FIVE・ロックン・ロール・トレイニー
プロデューサーの企み
カナエは極めて優秀なプロデューサーだった。
どの位優秀かというとかつて業界最大手のT-Factoryからヘッドハントの打診があった。
しかも部長級の待遇で。
当時GUN & MEの社長はカナエにその転身を勧めた。理由は極めてシンプル。
『カナエならば世界で聴き継がれるアーティストを育てることができる』
その確信があったからだ。活躍の場を大手に移せば必ずやカナエはビッグ・アーティストの最高傑作を、あるいは煌めく才能を秘めたバンドを万度に開花させるだろうと。
そしてそれは『確信』ですら不十分な表現だったと社長は考えていた。
『事実、彼女は世界じゅうのオーディエンスの魂を射抜くバンドをプロデュースできる』
と。
カナエ自身は実は楽器が弾けない。
自らバンドを組んだこともない。
おそらくこういうプロデューサーは少数派の筈だ。
カナエ自身の能動的な音楽への関わりはPCを使い打ち込みで曲を作る範疇に留まっている。しかもその楽曲をバンドに提供するわけでもなく自分自身の様々な感情の起伏に合わせたBGMとして聴くのみだ。
だが、それは突き詰めれば音楽で自らを救う行為と言える。
仕事や生きる上での諸事に疲れ果て、ただ立って帰路を歩くだけで涙が溢れる時、カナエはどのバンドの曲でもなく、自らが自らのために作った音源をイヤフォンで聴く。
シンセの音色。
ドラムマシンのハイハットのオープン・クローズ。
ベースラインのドライブ。
ギターをサイケデリックに歪ませてエコーをかけるタイミング。
スネアドラムにかぶせるクラッシュ音。
執拗なまでに偏執狂的にこれらの作業にこだわり、自らが欲する楽曲と音源を築き上げる。
決して学歴や経歴は華麗なものではないが聡明で美しく、
いや、音源作りすら仕事と繋がっていた。
GUN & MEの所属アーティストはロックバンドだけでなく、演歌歌手やアイドルもいる。
彼・彼女らが楽曲を作り上げる際にカナエが何よりも優先順位を高く求めたのは、
『あなた自身が聴きたい音楽』
だ。
それは曲を『音』として構成するたった一瞬の『クラッシュ音』であってもよいとすら考えていた。カナエがかつて聴いたロック・ユニットの埋もれた名曲の中に、硬質のギターソロが終わった瞬間に放り込まれる、「ギュッ・キーン」という金属音があった。カナエは曲の中に楽器ではないこの音を絶妙のタイミングで入れ込むそのユニットのセンスをこよなく愛し、それをヒントにして演歌歌手のシングル曲に応用した。
その演歌歌手のシングルはGUN & MEの最大のヒット曲となった。
カナエは実は究極のバンド・アンサンブルは1人のアーティストによる「マルチ・レコーディング」だという思いがある。本当の意味でエゴイスティックに『自ら欲する音楽』を作りたいのならば全部自分でやるしかない。なぜならばカナエは薄々こう感じていたからだ。
『価値観が同じなんて甘っちょろい結束だけで究極のバンドアンサンブルなんてできない』
もしも人生の言行そのものが完全に楽曲と一致するようなバンドがあったとしたら(音楽に死す、あるいは音楽で殺す、というようなことを本当に実現できるバンドがあったとしたら)、そのようなバンドをフォローすることでもしかしたら究極のバンド・アンサンブルをフォロワーたちも実現できるかもしれない。
『好きなバンドが同じ』という価値観を共有して。
だが、そのような本当に人生そのものと楽曲・演奏が一致しているバンドは残念ながら極めて数限られる。そして稀有なそのバンドを好きな人間が同時に4人集まるということの方が更に確率としては小さくなるからだ。
ただ、カナエは社長にこう言い続けていた。
「わたしは大手のレーベルに移るつもりなどありません。なぜならば、究極のロックバンドはGUN & MEという、わたしが欲しい音楽をわたしの好きなように紡がせてくれる環境でないと実現できないからです」
そう言い続けていたカナエに対して、GUN & MEの事業継続と、ロックをこの世に生き続けさせるという崇高な理念を持つ社長がカナエにオーダーした言葉。それが、
「世界一のロックン・ロールバンドを創れ」
という決断だったのである。先行する投資とそのための資金繰りも含めて。
カナエは物事をひとりでやるのではないのならば、最も結束力を強める理由がなんなのかということをずっと考え続けていた。
いじめのど真ん中にあった子供の頃からずっと。
そして具体的な単語にはしていなかったが、カナエの中に既に答えはあった。
「『辛酸』、だよ」
それぞれの身に起こった事象は異なるが、『地獄』そのものの苦痛と苦悩とを体験し続けた4人。
ポジティブな高揚感や絆という言葉で表現される繋がりも世にはあるだろうが、カナエが実現しようというバンド・アンサンブルは、
つまり、辛酸によって、4人が繋がるだけでなく、ぎゅっと圧接してその熱で溶け合って、多重人格ながら一個の人間の個体として『たったひとりのバンド』としての音源を叩き出せると極めて冷静に経済合理的に、だが、この世の誰よりも熱い中二病的思考で戦略を立てた結果だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます