い方が違ってくるし、鍛錬になるのだろうかと思ったけど、それを聞いたらジウはにかりと笑って言った。


おれは元々の継承者でな。長槍は扱うものの得意ではないのだ。獣や魔獣相手ならともかく、傭兵稼業で一々いちいち熊になってもいられんから、槍裁きにも熟達しておきたいのよ」


 なるほど、不得手分野の克服というわけらしい。

 朝から体力を消耗しすぎるのも良くないので、僕らは時間を決めて打ち合いをし、それから休憩しつつ改善策を話し合うことにした。実戦で身体に覚え込ませるのも大切だが、自分の癖を分析するのも重要、とは剣の師匠でもあった父の言だ。

 そうして朝の一時間はあっという間に過ぎていき、ジウの家の煙突から薄く煙が立ちのぼりだす。シオンが朝食の準備をはじめたのかな。


「ジウは、普段は旅をしてるんですか?」

おうよ。ここは故郷ではあるが、今は住む者もおらんのでなぁ」

「ここは武術派の隠れ里……でしたっけ」


 ジウから詳しく聞いたわけではないけど、彼の部族は辺境住まいという環境もたたってか、高齢化が進み後継者がいなくなり、ジウを残して血筋が絶えてしまったらしい。

 地所があっても人がいなければ暮らしていくことはできない。ジウが村を出たのは当然としても、定住を望まず旅を続けているのはなぜだろう、と思う。


「ああ。当初は魔族ジェマの危険から逃れるため隠れ住んでいたらしいが、時代の趨勢すうせいについてゆけず廃れてしまったのよ。今はもう、徒手空拳の使い手はおれしか残ってはおらん」

「そうなんですね。それで、旅を?」

「旅と言うと語弊ごへいがあるやもしれんな。おれは腕を磨き功徳くどくを積むのが目的で、そのために各地を回っているのだ」

「功徳……?」


 聞き慣れない言葉につい聞き返せば、彼は大きく頷いて視線を空へと向けた。


おれはいつか、獣人族われらが王の聖地へと至り、一族復興の願いを叶えてもらうのよ。ゆえにな、鍛錬は怠らず、助けを求めるものあらば力を貸し、強き者と立ち会って腕を磨くのだ」


 暗緑色の瞳に強い光を宿し、ジウは獰猛どうもうわらう。その迷いない表情は、彼の決意が本物だと証ししていた。

 故郷とは、血族とは、それほどに強い想いを抱かせるものなのかと。その感傷は僕にとって未知で、それゆえにほんの少しのおぼつかなさを想起させる。


 血のつながりはなくても人間フェルヴァーの父は僕にとっての憧れで、かけがえのない家族だった。父亡き後でも僕の故郷はライヴァン帝国であるという気持ちは揺るがない。

 でも、時々――考えてしまう。

 僕の故郷は。僕の、本当の家族は。僕を海賊に奪われたことで……泣いているんじゃないか、って。そんな時、過去を思いだせない罪悪感が僕の心をちくりと刺すんだ。


「ジウは、自分の故郷に誇りと愛郷心を持っているんですね」


 口をついた言葉が、また少しだけ胸を刺した。

 僕もいつかはメルトのように、過去を思いだす切っ掛けを得られるのかな。そうなったときに僕は彼女のように……迷わず、立ちあがれるだろうか。





 鍛錬を終えて家に戻ると、リビングには誰もいなかった。キッチンにシオンの気配がするのはいいとして、わりと早起きなフォクナーの姿が見えない。

 種族を問わず女性の身支度は時間がかかるものなので、メルトが遅いのも不思議はないんだけど……なぜか、胸騒ぎがした。


「僕、メルトを起こしてきますね」


 ジウに言い残して、彼女が寝ている客間に向かう。昨晩は彼女と部屋を別にして寝たことを思いだし、不意に後悔が押し寄せた。

 

 ――疑いたくはないけど。

 ルドが僕らではなく父親の側につく可能性を考えていなかったことに、今さらながら気がついたからだ。

 自然と早足になる。

 本来なら許されないことだが、焦った僕は客間の扉をノックもせずに押し開けていた。


「メルト、大丈夫で――」


 最後までは言えなかった。開け放たれた窓の側、銀髪黒衣の背の高い男が立っていて、部屋に飛び込んできた僕へ視線を向ける。その腕にぐったりしたメルトを抱えて。

 驚いて声が出ないんじゃない。何か強い力で全身を縛られたかのような拘束感。猛禽もうきんのような瞳に映る狂気の光には、見覚えがあった。


(エンハランス氏――!?)


 ルドの養父で、白竜を搾取さくしゅしメルトに非道な実験を施したという首謀者。彼がここにいると言うことは、やっぱり……?

