頭のよいひとたちとの対話

「本当は行きたくないんだけど」


 カナエはそう言って車を西に向けた。

 由緒ある街に位置する日本の研究の拠点。


 医学、化学、物理学と言った理系分野だけでなく、経済学、哲学、歴史学、さらには文学まで・・・・


 数多のノーベル賞受賞者を輩出してきたその地において、まずはいきなりストリートでバンドを晒した。

 だが。


『おおーい。なんで誰も止まんねえんだよー』

『俺のドラムをスルー? ふざけやがって』

『まだまだわたしのギターは人の心に届かないってことか・・・』


 男3人は心の中で結局は自己完結してしまい、場所が悪い・相手が悪い、というぐらいの感覚で別の街で盛り返せばよいという諦めムードになっていた。


 ところが、紫華シハナはやってくれた。


「暑い・・・」


 マイクを通じてわざと声を掠れさせ、ラルフ・ローレンのポロシャツを脱いだ。

 その下にはオレンジ色のタンクトップ、丈が驚くほど短く、臍が見えて下腹部も露出されている。

 アンダーは珍しくデニムのタイトスカート。

 そして踝までのソックスに赤のデニムのコンバース。


 馬頭バズは、なんだよ結局色仕掛けかよ女は得だよなー、と心に浮かべたが、紫華のアクションはそれでも終わらなかった。


「ふう・・・みんな、まだ暑いよね」


 過ぎ去るひとたちに語りかけながら、伸びる脚をそのままに腰だけ折り曲げて片手だけでコンバースの紐をしゅる、っとほどく。

 それも、たったワンストロークで。


『あ』

『わ』

『すげ』


 紫華の一挙手一投足がロックしていた。


 靴下も脱いで裸足で焼けるアスファルトに立つ紫華。

 そのまままた上半身を元に戻して臍とお腹を見せる。

 その腹筋は割れているのではなく、凹んでいた。

 表面の無用な筋肉ではなく、皮膚の下に波打つインナーマッスルが見事なまでに節制されていて誰しもが指か手のひらで、くっ、と押してみたくなるような質感。

 それは決して男だけでなく、今この瞬間に立ち止まった女たちもそうだった。


 そして腹筋だけの問題ではなく、身長のない紫華は、頭、首、肩、腕、手のひら、指、コアたる体幹部、臀部、腿、ふくらはぎ、足首、足のプロネーションと足指・・・体のすべてのパーツがバランスよく整っており、身長以上に背が高く見える。ある意味縮尺を制御されたフィギュアのような趣すらあった。


 撮影し出したのは女のオーディエンスからだった。

 ただ、さすがに品格高い古都ではある。『あ、撮影いいのかな?』という表情をするとカナエがすかさず、


『撮影・拡散お願いします!』


 と書いたボードを皆に掲げて見せる。


 気がつくとわらわらと集まって来た女子・男子による『紫華撮影会』の様相を呈してきた。


 蓮花レンカはリーダーとしてさすがだった。激しい曲は撮影会にそぐわないと判断して、紫華にお伺いを立てる。


「姫さま、何を奏でましょうか」

「じゃあ、スザンヌ・ヴェガの『Left of Center』を」


 オーダーを受けてウコクがアコギのように優しくストラトキャスターの弦を弾く。

 紫華が憧れの『ニューヨークの詩人』と呼ばれる女性シンガー、スザンヌ・ヴェガの良作を歌い上げる。


『お念仏を百万遍唱える』という趣旨でついたこの地名近辺は特にアカデミックでスタイリッシュな伝統を重んじるエリアだ。

 相手を見て選曲する心のゆとりも必要なのだろうとバンドは学んだ。


 ただ、翌晩に控えるその大学での『サマーナイトフェス』への出演をカナエは気乗りしない様子で準備を進めていた。蓮花が訊く。


「カナエだって大学出てるんだろう? そんなに偏差値とか意識するもんなのか?」

「勉強の偏差値だけなら別にいいのよ。わたしが嫌なのは『人間としての偏差値』みたいなこと言い出されることなのよ。耐えきれないのよ」


 翌晩、出演バンドのミーティングの際にカナエだけでなくバンド全員がそういう感覚を味わった。

 学生が運営を務めているところも余り気分のよいものではなかった。


「出演バンドは全部で5バンド。すべてメジャーデビューを果たしておられるバンドさんたちですもんね」

「いえいえ」

「トリは当然『アナライズ』さんですよねー。もうセンスあって風格すら出てきましたもんねー。で、残り3バンドはこういう形で・・・その更に残り、トップバッターはAエイ-KIREIキレイさんで。あ、『前座』的な意味でのアタマじゃないですからねー。気を悪くしないでくださいねー」


