第38話 ゴール決めなきゃ、意味がない。
「こーすけ! 『種子』もある! 大丈夫!」
「キィは!」
〝映像は一時的に消去した。問題はない〟
ふいにすぐそばで声がした。首から下げている鍵からか、それとも手の中にある『種子』=〈マザー〉からかは判らないけれど、大丈夫そうだ。
「キィも無事! 逃げよう!」
ぼくの首にしがみ付いていた久野が、ひとしきり咳き込んだあとふっと天井を見上げた。
「ひろと……」
「何?」
「揺れてる」
その言葉を聞いてから、ようやくぼくは気がついた。〈船〉が地震にでもあったみたいに、ガタガタと揺れている。
〝――〈マザー〉に重大な損傷。〈船〉は急降下中〟
キィの言葉とともに、どこかでかこんと小さな音がした。
水が、ぼくらを取り囲んでいたどろどろの水が、急になくなっていく。
ぼくはふとお風呂を思い出した。――お湯につかったまま、風呂場の栓をぬいたときによく似ている。
〝羊水を排出中だ〟
キィの声は、落ち着いていたけれど――ぼくらの落ち着きを取っ払う要素になりかねなかった。
またパニくりそうな心を何とか押さえつけているうちに、水は全部なくなった。足ががくがくいったまま座り込んでいたぼくらは、それでも何とか立ち上がった。ポケットに『種子』を捻じ込む。
〈船〉は揺れている。なんだか少し、気持ちが悪い。壁に手をついて、水でびしょびしょのまま、なんとか階段をよじのぼって白い部屋へと転がり出る。
まだ揺れている。どんな原理だかは知らないけれど、ジェットコースターに乗るときのような、胃を置いていかれるあの感覚はほとんどない。全くないわけじゃないけれど。
久野が床に四つんばいになったまま窓に近付いた。そして、叫んだ。
「落ちてる! すっごい普通に落ちてる!」
「判ってるよ!」
ぼくは久野に叫び返した。窓のそばでしゃがみ込んだ久野によっていく。
ふと〈マザー〉……緑色の文字がある壁を見た。文字はめちゃくちゃ不規則に光ったり消えたりを繰り返して、ぼくらにはさっぱり理解できない言葉を繰り返している。壊れた……んだろうか。少しだけ怖くなったけれど、ぼくは胸元の鍵を握り締めた。こっちが――バックアップデータの鍵さえあれば、何とかなるはずだ。
窓を覗き込む。いつのまにか夕焼けに外は染まっていた。赤い海がぐんぐん近付いてきていた。西小の校庭じゃないのは、〈船〉が移動したんだろう。
そのとき――部屋の明かりが、消えた。
何だ?
よく判らず窓から視線を剥がして後ろを振り返った。
同時だった。
〝■X○@▽∞;?〟
全く判らない音――〈マザー〉の言葉と同時に、こーすけとたけるの悲鳴が上がる。
そして、二人の足元がいきなり――
ぱっくり、割れた。
「うわあああぁぁぁッ!?」
「こーすけ! たける!?」
穴に吸い込まれるように、二人は落ちる。だけどこーすけの手が、船の床にひっかかった。
落ちて――ない!
ぼくと久野は慌てて穴に近付いた。
あつい海風がぼくらを殴りつける。覗き込むと、こーすけが汗を流しながら、左手でたけるを抱えながら、右手で自分たちを支えていた。
「こーすけ!」
ぼくは慌ててこーすけの手をつかんだ。久野もとなりから、一緒にこーすけの手を掴む。
「くっ……」
たけるを抱えながら、こーすけはつらそうだ。たけるはたけるで、ほとんど泣き出しそうな顔で、必死にこーすけにしがみ付いている。
「今……あげる、から! 落ちんなよ!」
怒鳴りつけるように叫んで、ぼくと久野は息を合わせてこーすけとたけるを引っ張りあげようとした。
だけどその瞬間――
ガツンッ……!
殴りつけられたような衝撃と同時に、視界がぶれた。
手が――すべる――!
繋がっていたこーすけの手が、離れた。
「っ!」
息を飲んで、もう一度引っつかもうとしたけれど、遅かった。
「亜矢子……頼むで!」
風にのってこーすけの声が聞こえた。それと同時に、こーすけとたけるは赤く染まった海へと落ちていく。
少しの間。それからすぐ、ばっしゃんと派手な音が響いた。
「……こーすけ!」
心臓が握りつぶされそうな痛みが走ったけれど、それを無視してぼくは叫んだ。床の割れ目を両手で握って、下を覗き込む。
海は急速に近付いていた。だけどやっぱり、高いのは高い。
ぞっとしながら目を凝らすと、海面で手を大きく振っている人影を見つけた。かすかに、火がついたような大泣きも聞こえてくる。こーすけと、たけるだ。
何とか、無事は無事みたいだ。
ほっとして顔を上げて――だけどその『ほ』はすぐに打ち消された。
目の前に広がっていたのは、宇宙船の中なんかじゃなくて、ただだだっ広い海の姿だった。夕やけに染まった、紅い海と紅い空が、目の前に広がっている。
目が回りそうなほど、頭がくらくらする。
海と空が交代交代で上下入れ替わる。
――なんで?
ずるっと体が後ろに滑った。久野も一緒に滑り落ちてくる。ポケットから転がりかけた『種子』を慌ててひっつかんで、逆の手で壁を掴んだ。
何が、何で、こんなことに?
半分以上混乱しているぼくに、久野が叫んできた。
「船が半分に割れたあー!」
……目が回りそうなほどくらくらしているんじゃなくて、本当に半分回転していたわけだ。
半分になった宇宙船のかけらに乗っかったまま、ぼくらはジェットコースター顔負け、フリーフォールなんてかなわないってな勢いでぐるぐる動きながら落ちていた。
海がどんどん迫ってくる。
防波堤も見えてきた。
絶え間なく動いている船のかけらにしがみつきながら、ぼくはもう一度賭けをすることに決めた。
このままここに乗っていたら、そのまま海へぼちゃんか、わるけりゃ防波堤へ頭からつっこむことになる。
脱出、するしかない。
ぼくにしがみ付きながら、久野がふるふる子犬みたいに首をふっている。泣きそうだ。
ぼくはぎゅっとくちびるを噛んで立ち上がった。久野を支えるようにしながら、船の割れ目に近付いていく。
「久野、飛び降りるよ」
舌をかまないように囁くので精一杯だった。久野はぼくの言葉に、目を見開いた。それから、やめてというように大きく首をふる。
防波堤が迫ってくる。一緒にこのまま落ちたら、船のかけらで押しつぶされかねない。たとえ、海に落ちたとしても――だ。
「久野、信用して。こーすけのバスケの腕なみには、ぼくだってボードに自信は持ってる」
きゅっと強く久野の肩を抱いたら、久野は困ったような顔でぼくを見上げてきた。
その間にも、防波堤は迫ってきている。時間はない。
「大丈夫だから」
久野は答えなかった。だけど代わりに、ぼくの背中にまわした手に力をこめてきた。離れない。それが、答えだ。
――亜矢子、頼むで。
こーすけはそう言った。これは、こーすけから受け取ったパスだ。
いつもパスを送る側だったぼくが、逆にこーすけから受け取ったパスだ。
ゴール決めなきゃ、意味がない。
ブレイブ・ボードに片足をかける。
ぼくは強く久野の肩を抱いて――
思いっきり、地面を蹴った!
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