違和感をぶちまけろ
きっかけはパラリンピックに対する障害を抱えるひとたちのこんな言葉だった。
『パラリンピックに疎外感を覚える』
ああ、と紫華は呻いた。
自分はいじめに遭った。始まりは自分が身内の死を呼び起こすその不幸の源泉として。いじめる側にとっては紫華は胸糞の悪い人間であり攻撃欲求に駆られ唾棄すべき存在だと捉えられていた。文字通り、唾棄もされた。
ただ、だからこそ紫華は圧倒的なシンパシーをいじめに遭う人間や虐待・災害・犯罪の被害者たちに抱き、自らもシンパシーを抱かれる存在だ。
しかし、掟がある。
『抜け駆けは許さない』
紫華はかつてこういう光景を観た。
小学生の時に自分と同じようにいじめに遭っていた男子が中学に進学すると弓道部に入った。
そして弓道という道で研ぎ澄まされた集中力という才能を発揮し、全国の中学生の頂点に立ったのだ。彼は言った。
「いじめなんかに遭ってる暇はない」
つまり、彼は解脱したのだ。輪廻のようないじめのループから。
そして教師はこう褒め称えた。
「いじめの苦しみを弓道で乗り越えた。立派だ」
と。
その日紫華は女子どもに秘部に唾液を垂らされ踏みにじられたあと放置された女子トイレのドアを蹴って破壊した。いじめをした女子どもへの苛立ちではない。解脱した男子といじめをどうにもできなかった無能を棚上げして無思慮なコメントをした教師に対しての怒りだった。
「卑怯者」
同類であったはずの男子と、偏狭な自助努力を褒め称える教師をそう呼んだ。言いがかりみたいだと自覚しながらもその感情を抑えることができなかった。
今、自分は
それを、障害を抱えるひとたちのパラリンピックに対する、『疎外感を覚える』という言葉で思わずにはいられなくなったのだ。
「ならばそれをそのまま歌って?」
カナエはあまりにもストレートに紫華への欲求を告げた。えっ、と思わず考え込む紫華を更にブーストした。
「逢っておいで。紫華」
紫華が訪れたのはきらめくようなパラリンピックの代表選手が練習するスポーツ施設のその隣にある、コンクリートで固められた川に沿ったやはりコンクリートの遊歩道だった。
「こんにちは」
逢う人間全員に声を掛ける紫華。
そこには兵役から帰還した、戦場で片腕や片足を失ったような傷を負った人たちがベンチに座ったり、中にはピクニックシートを敷いた上に義足を投げ出してコインを入れる箱を置く者も居た。
これが現代のこの国の光景とは到底思えなかったが、事実ではあった。
「嬢ちゃん、小銭をくれないか」
無言でそっとコインを入れる紫華。
「嬢ちゃん、綺麗な服を着ているね」
「古着屋で買ったんだ」
「ほう・・・いくらだい?」
「このTシャツは1,000円」
「上等だね」
ショッピングバッグレディも居た。
そして彼女は左足を引きずり左腕は小刻みに震えていた。
「まったく! こんな体じゃ働けやしないのに治療費すら誰も面倒見てくれない!」
「どうして?」
「わたしが輸入の葉巻を吸ってるからだろうよ!」
ショッピングバッグレディは鼻毛を切るハサミを代用にして葉巻の端をカットしていた。そしてゆっくりとマッチを擦って火をつけ、まるで肺活量測定の器具で最大の呼気を計測する時のように深く激しく煙を吸い込んでいる。その動作のまま紫華に訊いてきた。
「ぷはあ。アンタは幸せだねえ」
「幸せ?」
「だってそうだろう。五体満足でそんな可愛い顔して。彼氏だっているだろう?」
「いないわ」
「ふうん?だとしてもアンタはやっぱり幸せだよ。わたしみたいなのに比べりゃね」
「お姉さんは幸せじゃないの?葉巻を吸ってるのに」
「ふっ。アタシを『お姉さん』て呼んでくれるのかい。ありがとね。葉巻を吸ってても幸せじゃないのさ。いくら吸わなきゃいられないからってね」
「じゃあ、わたしも幸せじゃない。音楽やってても幸せじゃない。だってわたしは本当の願いをまだ叶えてない」
「ほう。なんだい? アンタの本当の願いって。かわいい音楽家さん」
「全員、救うこと」
「全員だって?」
「そう」
「アタシもかい?」
「そう。もちろん」
「ぷっ、はははははは! そりゃ、無理だね。アタシみたいな神も仏も信じない人間、救われないさ!」
「じゃあ、わたしもずっと幸せになれない」
「おもしろい娘だね」
「歌っても、いい?」
「構わないさ、sweet heart」
紫華はショッピングバッグレディが葉巻を吸い込む時のような極大の呼吸で息を吸い込み、そして吐いた。
思い通りにならない
誰も言うこときかない
自分さえどうにもならない
歌おうか、歌おうか
それともぶっつぶそうか!
一息に歌い切った紫華を見て立てる者は全員立っていた。立てない者は上半身だけでもと必死で起こしていた。
ショッピングバッグレディが言った。
「アンタ、仲間だ」
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