第39話 よいこはまねしちゃいけません。

 防波堤の地面が迫る。ぼくらが飛び降りた船のかけらは、ぼくらとは逆の方向に落ちていっている。

 視界の隅でそれを確認すると同時に、ひざに大きな衝撃がきた。

 自分の体と重力と飛び降りた勢い、それから抱きかかえている久野の体。全部の勢いと重さがひざにのしかかってきて、声をあげられないような痛みが走った。

 体が前に投げ出される感覚を何とか押さえつける。

 ローラーが悲鳴を上げるみたいに鳴った。何度もひざを曲げて、勢い良く転がるボードを必死で制御する。

 それでも、バランスはやっぱり崩れた。体が横に滑る。

 久野の頭を抱え込んで、ぼくは転がった。頬に熱い感触が時折走った。

 だけど勢いはずっとは続かなかった。

 数メートルは横滑りして――そうしてぼくの体は動きを止めた。

 同時に激しい水音が聞こえてきた。水柱が上がったのが見えた。船が落ちたんだ。

 ほっとした。

 止まっていた呼吸を再開させて、ぼくは久野の体から手を解いた。

「久野……大丈夫?」

 呼びかけると、呆然とした久野の顔がそこにあった。それがすぐ、ぐしゃりとティッシュを丸めたみたいにゆがんだ。

 ぼろぼろっと涙が零れだす。

「ひっ、久野? 怪我した!?」

 慌てて言葉をかけたぼくに、久野は思いっきり首を左右に振った。そのまま泣きながらぼくのシャツを掴みなおしてくる。

「……こわ……かった」

 ――ああ、そっか。

 そりゃそうだ。あんな体験、普通ありえない。怖くて、当然だ。

 ぼくは少しだけためらって、それからそっと久野の頭をなでた。

「もう、終わったから」

「……」

 久野は答えずに、しゃくりあげながら頷いた。体が、重い。

 夕焼けがまぶしかった。

「キィ、大丈夫?」

〝――今のところは〟

 静かに頷くキィの声と同時に、遠くからぼくらを呼ぶ声が聞こえてきた。

 こーすけとたけるが、海から何とか上がってこれたんだろう。

 ぼくは大きく息をついて、ポケットのなかの『種子』を確認した。空を見上げる。

「……何とか、なるもんだね」

 呟きが潮風に飛ばされていった。なんだか少しだけ、おかしくて笑った。


 海水でべとべとのこーすけとたけると合流して、防波堤の端に座る。

 久野は泣き顔が見られたのが恥ずかしかったらしく、泣き止んだ後はこっちを見てくれなかったけど――まぁ、いいや。

「キィ、姿、だせる?」

〝――少しなら〟

 キィが頷いたから、ぼくらはそろって目を閉じた。真っ白い光が広がる。それがなんだか、あたたかいって思えた。

 少しして目を開けた。

 白いキィの姿がそこにある。

 ぼくらはそれがうれしくて、顔を見合わせてけらけら笑った。

「な。何とかなるもんやろ?」

 こーすけが笑いながらそう言った。海水で張り付いた前髪が、夕焼けにきらきらしている。

 キィは夕焼けの中でもやっぱり白いまま、少しだけ寂しそうな顔を見せていた。

「キィ、どうしたの? ……船が落ちて、やっぱり、哀しいの? 寂しい?」

 キィの様子を見た久野が、首をかしげた。ぼくらは少しだけ笑うのをやめて、キィを見つめた。

〝それもある。だけど――それより、あなたたちと別れることが……寂しい〟

 別れる――?

 キィの言葉はぼくらから表情をぬすんでいった。どんな顔をすればいいのか判らないまま、ぼくはキィの白い瞳を見つめた。

「キィ……? 別れるって、どういうこと?」

 だってキィはここにいる。〈マザー〉だって、バックアップデータの鍵だって、ぼくが持っている。〈船〉は壊れたけれど、でも、キィは今ここにいる。別れるって、どういうこと?

 潮風が、ずぶ濡れのぼくたちをかすめていった。少しだけ寒気がした。

「キィ、どういうことだよ」

 怖くなって、キィの腕に手を伸ばした。

 だけど、ぼくの伸ばした手はキィの腕に触れることなく――すうっと、すり抜けた。

「――……」

 何もいえなくて。

 顔が強張ってかたくなるのを自覚しながら、ぼくは伸ばした手をどうすることも出来なくて、そのままキィを見上げた。

 防波堤の端、ぼくらのすぐとなり。

 夕焼けに染まることのない白い姿のキィは、静かな表情だった。

〝質量再生プログラムにもバグをきたした。そろそろ、お別れ〟

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