 最悪の予測が胸をふさぎ、僕は前に踏みだそうと意志を総動員するも、叶わなかった。


「返してもらうぞ」


 無慈悲な宣告に、待て、と心で叫ぶ。

 吸血鬼ヴァンパイアの瞳には他者を麻痺させる力があり、それに抗うのは容易ではない。

 目の前でメルトが連れ去られようとしているのに、止められないばかりか、声を上げて知らせることすらできないなんて。


 悔しさと怒りに、全身の血が煮えたぎるようだった。

 だというのに僕は、結局、ひと声叫ぶことすらできないまま。

 黒衣の吸血鬼ヴァンパイアが大切なひとを連れていくのを、ただ、見送るしかできなかった。





 視界からエンハランス氏の姿が消えた途端、全身の制御が効かなくなって僕は床へくずおれた。そこでようやく、倒れ伏すフォクナーの姿に気がつく。


「……フォクナー!?」


 悔しいけど、あの威圧感を前に僕は手も足も出なかった。今も腰が抜けていて、うまく立ちあがることができない。それでも最悪の予想を振り払いたくて、僕は這って彼の側にいき、息を確かめる。


「良かった、生きてる。……フォクナー、起きてください! 大変ですよ!」

「う……、んん……」


 苦しげに頭を振ってうっすらと目を開けた彼は、どこかぼうっとしていた。経緯はわからないけど、妖精族セイエスの彼が吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマであるエンハランス氏に敵うはずがない。――殺されなかっただけ、幸運だったと思うしかない。


「リュカ、……メルトは」

「すみません。僕も、何もできませんでした」


 短いやりとりで察したのだろう、フォクナーは苦しげに身を起こし、深く息をついた。


「今さらメルトを連れていってどうするつもりなんだ、アイツ。国王陛下の監視もあるだろうに、さ」

「……すみません、フォクナー。僕が浅慮でした」


 もうそれしか言えなかった。

 いにしえの竜については何も書いていないメルトの手紙から、ルドと彼の父がどうやって彼女が抱える真相にたどり着いたのかはわからない。

 それでもせめて一緒にいて僕が守っていれば――この事態は防げたかもしれないのに。


 うつむく僕にフォクナーは何も言わなかった。

 怒っている様子ではなく、ただ何かを真剣に考えているのか、眉をきつく寄せている。

 気まずい沈黙が張り詰める中、足音が近づいてきて僕は思わず顔を上げた。あまり遅いからジウが様子を見に来たのかもしれない。


「リュカ、フォクナー、何をしておるのだ? リュカ、お前に客がきているぞ」


 ……え、客?

 すぐには頭が回らず、僕はぼんやりとジウの言葉を反芻はんすうして、それからはっと思い至った。もしかして、国王陛下からの使者だろうか。


「わかりました、すぐ行きます!」

「おう? ……何かあったか」


 普通じゃない様子に気づいたジウに、フォクナーがポツポツと説明をはじめていたが、僕はかまわず玄関へと向かう。

 僕では敵わなかった。

 あの鋭い目に射すくめられて、身動きすることすらできなかった。

 悔しいけれど、事実は事実として受け止め、対策を講じて――メルトを助けに行かなくてはいけない。それも、一刻も早く。

 僕では敵わなくても、あの強烈な国王陛下なら――!


「お待たせしました!」


 玄関を勢いよく開け飛びだしてきた僕に、来客――黒衣の剣士と細身の白っぽい人物は驚いたようだった。白い方、正確には白藍しらあいの髪に大きな三角の獣耳、太い尻尾を持った細身の男性が、薄浅黄うすあさぎの目を大きく見開いて僕を見ている。

 必死だったとはいえ、そこまでまじまじと見つめられるのは気恥ずかしくて、思考が少しだけ冷静になった気がした。


「す、すみません。今、ひどく取り込んでいまして。……僕への来客と聞いて、急いできたのですが」

「ほう。成る程、これは当たりではないか? ヒムロ」


 さっきから一言も口をきかない獣人族ナーウェア青年の代わりに、黒衣の剣士が口を開いた。といっても何のことか意味がわからない。何が当たりだって?

 改めてよく見れば、黒衣の人物も獣人族ナーウェアのようだった。こめかみの上辺りにねじれた黒い角が生えており、長くて丈夫そうな尾も漆黒だ。背には皮膜の黒翼が――って、え。え?


「貴様、何をしに来た。魔竜」


 理解の追いつかない僕の耳に、戸惑ったような火竜の声が届く。

 いろいろなことが一気に起きすぎて、思考が理解を放棄してしまったみたいだ。


われは我が子の護衛で来たまでだ。貴様こそ、だいぶ世間を騒がせているようではないか、火竜よ」

「我が子……? そのはどう見ても人族だろう?」

「ふん、人だろうと狐だろうとヒムロは我のものだ」


 何の話かまったくわからない。

 僕が混乱してるのか、状況が混沌としてるのか、あるいは両方なのか。


 ヒムロと呼ばれた狐の獣人族ナーウェア青年らしき人物は、魔竜(……いにしえの?)と火竜のやりとりを聞きながら苦笑すると、気を取り直すように僕へと向き合った。

 薄くて形のいい唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「無事だったんだな、フユキ。ずっと捜していたんだ、会いたかった」


 ――え、……えぇ?

 聞き慣れない発音の名前は、間違いなく僕に向けられたもの。今度こそ、僕の思考は完全に停止した。


 膝が崩れて全身の力が抜ける。

 意味が、わからない。

 わからないのに。


「いったい何があったんだ。俺がおまえの力になるぜ。だから、話してみろ」


 僕の前にかがみ込み、戸惑いをにじませながらも優しく笑う声の響きが、何ひとつ覚えていないのにただ無性に――懐かしくて。

 

 ついに僕の涙腺は、決壊してしまったのだった。



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