[4-4]二度目の襲撃とよみがえる記憶


 早朝の静けさを破る異音に、僕は甘い夢から一気に目覚めて跳ね起きた。途端、バランスを失って硬い床に転落し、背中を打って変な声が出る。


「あいたた……」

「リュカさま、大丈夫ですか!?」


 心配そうなメルトの声。どうやら彼女も起きたみたいだ。

 ジウの家は広さはあるけど寝具が少なく、ベッドはメルトに使ってもらって僕は長椅子で寝たんだった。


「大丈夫です。それより、メルトは僕の側に」


 薄着に寝癖の彼女は無防備に見えて、こんな時でも僕の心臓は正直だ。遠慮がちに寄り添う彼女から、ふわりと甘やかな香りが漂う。煩悩を振り払おうと僕はブンブン頭を振って視線を無理やり窓に向けた。

 外はもう明るく、天気は晴れ。

 朝につきものの小鳥の歌をかき消すほどうるさい異音が耳に届いている。

 悪い予感しかしなかった。


「リュカ、起きてる? 襲撃だよー!」


 廊下を通り過ぎてったフォクナーの言葉にも、もう僕は驚かない。


「まぁ、街じゃなくって森ですもんね、ここ」


 いくら廃村とはいえ、過去には人の住居として使われていた場所だ。襲撃を予想していなかったわけではないけど、僕もフォクナーもいにしえの竜の性質的にここまでは立ち入ってこないだろう、と思っていたのに。

 見通しが甘かったのか、火竜側がそれだけいているのか、今は判断がつかない。


 メルトと一緒に玄関から外に出る。

 室内のほうが安全なら隠れているのも手だけれど、炎に巻かれて逃げられなくなる可能性がある以上、見通しの良い外の方が幾分マシに思えた。僕はフォクナーみたいに、炎の害から身を守る魔法を使えるわけではないから。


 村と森の境目あたり、切り拓かれた広場のような場所で、熊形態のジウがすでに火竜と取っ組みあっている。地響きのような音と何かが砕けるような異音はこれだったのか。

 後方で立ち尽くしていたシオンを見つけ、僕は声をかける。


「シオン! メルトを頼みます!」

「わかった。リュカ、無茶はしないでね」

「もちろんですよ!」


 シオンが戦いに向かない職種なのは大分わかってきたので、いざとなったらメルトを連れて逃げてもらった方がいい。いつものように念じ、姿を白ワイバーンに変えて、僕は一旦上空へと飛びあがった。

 ざっと見回しても、ロウルという魔法使いの姿は見えない。


 上から見れば、火竜はジウの巨体に体重をかけて押さえつけ、いまにも噛みつこうとしていた。フォクナーが言ってた『逆らうことを許されていない』が、かれの場合にも当てはまっているのか怪しい。

 巨大な前足を火竜の顎に叩きつけているジウは楽しそうだけど、鋭い牙が並ぶ顎門あぎとに噛みつかれたら致命傷必至だ。僕は慎重に降下し、のたうちながら地面を削っている火竜の尻尾を足でつかんだ。体格差がありすぎて持ちあげるのは無理だけど、動きを止めるくらいならできる。

 火竜が咆哮ほうこうし、振り返って僕を見た。

 怒りでぎらつく紅玉ルビーの瞳が僕を映し、それからジウを見る。口内に真紅が輝き、灼熱のほのおがあふれた。


「ジウ、下がれ!」


 悲鳴のようなフォクナーの声。

 同時にジウの前に展開された炎の盾が、火竜の焔を飲み込んできらめき、砕けた。怯んだ巨大熊を渾身の頭突きで跳ね飛ばした火竜は、尻尾に取り付く僕をも振り払って翼を広げ、再び顎門あぎとを開く。

