「間に合ってる」

 眠れぬのではなく眠らせてもらえない夜を5人は過ごした。

 翌日演奏する屋外集会場の真ん前にあるホテルに5部屋とったのだが、最初に襲撃を受けたのはウコクの部屋だった。

 ウコクは通り魔殺人犯に復讐するその準備期間も刑務所で服役する13年間も、一度も熟睡することがなかった。常に精神のどこか一本は糸を張った状態にしており、微かな異音も鼓膜が揺らされれば即座に脳が覚醒するという身体の構造が出来上がっておりそれはこうして娑婆に出てバンドをやっている今も変わらない。だからドアの鍵をキ・キと捻る音にベッドの上で上半身を起こした。


 貧弱な部屋の質素な備品である軽金属製の長いタイプの靴ベラを握ってドアの脇まで近づく。

 チェーンはきちんとかけてあるのだがその長さが異様に長かった。ドアの隙間が拳以上の間隔に悠々と開き、手首がチェーンを弄った。ウコクが隙間から廊下を覗くと相手が一人だけであることが視認できた。

 ウコクは靴ベラを刀のようにして敵の手首に打ちおろす。


「うおあ!」


 手首が引っ込められたと同時にチェーンを外してドアを開け、かつての動作をそのまま繰り返して敵の喉を突いた。


「ぐええ・・・・」


 土下座するようにずだっとうずくまる相手の両手首を骨折させるような力で引きつけて電源の延線コードを遠心力も使いぐるりと巻く。一回、二回と巻いてで動きを止めた。


 喉の苦しみが少し回復したのか相手は転がったままウコクを蹴ってきたのでローファーのつま先で股間を正確に蹴り抜いた。


「あおおおおおぉおお・・・」


 縛られた手首で患部を抑えることもできず端から見てもはっきりと脂汗が顔面に滴り落ちていた。

 一言もウコクは発せずに男を引きずり起こし、非常階段を使って下に歩かせる。暴れると問答無用で数段の階段を蹴落としてまた引きずり起こし、ロビーを目指した。


 フロントで夜勤しているのは少年だった。


「合鍵を渡したのか」

「さあね」


 ウコクの問いに必要最低限の英単語のみで応答する少年に話すことは不毛だと即座に判断し、ウコクはフロントに置かれている客が梱包に使うガムテープを取って男の手首と両足首を固定しなおした。外した電源ケーブルで応接テーブルのソファに寝かせて一点のみ重厚なテーブルにケーブルをくくりつけ「一晩寝てろ」とウコクは男に命令した。


「5ダラー!」


 男が少年に向かって叫ぶ。ウコクは少年の前まで歩いてこう言った。


「あいつが一晩中何を言っても何もするな。明日チェックアウトの時にあいつが言った金額の倍精算してやる」

「あいつが5,000ダラーって言っても?」

「あいつのポケットには10ドルしか入ってない」


 ちっ、とつぶやく少年を後にウコクはカナエの部屋に向かった。

 深夜に訪れるウコクをチェーンの隙間から眉をひそめて見つめるカナエ。ウコクが短い言葉を発する。


「一緒に寝よう」

「え?」

「言い方を間違えた。一緒の部屋で寝よう」

「・・・どこが違うの?」


 5人は紫華の部屋で固まって眠ることにした。さっきの男の武装はナイフだったが敵が銃を持っていない限りは数的優勢で防戦できるだろうとウコクは考えたのだ。昼間のプサムの話から銃の所持は合法だが軍でもゲリラでもない一般市民が銃を購入できるだけの経済的基盤など持ち得なかった。も同様だ。


「合宿みたいだな」


 馬頭バズがそう言っても誰も反応しなかった。


 眠れぬ中雑魚寝で5人が交代でまどろんだ数時間後、明け方になってドアがノックされた。全員が目を覚ましてそれぞれの部屋から持ち寄った軽金属製の靴ベラを手にしてドアの前に集まる。ただし内部からは応答せずにノックをしばらく放っておくと、今度は足でドアを蹴り初めた。


 ウコクがすぐに靴ベラを振り下ろせる体制でドアを数㎝開ける。


「ねえ、買ってくんない?」


 暑い地域とは言えそれでも極限の露出の服装の女が二人立っていた。彼女たちまるごとというつまりはそういう商取引のようだ。

 ウコクが短く呟く。


「いい。間に合ってる」

「あら。ほんとね」


 紫華とカナエの姿と残りの男どもの姿もちらりと視界に入れた女二人はそう言って別の部屋のドアの前へ歩いて行った。


「『間に合ってる』だって・・・」


 紫華がウコクの台詞にクスクス笑いながら全員にこう提案した。


「明日のステージのテーマ、わたしが決めてもいいかな?」

「なんだい」

「『絶望ロック』」

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