THREE・世界よ、トケろ
惜しむ余裕などない
「志は出し惜しみしない。社長、決裁を」
「カナエ。儂は私財を十二分に注ぎ込んでいる。自宅を担保に差し出すことはもちろん、この命すら音楽のために捧げているつもりだ」
社長が言うことは嘘ではなかった。社長は銀行からの借り入れすべてに自分が死亡した時の生命保険金をも担保として差し出していた。その彼が絶対の信頼を寄せるカナエ。
人員が少ないから仕方なくということではない。社長はカナエを愛していた。
「カナエ。儂はこの年になってお前のような参謀を手にいれたことに満足している。だが、お前は更にその上を行ってっくれた」
「わたしがただやりたい、と言い続けただけです。現実にリスクを負い果敢にサポートしてくださったのは社長です」
「うむ。儂はプリンスの初来日の時東京ドームで彼を観た。このまま死んでもいいとすら思った。それほど素晴らしいステージだった」
「はい・・・」
「だから、儂は音楽に命すら差し出した、その更に先のリスクを取ろう。カナエ」
「はい」
「失敗したら生きながら地獄に堕ちるのと同じだぞ」
「構いません」
「それほどか」
「はい・・・
「うん」
「どうか決裁を」
「わかった。やれ、カナエ」
「はい」
カナエはコンサート会場を押さえにかかった。
・・・・・・・・・・・
ビジネスだ。
そんなことはハナから分っていた。
自分の役割は極めて現実的な、『興行』としてのロックビジネスを冷徹に進めるための実務者なのだと苦しいほどに分っていた。
しかもそれをほとんどたった一人でこなさなくてはならないことを。
本当は
寂しい。
たまらずカナエは中学来の音楽友達に電話をかけた。
「あの、さ」
「どうしたのカナエ? 珍しいね」
「今度大きなコンサートを手がけることになったんだよね」
「へえ、すごいじゃない。アレでしょ。A-KIREIでしょ」
「うん・・・」
「すごいよねー。あの
「マディソン・スクエア・ガーデン」
「え」
「マディソン・スクエア・ガーデン。ニューヨークの」
「それって、ほんとなの」
「ええ。本当。わたしが冗談言ったこと、ある?」
「ない・・・」
通話を終え、ベッドにスマホをぼふっ、と放った。ドアを開けマンション通路に出る。隣室のベルを鳴らした。
「紫華」
「どうぞ」
部屋のベッドにふたりで座るカナエと紫華。部屋着の素足が触れ合いそうなぐらいの近さに並ぶ。
紅茶かコーヒーか訊く紫華にカナエはコーヒーを頼んだ。
真夏だけれども、ホットで。
「紫華。ニューヨークなんだ。初ワンマン」
「ライブハウスじゃ、ないんだね」
「ええ。どこだと思う?」
「多分すごく有名なところ」
「マディソン・スクエア・ガーデンよ」
「そうなんだ」
紫華は平坦なままだった。けれどもそれは当たり前だと言わんばかりの不遜なものではなく、苦悩するカナエに静かに接してあげたいという意思のように思えた。
「プレッシャーじゃない?」
「ううん」
紫華は即答した。
「ストリートもマディソンも同じ。ただ音を奏でるだけ。歌を歌うだけ。中学校でのギグですらわたしは別に」
そう言って付け加えた。
「身体をどうにかされるのは日常。ココロをどうにかされるのも日常。それに3人の男の子たちはもっとだよ、きっと」
カナエは恥ずかしくなった。
このバンドの一人一人がこれまでの履歴で辿って来た辛酸を今一度記憶に呼び戻した。そしてその記憶はあくまでもカナエが4人のプロフィールと独白から知り得る範囲のものであって、生の事実として五感と第六感とでくぐり抜けてきた当の本人たちの記憶とは一致しないはずだ。
4人全員、生のホンモノの地獄を生きて味わってきているのだから。
「お金は?」
「社長が明日メイン行と話す。下手したらシンジケート・ローンすら組まないと対応できない金額になるかも」
「そう。カナエ」
「うん」
「好き。愛してる」
