第32話 最後の鍵、それから

 永久にも等しい時間、遠い遠い、昔。ここではないどこかの銀河の、どこかの惑星。そこにいた、人間ではない誰か。惑星の最後の十二人。

 彼らがたくした、最後の鍵。

 ぼくらが砂場で見つけた鍵は、文字通り――彼らにとっては、鍵だったんだ。

 たぶん――希望の、最後の鍵。

 何を言えばいいのか判らなくて、ぼくはただキィを見上げた。キィは白い瞳を少しだけ細めた。笑ってるわけじゃないけれど、どこかやさしいそんな表情でぼくを見た。それから、そっとぼくの手のひらに鍵を乗せてくる。

「……」

 静かに、ぼくはその鍵を握った。

 手の中で返ってくる感触は、もう慣れたものだ。夏休み中、ぼくの首元で揺れていた鍵の感触。

 ぼくは唇をなめて、もう一度キィを見上げた。

「地球は――『母なる計画』に、あう星だった?」

 答えたのはキィじゃなかった。

〝検証中〟

 静かに響いた〈マザー〉の声に、ぼくは振り向くことはなかった。心の中でぐらぐらしている、よく判らない何かを抑えるのだけで精一杯だった。

〝いままで見かけた知的生命種が存在する惑星の中では、きわめてかの星に似通っている。光星との距離、重力、惑星の規模、空気中の成分や水――無論全てが希望範疇ではないが、修復可能範囲内だと推測。また、知的生命種が一定レベルの技術を保有していることも候補としてあげるのに有力〟

「人間が技術を持っていたほうがいいの?」

〝種子を解凍する程度の技術はあったほうがいい〟

 淡々とした〈マザー〉に、ぼくはぎゅっとこぶしを握って立ち上がった。振りかえる。

 静かな緑色の光を、ぼくは思いっきり睨みあげた。悔しいけど――そうすることしか、出来ないから。

「だったら――いいじゃんか、もう。バグが起きようがなんだろうが、関係ないだろ。その計画が終わったんだったら、別にわざわざバグを修復してどうのなんて、いらないじゃんか! この惑星で決定なら、何よりだ。ここで〈マザー〉が壊れたって問題ないだろ。だったら、キィを消すなんてことしなくていいじゃん。種子とやらを解凍して、生き延びればそれで計画オッケーなんだろ! だったら、それでいいじゃん! キィを消す必要なんてないだろ!」

〝ひろと〟

 知らないうちにひっくり返った声で叫んでいたぼくに、キィがそっと呟いてきた。

〝〈マザー〉が消えれば、わたしも消える。わたしは〈マザー〉あってのものだから。そもそも〈チルドレン〉はある意味で〈マザー〉そのものだから〟

「だったら、このままで問題ないだろ!」

〝ひろと〟

 キィは――まるで小さい子に言い聞かせるみたいに、そっとぼくの肩に手を置いた。ぼくを覗き込んでくるキィの白い姿が、ゆらゆらして見える。

〝『母なる計画』の最終目的は、あたらしいあの星を生み出すこと。言い換えれば、地球をあの星に変えてしまうということ〟

 白くうすい唇。

 キィの瞳を見つづけることが出来なくて、ぼくは唇だけを見ていた。かすんで見える唇が、静かに言葉を紡ぐ。

〝『母なる計画』の最終候補としてこの星が決定すれば、地球は地球じゃなくなるということ。あなたたちの地球を――〈マザー〉の持ちこんだ『種子』が支配するということ〟

 言っている意味が、判らなかった。ただ、限界に来て頬をすべった雫が恥ずかしくて、ぼくは乱暴に手の甲でこすった。みんなに見られたくない。

 キィは少しだけ困ったようにぼくの頬に手を伸ばした。まるで、なぐさめるみたいに。

〝そうなれば、あなたたちは非常に有力な実験体になる。この惑星にどのように適応しているのか――そういう情報のね。もしそうなれば、あなたたちですら、もう、あなたたちでなくなる〟

 ぼくが、ぼくでなくなる?

 ――あの、最後の十二人が〈マザー〉となったように?

〝わたしはそんなのは、耐えられない。あなたたちには、あなたたちとして、この星で――この町で、笑っていて欲しい〟

 キィはそっと囁いて、ぼくの手の中から鍵を取り出すと、ゆっくり背を向けた。

 止められなかった。頭の中で、キィの言葉がぐるぐるまわっていた。

〝〈マザー〉〟

 緑色の文字は、応えない。

〝この星は『母なる計画』の最終候補地とするには幾つかの問題点を抱えています。まだ『母なる計画』は終わるべきではない。そのためにあなたは消えてはならない。わたしは――〈チルドレン・プログラム〉のバグは修復に反対いたしません〟

 キィのその言葉に、緑色の文字は一瞬鮮やかに輝いて――

〝判った〟

 小さく〈マザー〉が頷いた瞬間、キィの白い姿は一瞬にして消え失せた。

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