第五章【〈マザー〉】

第26話 宇宙船のなか

 ふいにうす緑の光が灯った。ぽつり、ぽつり、ぽつり。いくつもの小さな光が、やがて道のようなものがそこにあったことを教えてくれる。

 たてに真っ直ぐ伸びる、かざりのない銀色の道。細い道の両わきの壁に、緑色の光が――なんの道具もないのに光だけが、そこにくっついている。床の感触は、いつか宇宙船に触ったときみたいに、やわらかいような硬いような、そんなのだった。

 道は真っ直ぐ伸びていて、その向こうは黒いかげりがある。〈船〉の大きさを考えれば、道はそんなに長くないはずだ。

 そう、あの暗闇の辺りに、たけるがいるはずだ。

「なんか……へんね、ここ」

「ま、宇宙船だからね。ぼくらが考えるものと違ってもあたりまえっちゃあたりまえでしょ」

「空気あるだけええやん」

 三人で並びながら進む。空気があるのはたけるがいるせいかも、しれない。

「天井が低いねんな」

「うん」

 ぼくが手を伸ばしてみても、触れるほどだ。大人だったらかがんで進まなきゃいけないかもしれない。

 そうして、進んで少しした時だった。

「!」

 眩しさが目を刺した。反射的にまぶたを閉じて、手でおおう。それからゆっくり目を開けた。

 急に、広い空間に出たのだ。そこは何もない、明るい、白い空間だった。

 教室ぐらいの広さ。眩しいと感じるほどに白いのは、床と天井、それからさっき入ってきた場所以外の壁が全て白かったせいだ。天井の高さは今までと同じくらいで低い。そこから、太陽と同じくらい眩しい光が降り注いでいる。

「ひろと!」

 ふいに聞きなれた声がして、ぼくは左を向いた。

 どすっとタックルするような勢いで、何かがぼくの体にぶつかった。小さな頭と大きな目。

 ――たけるだ。

「たける、よかった。無事か?」

「うん!」

 ぎゅうっとたけるがぼくにしがみ付いてくる。

「よかった」

 久野がほっと笑顔を漏らす。くしゃくしゃっと、こーすけが乱暴にたけるの頭を撫ぜた。

 それにしても、改めて見ても白い何もない空間だった。唯一転がっているのは、たけるの手提げかばん――登校日だから、ランドセルじゃないんだ――くらい。

 あとはただ、目の前の壁に緑色の文字のような何かが、少し浮いている。そのぐらいしか色はない。

「何でいきなりこんなとこで捕まってたの、たけるくん」

「わかんない。学校からかえろうとしたら、白い光がきてね。目が覚めたらここだったの」

 後ろで話している久野とたけるを無視して、ぼくはその緑色の光がある壁に近付いた。

 緑色の光は、文字のように見えた。もちろん、日本語でも英語でもないのだけれど。ちょうど黒板と同じくらいの広さに、端から端まで書かれている。時々、思い出したみたいにぴかりと光った。

「ちょっと。何見てるのよ片瀬。ねぇ、キィ。今からでも逃げられる?」

 不思議と〈マザー〉の声がしないから、久野はそう思ったらしい。

 ぼくは、その緑色の光にまるで取り付かれたみたいにそれを見つづけていた。

「片瀬!」

 じれたみたいな久野の声。だけどぼくはそれを無視して、その光る文字に手を伸ばした。


〝よく〈チルドレン〉を連れてきた〟


 唐突に響いた声に、ぼくらは一瞬にして固まった。伸ばしかけた手が、空中で行き場をなくして止まる。

 文字が、まるで何かに答えるかのように点滅した。

〝約束通り、その者は返そう。チルドレンを、こちらへ〟

 こーすけが眉を寄せる。

「どういうことや」

「〈チルドレン〉って――」

 声がかすれていた。くちびるをなめて、視線を緑色の文字に据えたまま、ぼくは言い直す。

「〈チルドレン〉って、あの海賊……というか、マフィアというか……あれのことだよね」

 どこまで言葉が通じるのか判らなかったけれど、通じることを祈って呟いた。けれどその響いた声は、すぐにぼくの言葉を否定した。

〝定義としては間違っていない。あなたたちの想像している『海賊』が〈チルドレン〉であることは、そこの知的生命種の記憶と照らし合わせてもあっている。だが、違う〟

「違う?」

〝わたしの言う〈チルドレン〉は――あなたたちの言う『キィ』だ〟

 キィだ。

 ぼくの服のすそを、後ろからたけるが握って来た。心臓がやっぱり、おかしくなりそうなほどにドキドキいっていた。

〝今この船内に他〈チルドレン〉がいないのは、あれが自分を追わせるようにプログラムの優先順位を撹乱したからだろう。同じ〈チルドレン〉の属性をいかして〟

 同じ〈チルドレン〉の属性をいかして。

 ついさっきから繰り返されている〈マザー〉とか〈チルドレン〉とか――そう言った言葉が、ぼくたちにはやっぱりよく理解できなくて。ただ、いくつか想像できるのはキィが〈チルドレン〉――あの海賊たちと同じだっていうことだとか、この声はきっと〈マザー〉なんだろうということだとか、その程度だ。

「キィ……?」

 後ろから久野が、ぼくの胸元にいるキィへ小声でささやきかける。

 でも、キィは久野に答えなかった。急に真っ白い光とともに姿を現したキィは、こう、言った。


〝はい〈マザー〉、わたしはいま、戻りました〟

 

 

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