第40話 最後の賭け

「……なんでや」

 震えるような小声は、こーすけが漏らしたものだった。

〝〈マザー〉に損傷が起きたから。わたしは――〈チルドレン〉はもともと〈マザー〉と同じ存在だから〟

「でも鍵も種子も、ここにある! 〈マザー〉もバックアップデータもあるのに!」

 思わず叫んだぼくの言葉に、キィはすっと目を細めた。

〝わたしがバックアップデータ側の〈チルドレン・プログラム〉だと気付いていたのね〟

「考えたんだ! だから、大丈夫だろ!? 鍵はここにあるよ!」

 首に下げていた鍵を引っ張り出して、ぼくはキィに見せた。

 だけどキィは、静かに首を振った。

〝わたしのせいで、バックアップデータそのものにバグが生じていたの〟

 ――その言葉に、夕焼けの町並みが急に夜になったような気がした。視界が暗くなる。

〝結局、わたしは本来存在しえないものだったから――こうなることは、決まっていたんだと思う〟

「そんな……そんなの、ない!」

 久野が悲鳴みたいな声をあげた。触れられないキィに、何とかそれでも触ろうと手を伸ばしている。

「だって、だってそんな。じゃあ、もしかしたら――〈マザー〉が壊れなかったら、キィは大丈夫だったんじゃないの? 〈マザー〉から逆にデータを上書きしたら、大丈夫だったんじゃないの?」

 キィが少しだけ目を開いた。それから、穏やかな夕暮れみたいな表情で、呟く。

〝亜矢子は本当に頭がいいね〟

 それは――イエスってことだ。

 何かに頭を殴られた気がした。

 だったら、それは――キィがキィでいられるはずだった可能性をぼくらが壊したってことになる。〈マザー〉を壊したのは、ぼくらなんだから。

 何を言えばいいのか判らなかった。声がでなくて、喉が詰まる。指先がじんじんとしびれ始めていた。

 ぼくらが、キィを壊したことに、なる――

 頭が真っ白になりそうだった。

〝待って。誤解、しないで。もし〈マザー〉が無事でデータを上書きできたとしても、そうなれば〈マザー〉はわたしを放っておかなかったはず。バグを修復しようとしたはずだから、結局はわたしは消えていた〟

 キィがなぐさめるみたいに言ってくるのが、逆に悔しかった。

 ぼくらは、何て事をしたんだろう。

 また、視界が揺らぎ始めた。

 顔が、熱い。

〝ひろと〟

「――そんな、の。いやだ。だってそれじゃあ、どうやったってキィはキィじゃいられなかったってことじゃんか。そんなのいやだ」

〝ひろと〟

「おかしいよそんなの!」

 大声で叫んで、その瞬間、また涙がこぼれた。

〝ひろと。結局わたしはあなたたちとは違う。数字の羅列、記号のバグにすぎない存在。確定しないものだから、いつかは消えるものだったの〟

「そんなん関係あらへん!」

 怒鳴ったのはこーすけだった。

 溢れてくる涙を必死に飲み込みながらみると、こーすけもぼくと似たような赤い顔をしていた。目元が揺らぎ始めているけど、でも涙は零れてない。

「関係あらへんで、キィ! おまえが何やろうと、宇宙人やろうがプログラムやろうが、関係あらへん。ともだちやろ!」

「そうだよ、キィ」

 久野は泣いていなかった。必死に涙を堪えてるみたいに、強張った顔で、だけど真っ直ぐにキィを見つめていた。

「すごい確率で、ともだちになれたんだよ、あたしたち。だからそんな哀しい事、言わないで」

「キィ、ともだちだよ! キィもこーすけもひろとも亜矢子ちゃんも、みんなともだちだもん!」

 たけるも、必死さを表すみたいに両手を振り回しながら早口で言う。

 ぼくも涙をふいた。心のどこかに落とし穴でもあいたみたいに、痛かった。

「キィに逢えて、ぼくはうれしいんだ」

 キィはぼくらを順番に見つめて――

 それから、ふっと表情を崩した。目を細めて、くちびるをあげた。

 笑った。

 キィの笑顔は……こんな自然な笑顔は、はじめてだった。

〝ありがとう。あなたたちは、わたしのともだちね〟

 そう告げたキィの言葉に、ぼくは確信してしまった。

 さよならを。

 もう、本当に――さよなら、なんだ。

 どうしようも、ないんだ――

 また涙が零れそうになる。だけど、ぼくはそれを必死に押さえ込んだ。ぼくだけじゃない。こーすけも久野も、たけるも、みんな我慢しているはずだ。

 今ぼくらが泣いちゃ、ダメだ。今ぼくらが泣いたら、きっとキィが心配する。

 だから、泣いちゃダメだ。

 キィは優しい笑顔のまま、ぼくに言った。

〝ひろと。最後の賭けをしない?〟

「賭け……?」

〝可能性は一パーセントにも満たないかもしれない。限りなく、低い。分が悪い賭けだけれど――〟

 キィはそういって、ぼくが握り締めていた『種子』を指さした。

〝もう一度、あなた達に逢えるように〟

 可能性は一パーセントに満たない賭け。

 だけど、ゼロじゃない。

 ぼくらはちっぽけな可能性にすがりつくみたいに、思いっきり頷いた。

「やるよ! 何でもやる! キィ、どうすればいいの!?」

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