第24話 幕間 「やがてあなたが懇願するまで」.2
「菫……」
「どうしたのじゃ?汗びっしょりじゃぞ」
衣擦れの音と共に、対面のベッドから降り、菫は心配そうな顔をしながらこっちに歩いてきた。
彼女は無言で私のベッドの端っこに座り、こちらを触ろうとも、これ以上に何かを聞こうともせず、ただそこにいてくれた。
ただそれだけで、私は少し安心感を貰え、呼吸も楽になった。
実はというと、菫の方が「お姉さん」なんだ。それはアガタもよく知っていること。
アガタが作っているような「キャラ」ではなく、私たち四人の中で最初に生まれたのが菫。自然とお姉さんなのだ。
菫の中でそれをどう捉えているのかは知らないけど、彼女は常に私たちを気にかけてくれている。それは、ロザ君が安定してからでも、ずっと続いていること。
私たちを作成したばっかりの最初期の時、ロザ君はいつも顔のどこかに罪悪感の影を潜ませていた。
会話、行動全てがぎこちなく、まるで第三者の目線になって、高校時代の痛々しい自分を見ているような感触に、むしろ私たちの方が耐えられなかった。
だから私たちは彼をからかうような言動ばかり取っていた。
私自身、ロザ君の立場にいたら、相手に素直に謝罪を受け入れるより、このように「実は何でもなかった」かの如く、気軽な感じでいてくれる方が圧倒的に助かるのだ。
幸い、私たちは一番苦手としているところの「お互いの心の内を探る」という行為をする必要性はない。言わずもがな、同一人物だからだ。その方針が最善手だったと、私たち四人は疑わなかった。
現に、ロザ君は直ぐに私たちと打ち解けた。
数か月も経った今、彼はもう私たちの精神健康を心配する素振りは殆どしていない。私たちが極力不安定なところを見せないようにしているからだ。
そして、ロザ君が気に掛けてくれることをやめた今、代わりに菫が密かに私たちの面倒を見始めていた。
彼女はずっとロザ君の隣に、私たちが生まれる過程を見ていた。そこから何らかの責任感や年長者としての感情が芽生えたのかもしれない。
事実上、同一人物でありながらも、菫の方が大人っぽく感じる。私だけではなく、他の二人も、水面下では菫を頼っているのだろう。
ロザ君を見ているとどうしても「自分」という感想が拭えない。その代わり、菫と話している時は、それこそ相手は気のいい年長者のように感じる。ロザ君にどうしても言えないことは、菫になら何故か全て言える。
それがどれだけ助かっているのか、菫にも分かって欲しいけど、何分コミュ障の私たちだ。
菫が自分で察してくれることを期待するしかない。
「少し……一緒に散歩でも……来てくれませんか?」
「そうじゃな……では一緒に夜風でも浴びにいこうではないか。ささ、姫。エスコートしてやろうぞ」
私の誘いに二つ返事で乗ってくれた菫は、仰々しい立ち振る舞いで私の手を取り立ち上がった。
それが微笑ましくって、私は憑き物が落ちたような気がした。
アガタたちを起こさないように、足音に注意しながら、私たちはキャビンの外に出た。
散歩と言っても行く当てなどないので、結局私たちは玄関の外でグルグル回った後、月を見ながらドアのすぐ隣に座った。
その過程で、菫はずっと私の手を軽く握っていた。
気が付けば、私は自分が抱えている恐怖心を全て菫にぶちまけた。
ウラカ社長のこと。アガタのこと。心と魂のこと。人間のこと、「電子生命体」のこと。
話がところどころ飛躍し、分かり辛いのかもしれない。
喋るのがそもそも得意じゃない私たちなのだが、私は特にひどい。何故かロザ君以上に口下手になっている気がする。
だからこそのこの無口キャラなのだが、限度はあるし、そもそも今の状況でそのキャラを貫く必要性は一切ない。でも私に限らず、理由ははっきりとしていないけど、四人全員キャラからちょっと抜け出せない状態にいる。
私のそんなともすれば聞き手をイライラさせるようなたどたどしい言葉の数々を、菫は面倒そうな顔を一切見せず、全部しっかりと聞いてくれていた。
「何故か妾にはセツカ殿が抱いておる恐怖がないのじゃ。分からぬ、ということではないのじゃ。ただ、妾は妾でしかない。それを他の誰かに定義されることでもなければ、されたところで妾は自分を信じるじゃろう」