 運営の男子学生はこういうイベントには精通しているという。なぜならこの大学の名前を出せば相手の方から出演させてくれと言われることばかりで大物バンドも扱ってきたからだという。

 そしてカナエが言っていたことの意味をメンバー全員が理解した。


「A-KIREIさんでは紫華さんがズバ抜けてますよねー」

「え」

「昨日のストリートライブの動画、観ましたよー。もう、センスの塊! かわいいし振る舞いが人を気分良くさせるというか・・・」

「あの。ウコクも蓮花も馬頭も、わたし一緒にいると気分いいですよ」

「それは説明して初めて分かることですよね。そうじゃなくて僕たちはエンターテイメントが至上ですから見て触れた瞬間に惹きつける魅力がないといけないかなー、と。そういう面で他のメンバーさんのルックスとかサイドストーリー的な展開は課題ですよねー」


 ほっとけ、と馬頭が呟いている。

 蓮花は脚を組んで苦笑いしている。

 ウコクはこれが世間の反応なんだろうなと自分のココロをとにかく無視することにした。


 そして、運営の終わらないトークが続く。


「ソロ、とか」

「えっ」

「紫華さん、ソロとかやればいいのに」

「おい」


 たまらず馬頭がぞんざいに声をかける。


「うちの姫さまを惑わさないでくれないか」

「惑わすんじゃなくて正当な評価をするための材料をお渡ししてるんですよ。だって冷静に考えてくださいよ。彼女と男性メンバー。どう見たってバランス取れてないじゃないですか」

「すみません」


 カナエが口を挟んだ。


「ロックって、バランスなの?」

「僕はそう思ってますけど」

「・・・ベースの、蓮花の指を見て」


 突然カナエに振られて蓮花はなんとなく、ぐっ、ぱっ、と左手の4本指を開け閉めしてみせる。


「蓮花の指は芸術よ。しかも望んで手に入れたものじゃない。『否応なく事実としてそうだ』、という指よ。運命よりも重みのある『アンバランスな美の極地』を示す指よ」

「カナエさん。僕はあなたをプロデューサーとして評価してますけど、そういう話は売れてからにした方がいいですよ? 世間はなんとかの遠吠えとしか言いませんから」


 打ち合わせが終わり、『前座』での登場となったA-KIREI。ステージに上がる前に紫華がカナエに言った。


「前座でオーラス、っていうの、どうかな?」


 紫華はウコク、蓮花、馬頭と円陣を組んでを言った。


「この曲にしたい」


 男全員、こともなげに「いいよ」と言った。


「A-KIREIです。みなさん、よい夜を。『さよなら僕の日々』です」


 ウコクの静かなメロディで『さよなら僕の日々』を紫華は歌い始めた。


 さよなら

 毎日言うよ さよなら

 何度も何度もいうよ さよなら

 だから、おやすみ

 昨日まで生きてた

 朝まで動いてた

 時間はなかったのに

 帰ろう

 早く、帰ろう

 もしあなたがまだ生きてるのなら

 帰って来て

 他の誰かと夜空を見ないで

 ささやかなけれどもあたたかなわたしの元に

 ねえ早く


 紫華が歌詞を歌いきったエンディング間際で馬頭が、すたっ、とスネアを2本のスティックで叩いたのを合図に、大学の講堂にハウリング混じりの轟音が叩き込まれた。


 ギターとベースとドラムの拷問のような轟音に加え、本来の歌詞でないアドリブの紫華の怒鳴り声が追い討ちをかける。


「人生僅か50年、あと何年だあ!?」

『ツァ! ツァ! ツァ!』

「わたしの犬は30分前にもう死んでた早く帰れば死に目に会えた!」

『デッ! デッ! デッ!』

「帰れよ、さっさと、まだ生きてる内に! キミ自身が!」

『ドリャ! ドリャ! ドリャ!』

「死ぬ前に、行けよ! 急げよ!」


 紫華の怒号と男どもの焦燥のコーラス。

 1曲でじゅうぶんだった。


 観客の大学生どもがA-KIREIを渇望する歓声をほったらかしにしてバンドはさっさとステージを降りてきた。カナエが運営に告げる。


「ギャラ、要らないわ」


 男だが高いオクターブでクレームする運営。


「どうしてくれんすか! これじゃ次のバンド出れないよ! 滅茶苦茶だ!」


 カナエは無表情で返事した。


「それがロックでしょ」

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