絵師に習う歌
バンドがトレーニングやランニングといった音楽とは一見関係のないことをこの時期にやることがとてつもなく深い意味を持つとカナエは合点した上でこれらの行動をとっていた。
最初の内は
絵師が4人の前に現れた。
「
「はい」
ウコクよりは年を経ていると思われる口ひげのある画家は日本画が専門だった。それも本当の意味での職業画家、一般の依頼主から頼まれる肖像画や神社仏閣からのオーダーとして入る宗教画を専門にする画家だった。そもそも金銭を得て依頼主の依頼内容を遂行する画家なので日展などのいわゆるコンテストに絵を出したことがなく、そういうものに興味もないという男だった。
名前は
三弾のアトリエがある自宅マンションに
「今日は三弾さんに詩を習います」
「え」
「え」
「え」
「分かった」
紫華以外戸惑ったが、カナエの説明を聞いてそういうものかもしれないと男どもは思った。
「三弾さんは依頼主の様々なリクエストを聞いてそれを絵に表していかれるのよ。それはわたしたちが思うよりも遥かに困難な作業」
「そうでもありませんよ」
「いいえ。三弾さんはそれら依頼主の記憶や心の中や、もっと極端な時は『宇宙から降ってくるイメージを絵にしてください』なんて言う神社仏閣からの難解で技術的にも一級品が求められるその作品は、いわば極めて私的な相対取引で作品がやりとりされる。もっと言えば『埋もれた』名作なのよ」
「はは。カナエさん。『埋もれた』というのはまさしくその通りですね。わたしの描かせていただいた絵を目にするのはごく少数の人たちだけですからね」
「すみません、お気に障ったのならばお詫びいたします」
「いいえ。埋もれているが天に届いていると思います」
圧倒された。
三弾のその迫力に。
そして詩を教えることの理由も言う。
「わたしは絵を描きながらその描写を『詩』もしくは『歌』のように心の中で呟きながら書いています。すると和紙を前にして迷いなく筆を動かすことができるのです」
それから三弾は紫華を呼ばわった。
「紫華さん。もし詩のメモを持っておられたらお見せくださいませんか」
「はい」
軽々しいことは嫌いだ
重々しい方が笑顔を作ることもある
楽しすぎるのは却って怖い
ほどほどの不幸がいい
「紫華さん、すごい詩だ。これを絵にしてみます」
そうさらりと言って三弾は顔料を溶かした陶器に筆をくっ、と含ませ、ひと息に輪郭を描いた。
それから鮮やかな色の顔料を複数使い、わずか2分半で絵が完成した。
紫華以外の4人が軽く驚愕した。
「龍」
三弾は解説的なことを一切しない。
だが、バンドとカナエはこの龍に紫華の孤独なイメージを見た。そして紫華が断片的に言葉を口にした。
「赤。魚?」
赤、と魚、と聞いてその場にいた人間は金魚? と連想したが、実際は鯉だった。
紅い、錦鯉。
「さすが、紫華さんだ。詩人だ」
三弾から『詩人』と呼ばわれ、紫華はほおを軽く火照らせた。芸術というか創作家であるふたりは通ずるものがあるようだった。
「鯉は登るのですが、その大魚が更に姿を変えて龍となり、雲へも駆け上がる、そういうイメージをわたしは紫華さんの詩から得ました。『不幸』という単語の選択が素晴らしい」
そのあと、バンドとカナエは逆のことをやってみた。
三弾の描いた絵から詩の断片を紡ぎ出すのだ。
肖像、仏画、風景、いくつかの日本画を見せられた中で、全員を慟哭させる絵があった。
「一百三十六地獄です」
恐るべき絵だった。
本当に血を使って描かれたのではないかと思える鮮やかな赤の中、業火に焼かれる亡者たち。
ホンモノの『地獄』を描いた掛け軸だった。
「見てください。青鬼が鋸をぶら下げているでしょう。次の軸が続きです」
鋸で、亡者の体を、股から歯を引いて、2つに切り開いていた。
骨と夥しい血と臓物と、匂いすら漂ってくるような、美術館等で見る絵とは完全に世界の違う、事実を突き詰めたような絵だった。
通常であれば直視できない絵。
だがそれを5人は真正面から正視していた。
「ほう・・・皆さん、この世の地獄をずっと生きてきたと見える・・・」
紫華が代表して詩を書いた。
日の暖光と
月の寂光とで
一百三十六地獄を
溶かし尽くす
三弾は、ひとことで評した。
「美しい」
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