故郷での別れ際叔母に言った言葉に紫華は抱擁を加えてカナエを慰めた。
翌日、どのような交渉をしたのか、カナエにもバンドにも一切何も語らず、社長はただ融資を決めてきた。
「これは儂の経営判断だ。カナエ、みんな」
「はい」
「キミたちのやることは素晴らしいステージを実現すること。その一点だ。儂はキミたち一人一人のその人生の履歴だけで既にこのバンドが世界最高のバンドであることを知っている。これでキミたちが成功しないなんてことがあったらそれはひとえに儂の責任だ。カナエ」
「はい・・・」
「キミの音楽人生を賭けて存分にやってくれ」
「はいっ・・・!」
カナエは心身まるごと働いた。
眠れない夜は紫華にコーヒーを淹れてもらった。
ステージのためのすべてのマネジメントを、もうひとりのバンドメンバーになったつもりで、自分も喉から血が出るようなシャウトをするように立ち向かった。
喋れるが母国語でない言語を使った交渉と事務連絡はカナエの心身を擦りへらせた。紫華はそのカナエを見て英語のコミュニケーションスキルを自らもネイティヴのレベルへと押し上げる努力も行った。
男たちは元来苦手なメディア対応も真摯に行った。
特にウコクは常にネガティヴキャンペーンの標的にされる殺人者としての履歴について、SNS上で丁寧に返信し続けた。復讐というヒロイックな行動に対してヒステリックに畳み込んでくる音楽誌の女性記者に対してもまるで彼女が被害者であるかのように罪を悔い今でも償い続けているのだと真剣に告白した。
テレビの地上波で日付が変わる直前の時間帯の一番有名な女性キャスターのインタビューを3分間受けるという好機を得た。だがそれは好奇の扱いでしかなかった。
「紫華さんはどうしてロックを?」
「え。理由なんかないです。やらずにはいられないから。それだけです」
「男性3人はどうしてロックを?」
「紫華と同じですよ。やらずにはいられないから。衝動を消せないから」
「意外と普通ですね」
女性キャスターのその最後のセリフは一体誰から頼まれたものだったのだろうか。
『A-KIREI、月並み』がその日の検索ワードと成り果てた。
公演は9月下旬だった。普通なら告知から1ヶ月経たずにマディソン・スクエア・ガーデンでスポーツだろうが音楽だろうが興行を行うことはあり得なかった。
それは平日の夜、エアポケットのように空いたその時間を押さえることがカナエの渾身のビジネスだったのだ。
資金面の制約も当然折り込んだ上で。それでも十二分に奇跡だった。
そして、とうとう、『敵』たちは一番姑息な手段を取ってきた。
『ベースでリーダーの蓮花。小指は部下を庇って失ったというのは虚言。実は反社会的勢力とのつながりという拭いきれない黒い噂』
演奏と公演のための機材やスタッフに関してはカナエは現地音楽エージェントにほとんど脅すように接触してかつ法外なフィーを支払ってなんとか確保した。
だがチケットの販売ルートだけはどうすることもできなかった。
もともとカナエはニューヨーク在住の邦人をA-KIREIの公演に動員して彼ら彼女らをアメリカだけでなく全世界に向けたバンド情報の発信源にするという緻密な目論見があった。
だが、『反社会的勢力への利益供与の可能性』という事実無根のフェイクを『商売敵』たちに拡散された今、チケットの流通も現地エージェントを通じた、まるでライブハウスの販売ノルマのようなザマでしかできなくなった。
9月最終週の木曜の夜。
A-KIREIはストーンズやビリー・ジョエルなど偉大なアーティストたちも演奏したそのステージに立った。
だが4人の目の前にいたのはマディソン・スクエア・ガーデンという『場所』のために偶然チケットを購入した人種様々な200人の観光客だけだった。
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