第27話 はじめてのうそ

 キィがしずかに、歩いていく。あの、緑の文字に向かって。

「待って!」

 何かに、追いすがるように。ぼくは大声を上げていた。

「あなたは……〈マザー〉は、何者なの? キィは? 〈チルドレン〉ってどういうこと?」

 まるでたけるがうつったみたいに、ぼくは「なの?」をぶつけていた。

「どうして――」

 本当は、これが言いたかった。

「――どうして、キィを消そうと、しているの?」

 緑色の光が、一瞬揺れるみたいに点滅した。

〝それは――〟


〝それは、わたしが〈チルドレン・プログラム〉のバグにすぎないから〟


 キィが。

 静かに振り返って、ぼくに答えた。

 それから少しだけ首を傾げて、まぶたを伏せて。静かに――いつもみたいな声で、言った。

〝ごめんなさい、ひろと。わたしは、うそをついたの〟

 それだけ言うと、キィは再び緑色の光が点滅する壁――〈マザー〉へと歩き出す。

「キィ! 待てよ!」

 ぼくはとっさにキィの腕を掴んだ。やわらかすぎる感触。だけどそれだって、もう慣れた。だって、この夏休み中、ぼくらはずっとキィと一緒だったんだから。

 ぼくはキィの前に回りこんで、正面からキィの両腕を掴んだ。

「どういうことだよ、キィ!」

〝……〟

 キィは答えない。ぼくのほうを見ようともしなかった。ただ静かに、緑色の光を見据えている。

「キィ!」

 再度ぼくが名前を――そうだ、名前だ。ぼくがつけた、キィの名前だ――呼ぶと、キィは静かにぼくの腕を払った。

「キィ――」

〝〈マザー〉〟

 ぼくの声を遮って、キィは静かに言葉をこぼした。

 それが日本語だったのは、もしかしたら――もしかしたら、だけど、ぼくらに聞かせるためだったのかも、知れない。

〝わたしは、帰ってきました。あなたのもとへ。プログラムの修復に、抵抗はしません〟

 静かな声に、緑色の光は反応しなかった。

〝ですからひろとたちを。――わたしの友達たちを、彼らの住むべき場所へ、帰してあげてください〟

 シン……と、その白い空間は静まり返った。空気まで白くなるかのような、そんな雰囲気で。

「あかんっ!」

 だけど、その空気はすぐにかき消された。

 こーすけだ。真っ赤な顔で――ああ、すごく怒ってる――怒鳴っていた。

「あかんで、キィ! 何でや。うそってどういうことやねん。せやったら逃げたのに。なんでわざわざ――!」

〝無理なの、こーすけ〟

 キィが振り返って、こーすけに言った。

〝〈マザー〉から、わたしが逃げ切れることはない。無理なの〟

「無理ちゃう! お前が消えたらなんも意味あらへんやん!」

 こーすけはいつもからは考えられないくらい、真剣だった。いつもふざけててにやにやしているのに、茶色の目には真剣さだけが宿っていた。

「そ……そうだよ、キィ! ダメだよ!」

 久野が、つられるみたいに叫んだ。だけどキィは、寂しげな表情を見せるだけだ。よくみると、その白い手の中に金色の鍵が握られている。

〝わたしの願いは、ひとつの星の――たくさんの想いを、消してしまう。わたしの存在自体が、星の想いを消してしまう〟

「わけ判らん! 何があかんねん!」

〝それに〟

 こーすけの叫び声を無視して、キィは続けた。

〝わたしは、あなたたちに、あの町で笑っていて欲しい〟

「キィも一緒がいい」

 ぼくは、気付くとキィを見上げてそう言っていた。

「キィも一緒がいいよ、ぼくたちは。ねぇ、どうして――」

 ぼくは振り返って、緑色の光を――〈マザー〉を見た。

「どうして、キィを消そうなんて、言うの。プログラムのバグって、どういうことなの?」

 〈マザー〉の沈黙は、一瞬だった。

 それから、緑色の光は強く瞬き始める。強く、強く、強く。

 そして、〈マザー〉の光は白い空間を、キィも、ぼくらも一緒くたに飲み込んだんだ。

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