第37話 ぶっこわせ!

「キィッ!」

 ぼくらは口々にキィの名前を叫んで駆け寄った。キィは困ったような、それでいて緩やかな優しげにも見える顔をしていた。

「キィ……なんでここに? 正解って、どういうこと?」

〝『種子』自体が〈マザー〉そのものだということが、正解。だから、わたしはここにいる。存在自体の場所を移したから〟

「……?」

 キィの言っている言葉はやっぱり少しはっきりしない。だけど、聞くのは後回しだ。

「とにかく、キィ、一緒に行こう。どっちかがどうにかなるのなんて、嫌だ」

 キィの白い手を握って見上げたら、キィはすごく複雑そうな顔をした。泣きそうな、笑いそうな、困っているような――そんな顔。

「キィ!」

〝了承した〟

 もどかしくて声を大きくしたら、キィは困ったその顔のままで頷いた。

「ひろと、手伝え!」

 唐突に呼ばれて、慌てて顔を向ける。こーすけが柱に手をついて、ぼくを見ていた。

「何!」

「壊すで! ここ、スイッチっぽいのあんねん。ガラスは無理でもこれ壊したら何とかなりそうや!」

「判った!」

 ぼくは頷いて、キィから手を離した。キィの白い瞳を見上げて、言う。

「――約束だからね」

 キィはまたあいまいに頷いた。ぼくは久野とたけるにキィを任せて、こーすけの元へローラー・ブレードを走らせる。

 こーすけの手元に、青いボタンみたいのがあった。押してもうんともすんともいわないらしいけれど、だったらぶっ壊せ。ぼくがそう告げると、こーすけがまた、にやっと笑う。

 持ってきていた武器を片っ端から使ってみる。花火とか爆竹とか。うんともすんともいわない。たけるの筆箱を借りて、こーすけがそれをカナヅチみたいに使った。無理だ。だけど他に何とかできそうなものがない。

 何かないか――と頭をかこうとして、手がヘルメットにあたる。それで気がついた。これだ。

 ヘルメットを外して、あごのパット部分を両手でにぎった。

「こーすけ、どけ!」

 ぼくの声にこーすけが場所を空けた。ぼくは思いっきり息を吸い込んでヘルメットを振り上げて――

 それを力いっぱい叩きつけた!

 ガンッ!

 鈍い音と同時に、電車の扉がひらくときみたいなぷしゅう、という音が聞こえた。

 一瞬に満たないくらいの、少しのあいだ時間が止まって――

 それから、洪水が起きた。


 どろっとした水、水、水。

 水はぼくらとぼくらがあげかけた悲鳴をいっしょに飲み込んで溢れかえった。あの柱がぶっ壊れて、中に入っていた水が溢れ出したんだ。

 巣潜り競争したときを思い出した。あの時とはいくらなんでも状況が違いすぎるけれど。

 肺に残った少しだけの空気を頼りに、ぼくは水の中で目をあけた。水圧で目が痛いけれど、今はそんなことに負けてる場合じゃない。

 ふわ……と目の前を黒い何かが横切った。

 慌てて手を伸ばす。

 ――久野だ!

 目をきつく閉じて、必死に水を手で掻いている。メガネはどこかに飛ばされたみたいだ。

 水流に流されながら、何とか久野の細い腕を掴んだ。同時にまた、目の前を何かが横切る。

 それにも反射的に手を伸ばした。息が苦しい。そろそろ、やばい。顔を上げて、呼吸をしなきゃ。

 目の前を横切ったそれを、久野を掴んでいる手とは逆の手で掴んだ。一瞬指先が滑ったけれど、何とか持ちこたえる。

 限界だ!

 ぼくは両手で久野と何かを掴んだまま、水を蹴った。砂糖水みたいなどろどろした水が、足に絡みつく。

 それでも何とか、水面に顔を出した。

 久野も一緒に浮いてくる。

「――げほっ!」

 水の勢いはまだ止まっていない。流されながら、それでも必死に呼吸をした。ああ、酸素って美味しいんだ。新発見。

 久野も隣で水と咳を吐き出しながら、呼吸をしていた。だけどすぐにおぼれかけるから、慌てて引き寄せた。久野の手が、ぼくの首にまわる。

 ……う。いや、そんな場合じゃ、ないんだけど。判ってるん、だけど。ちょっとだけ、どきっとする。

 顔にはりついた水を振り払いながら、視線を動かした。

 こーすけは――たけるは――キィは――?

 心臓がドキドキと速打ちする。だけどすぐに、見つかった。そんなに離れていない。三メートルちょっと先に、二つの黒い頭が浮かんでいる。

「こーすけ! たける!」

「ああ、こっちは無事や! そっちも大丈夫やな!」

 たけるをほとんど担ぐようにしながら泳いでいたこーすけが怒鳴ってきた。ぼくは頷いて、その時になって持っていたものが何かに気付く。

 銀色の、カプセルみたいなもの。大きさはちょうどガチャポンくらい。この〈船〉に触ったときみたいに、何となくあたたかいような不思議な感触がする。

『種子』だ。

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