第14話 キィ、という名前

「ひろと!?」

 びっくりしたようなこーすけの声が聞こえたけれど、後の祭りだ。

 左ひざを緩め、左手を地面につけるほどに急カーブをえがく。ローラーが地面と摩擦する。倒れるぎりぎりの角度で、左に曲がって、曲がりきったら無理矢理体勢を整えて、また漕ぎ出す。

 夏の熱い夜の風が、肺を満たした。

 振り返ってみると、どろどろ〈コースケ〉はぼくについてきている!

 よし、作戦どおり!

「ねぇ!」

〝何〟

 白い彼女は、ぼくについてきたままだ。

「昼間のあれは、出来ないの!? っていうか、ぼくどこまで逃げればいいわけ!?」

〝エネルギーがまだ充電しきれていない。もう少し、粘って欲しい〟

「どのくらいだよ!」

〝貴方達の時間感覚で言えば、四分と二十七秒四〇〟

 細かっ。

 ――約五分、か。

 五分なら、何とかなる!

 ぼくは気合をいれなおして、地面を蹴った。


 どろどろの〈コースケ〉は、徐々にスピードを速めてきて、ぼくとの距離を縮め始めた。相変わらず溶けたままで、無表情だ。

 横断歩道をわたり、図書館の前を駆け抜けて、砂山の土管をくぐって直進する。

 夜の角野はいつもと何となく雰囲気が違って、感覚が掴みにくかったけれど、それでも滑りなれた道には変わりない。右に左に足をきって、時々は障害物をジャンプして切り抜ける。

 ブレイブボードの感覚が楽しくなってくる。

 滑りながら判ったんだけれど、〈コースケ〉はあまり頭が良くないみたいで、先回りをするということは一切ない。律儀にぼくの通った道を通った順に追いかけてくる。

 しばらくそうやって、追いかけっこをしつづけた。ぜぇぜぇと息が上がってくる。やっぱり、五分間全力でブレイブボードを操るのはきつい。

「まだなの!?」

〝後五秒。四、三――〟

 彼女がカウントをし始めて、ぼくはほっとした。

 それで、気が抜けたのかもしれない。スピードが乗りにのったボードが、ふいに横滑りをした。反射的に体勢を立て直そうとしたが、爪先がかくんと空を切った。まずい!

 とっさに片足だけでステップしてボードから飛び降りる。ずざっ、といやな音を立てて。転ぶことだけは避けられたけれど、次の瞬間には目前に〈コースケ〉がいた。

「っ!」

〝鍵を〟

 彼女の言葉に、あわてて胸ポケットの鍵を手渡した。

 そこからは、まるでスロー・モーション。

 彼女の指が踊るみたいに空中に絵を描いて、その中心に鍵をさした。光が集まってくる。

 彼女が鍵をまわすと、また、光がはじけた。今度は予想していたぼくは、きっちり両手で目をかばっていたから昼よりはずっとましだった。

 そして、光がなくなって夜の静かな町に戻った時、どろどろの〈コースケ〉はもうその場にいなかった。

〝無事だね〟

「……なんとかね」

 彼女の言葉に、ぼくは力なく頷いてその場に座り込んだ。

「……ねぇ」

〝何〟

「明日の朝、この辺りですごいうわさになると思うよ。謎の白い発光!? とかって」

 ぼくの言葉に、彼女は無表情のまま言ってのける。

〝そうなの〟

「そーなの」

 ……まぁ、いいけど。別に。

「説明してくれる? 一から全部」

〝可能な限りは。ただし、もうそろそろタイム・アップだ〟

「明日でもいいよ」

〝了承した〟

 彼女が頷いた。そのころになって、遠くからぼくを呼ぶ声が聞こえ出した。たぶん、こーすけたちがさっきの光を見て、ぼくを探しに来てくれただろう。

「その前にさ。君の事、ぼくらはなんて呼べば良いの?」

 彼女は一瞬沈黙して、それからこう言った。

〝なんとでも〟

「ふーん……じゃあ」

 ぼくは少し赤くなっている右腕をぺろりとなめて、続けた。

「鍵から現れたから――『キィ』でどう? そのまんまだけど」

〝構わない〟

 そういった瞬間、白い彼女は――キィは、ざざっと全身に砂を走らせて、消えた。

 大きく、息を吐く。

「ひろと! 大丈夫か!?」

「片瀬!」

「ひろとー!」

 自転車を、マウンテン・バイクを地面に放りだしたこーすけたちが、ぼくのもとに走りよってきた。

 夜空には、きらきらとした星が見える。

 なんだか、大変な夏休みになりそうだな――って、ぼくはそのとき初めて、そう思ったんだ。

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