 きらめく火の粉が翼から散り、喉の奥に灼熱の光が集まってゆくのが見えた。

 やばい、これは、二度目がくる。


『何を、この程度!』

「駄目だジウ、行くな。僕の後ろにいて」


 杖を掲げ指示を飛ばすフォクナーの顔には、疲労の色が濃い。さっきの【炎の盾フレイム・シールド】は無条件で炎魔法を無効化する魔法のはずなのに、一撃しかもたなかった。

 竜の扱う能力ちからは精霊魔法とは違う、のか。


『どうするのだ、フォクナー』

「アイツの焔にタイミング合わせて盾を展開するけど、時間稼ぎにしかならないかもしれない。とりあえず、火事にならない程度には抑えてみせるさ」

『お前の身体は保つのか』

「知らないよ。大丈夫じゃない? 僕は天才だし」


 フォクナーの台詞に示唆しさ的なものは何もなかったけど、僕は直感してしまった。

 竜の焔は、竜同士でなければ相殺できない。

 人族の扱う精霊魔法とはその本質が異なるってことだ。


 ワイバーンも下位とはいえ竜種だから、たぶんいけるだろう。でもこのサイズ差では、いくら氷雪ブレスを吐いたとしてもあの炎を相殺できそうにない。

 だから、僕は決断した。

 全然練習をしていない初挑戦だから、どこまで上手に再現できるかわからない。でも水属性、氷雪の精霊力が強い僕なら。


 火竜とみんなの間に割り込むように急降下し、僕は一度変化へんげを解く。

 フォクナーが焦ったように僕の名を呼ぶのが聞こえたけれど、あえて意識から遮断した。距離にして数歩、真正面に深紅の巨獣を見据えて、僕は神経を研ぎ澄ませていく。


 きらめくルビーのような竜鱗はかれの魔力の結晶。皮膜の翼は大きく力強く、天を刺すように広げられている。

 鋭く長い鉤爪のついた前脚と、どっしりした胴体の迫力は凄まじい。開いた口には渦巻く焔と、綺麗に並んだ鋭い牙が見えた。

 そのすべてを目に焼きつけ、記憶に刻みつけ、僕は思い描く。

 真白な鱗と翼を持つ、氷雪の属性を持つ竜の姿を。


 全身が溶ける感覚はいつも通り。変化し慣れたワイバーンではなく、両手足はそのままに、にと念じて姿を変える。頭の形、手足の形が変わっていき、一瞬で僕の身体は竜の姿へ。


 いにしえの火竜に対抗するいにしえの氷雪竜として、僕は彼の前に立ちふさがった――つもりだった。

 の、だけど。


『えぇぇー――!? 何ですかッこれ!』


 僕の姿は思い描いていた理想像とは全然違う、ちんまりとした小型竜になっていた。

 しかも、全身はふわふわの白い毛で覆われ、手足の先には爪もなく、口の中に牙すらない。頭にツノも、尾にトゲもなく、耳はウサギのように長くて垂れている。翼は皮膜ではなく、鳥の羽毛に覆われた真っ白な……。


 何、何これ。

 こんなので火竜と対峙たいじしても何の役にも立たないし、戦えないし、むしろワイバーンの方が大きい!

 僕が間違えたのか、何か妨害が入ったのか?


 それでも僕はパニックしている暇なんてなかった。眼前の脅威は依然としてそこにあり、後ろには大切な人と友人たちがいる。僕は短い前足を踏ん張って、キッと火竜を睨みあげた。迫力なんて皆無だろうけど、……氷雪ブレスくらいは吐ける、よな?


 ――けれど。


 見上げた火竜と目が合って、僕は思わず息を飲む。

 さっきまでは怒ったように細められていた紅玉ルビーの瞳が驚愕きょうがくに見開かれ、口内から焔の息が消えていたからだ。

 動揺、している。

 困惑……いや、それよりもっと複雑で強い想いがこもった瞳だとわかったのは、僕も同じ竜の姿だからだろうか。


『貴様、なぜ、その姿を』

『……はい?』


 かれの声はなぜか、泣いているように聞こえた。

 完全に戦意を喪失したのか、火竜は口を閉じて身体を背ける。広げた翼を羽ばたかせ、何も言わずに空へと飛びあがった。


 僕には、何が起きたかまったくわからなかった。

 ひとつだけ確実に言えるのは、火竜にとってこのの姿は見知ったものであり、心揺さぶる何かを想起させたのだということだ。





「あ、……あ」


 震える声が背中から届き、僕は思わず振り返る。

 さっきの火竜を思いださせるような表情で、メルトが僕を見つめ立ち尽くしていた。フォクナーやシオンも驚いていたけど、彼女の驚愕きょうがくは何かが根本的に違っている。


『……メルト?』

「はい」

『メルト、大丈夫ですか?』


 見開ききっていた瑠璃藍アズライト双眸そうぼうが、ぎゅっと細められた。あふれだした涙を拭おうともせず、メルトは胸の前で両手を握り合わせ、か細い声で僕に、呼びかける。


「はくりゅう……」


 いや、僕にではなかった。

 火竜の驚き、メルトの涙、……この、竜というにはあまりに小さな姿は、いにしえの――白竜?


「あ、あぁぁ……」


 不意に苦しそうにメルトが胸を押さえてうずくまり、慌てたようにシオンが彼女を支える。僕も急いで変化を解き、二人のそばに駆け寄った。


「メルト、大丈夫ですか!?」

「一旦家に入ろう。火竜も今日はもう来ないだろ」

「はい、じゃあ僕が彼女を抱えていきます」


 うずくまる薄着姿の彼女に上着をかぶせ、そうっと抱きあげる。家に向かおうとしてフォクナーが大きくよろめき、熊姿のジウがそれを支えてついでに抱えあげた。


『お前も顔色が酷いな?』

「ヘーキヘーキ……でもちょっと休みたい」

「フォクナー、おれのこととやかく言えないよね」


 なんかもう、みんな心も身体も満身創痍だ。

 腕の中で震えるメルトを抱きしめながら、僕は今起きた出来事を思い巡らす。もう間違いない、火竜の事情と彼女の過去はを通してつながっているんだ。……鍵は、メルトの記憶、なんだろう。


 つらいことなんて、忘れたままでもいいと思う。

 いつかは思いだすのだとしても、無理に思いだそうとすることはないと思う。――そう、ずっと思っていたのだけど。

 もうそんな悠長に構えていられる状況じゃなさそうだ。


 彼女の記憶がつらいものなら、僕は彼女を支えたい。

 そのためにできることがあるのなら、僕は何だってすると誓うよ。



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