トレーナーとトレイニー

 カナエはバンドメンバーに集合をかけた。場所はフィットネスジム。

 男3人が自分の好きなバンドのTシャツとスゥエットをボトムにしているのに対し、紫花シハナはアンダーアーマーの速乾性Tシャツにランニング用のショートパンツ。アンダーアーマーの踝までのソックスにナイキのランニング用シューズ。


 そしてカナエはノースフェイスのTシャツにフィットネス用のタイツ、シューズはアディダス。


「女子2人ともキメてるね」

「男子はジムに来てる人たちにも配慮して。みんなスマートな雰囲気も楽しんでるんだから」


 ロックのTシャツでもこの場に馴染むお洒落なものはあるだろうが、男ども3人衆のそれはゴリゴリロックン・ロールの熱すぎるデザインだった。

 蓮花レンカにそうクレームした後カナエは今日の趣旨の説明をする。


「ロックは元来ストイックなものよ。アスリートに匹敵するぐらいに。だから今日はみんな体をいじめ抜いてもらうわ」

「ストイック? いやいや。我慢せずになんでもありの発散をするのがロックじゃない?」

馬頭バズ。じゃあ、スプリングスティーンが歌ってるのはどんな人たちのこと?」

「う・・・そうだな。ワーキング・ソングっていうイメージもあって、ごく普通に働くひとたちかな・・・」

「でしょう。みんなが辛酸を経てきてるのと同じように、日常を我慢できなくてはっちゃける、っていうのはわたしにとってのロックじゃない。日常に沈み込むように耐え難い苦悩を毎日くぐり抜けながらそのままで瞬間的に狂気と激情を爆発させる。それがわたしにとってのロックよ」

「カナエ。分かる」


 紫華シハナが呟く。


「アスリートだって自分の好きな競技を自分のやりたいようにトレーニングしてるだけだったら尊敬は受けない。必然、ていうか深い苦悩の末にその競技をやらずにはいられない、そういうレベルじゃないと、それはとは言えない」


 カナエはにこりと紫華シハナのセリフに笑みを返す。ウコクが最後に凄いことを言った。


「わたしは通り魔を殺すために膨大なフィジカル・トレーニングを繰り返した。そしてそれは精神というか『殺す』という決意を固めてくれた」


 5人の脇を通る人が、びくっ、と半歩後ずさった。


「それでね。今日は特別講師を招いているの。女性よ」


 ヒュウッ、と馬頭が口笛を鳴らす。

 カナエが向こうのロウイング・マシンで、シュン・シュンと音を立ててトレーニングしている女性をお願いします、と頭を下げて呼んだ。馬頭は軽く失望した。


「東条です。64歳よ。よろしく」


 白髪で日焼けした顔にはシミとシワが還暦越え相応に散りばめられていた。だが、彼女は口元を片方上げて告げた。


「カラダは30代初頭よ」


 ・・・・・・・・・・・・


「甘い! へばるな!」


 それぞれがヨガマットの上で体幹をいじめ尽くす自重トレーニングを東条に強要されていた。

 四つん這いで片腕と片膝をついて片方の腕と片方の足をまっすぐ宙空で曲げ伸ばしした後でそのまま静止するメニュー。いやでも腹筋を凹ませざるを得ず、しかも臀部の筋肉が段々と痛くなってくる。


 これを20セット。


「ウコク、やっぱりすごい・・・」


 演奏の時以外はそこまではっきりと感情を剥き出さない紫華はけれどもウコクを無条件で称えた。

 懐刀で通り魔の頸動脈を突く動作をトレーニングとして百万回繰り返したかもしれないウコクの体は5人の中で際立っていた。


 そしてカナエも。


「ふっ!」

「うむ」


 東条トレーナーの見下ろす中、カナエはベンチプレスで90kgを持ち上げた。一般人の女性としては相当なレベルだろう。残りのメンバーたちは危険なのでベンチプレスはやらないが、東条トレーナーの指導によってジム内の様々な器具を使い、ギリギリの筋力トレーニングを課された。


「はっ、はっ・・・ロックにこれって要るのかなあ?」


 東条トレーナーは弱音を吐く馬頭に凛として訊いた。


「キミの人生の目標は?」

「えっ・・・」


 一瞬間が空いたが馬頭は思う通りを答えた。


「世界一のバンドで世界一のドラマーになることです」

「よろしい。鍛えなさい」


 女性だが東条トレーナーはまるで武士のような姿と立ち居振る舞いでバンドのメンバーを鼓舞した。いわばバンドの激情ほとばしる演奏とは少し性質を異にする、静かな闘志とでもいうような謙虚で控えめな東条トレーナーのそれ。

 カナエは告げた。


「演奏の練習を10の内2としたらジムでのトレーニングは4よ。今日からみんなは東条トレーナーの弟子よ」

「よくわかった。とても納得できる。だがカナエ。じゃあ残りの4は?」

「走るのよ」


 蓮花にカナエは微笑みながら答えた。

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