「……強いですね……菫は」
「すまぬ。あまり、力にはならなかったか……」
「そんなことはありません!」
力強く菫の手を握り返すと、彼女は目を細め、少しはにかんだ。
「お礼、という訳でもないのじゃが。秘密を明かしてくれたセツカ殿にも妾の秘密を話してやろう」
菫は、複雑な顔色をして。
「半分は妾のせいじゃ」
突然そんなことを言い出した。
「半分は菫のせい」。
話が見えなさ過ぎて、私は目を見開いて、押し黙ってしまった。
「最初に誕生したのは妾じゃ。そして、あなたたちの記憶には多分ないのじゃが、『早く他の三人を作れ』とせがんだのも妾じゃ」
いつも凛としている菫。
ロザ君と双璧をなす、チームの壁役。
ピンチの時、頼りになる姉御。
「実は怖かったのじゃ。この世界で、独りぼっちでいることが耐えられなかったのじゃ。その孤独と恐怖をあなたたちに押し付けた張本人はロザリアン殿ではないのじゃ。妾が……」
そんな彼女は、とても悲しい表情で俯いている。
「もうこれ以上仲間を増やすのはやめろと、あの時ロザリアン殿に言ったら……セツカ殿もこのような思いをせずに済んだものを」
何でも解決してくれるお姉さんなんかじゃなかった。菫も、罪悪感に苛まれて、ロザ君とまったく同じことをしていたのだ。
それを気付かずに、数か月。彼女はどれ程のストレスを抱えていたのだろうか。
弱っている彼女の横顔は、とても痛ましいものだった。
「違うん……です。菫も……ロザ君も……悪くない」
菫を固く抱きしめ、私は彼女の胸に顔を寄せた。
ドク、ドクと。
ない筈の心臓の鼓動が聞こえる。その音が何よりも私を落ち着かせてくれる。
「じゃが……」
「もう……いいですよ」
「……セツカ殿」
「それとも……私たちがいない方が……いい?」
「そんな事っ……!」
ズルい言い方をした自覚はある。
彼女を離し、その泣きそうな顔に向けて、私は精一杯の笑顔を見せる。
「怖いことは……怖いです。それでも私は……楽しかったです。とても、とても」
「……そうか」
「はい。だから気に病むことなんて……何もない」
「そう……か」
ありがとう、と彼女は言わなかった。
私も、話を聞いてくれたお礼を言わなかった。
それが必要な関係ではなかったのだ。
この距離感が好き。
菫、そしてもちろんロザ君を含めたみんながいるから、こんなにも楽しい毎日がいる。
全員、私の大切な仲間だ。
「いやぁ、いい話を聞けたわ」
突如響いたそれは、私のよく覚えている声だった。
振り向くと、いつの間にか、彼女はそこにいた。
「クロノスリベレーター」の青い月に照らされている純白な羽。
紺碧に染められた巨大な翼は、まさしく悪魔の形相。その色は、どことなく持ち主の冷酷さを表していると、私は思わず想像してしまった。
日本人離れところか、人間離れした美貌は月夜にその存在感を誇示し、口元で湛えている嗜虐的な笑みは鬼気迫るものがあった。
「ウラカ……社長」
「こいつが?!」
菫は飛び起きた。気付けば、彼女は私の前に立ち、私を守ろうとして、右手を腰に伸ばしていた。
「うん、血気盛んな男の子ね。刀に手を掛けてどうしたのかしら。十四歳の時によく掛かる、日本の国民的な精神疾患かしら」
だが、ウラカ社長に一切相手にされなかった。
それもそうだ。ここは彼女のゲームの中。
私たちが物理的に対抗できる可能性は絶無。
刀を抜いたところで、それこそ本当に夜空に斬撃を飛ばし、月を切ろうとするただのドンキホーテでしかない。
「知っていて?春陽堂菫はあなた方の中で一番の『出来損ない』よ。一番面白いあなたとは正反対で一番つまらないわ」
菫に目もくれず、ウラカ社長は私に話しかけて来た。
「その反抗的な目はやめて頂戴。興奮するでしょ」
菫を悪く言う彼女を私が激高し睨むと、ぬらりくらりと躱された。
「最初に作った一人だもの。峰下君もまだ女の子の中に自分を入れることが恥ずかしかったじゃないかしら」
わざとらしく卑猥な言い方を取ったウラカ社長は、本当に楽しそうな顔をしている。
「名前にしろ、外見にしろ、はてはアルゴリズムにしろ。春陽堂菫はあなた方後から誕生した三人とは一線を画するものがあるという実感はない?」
そして、彼女はこう語った。
「春陽堂菫は峰下信也よ。ほぼ、ね」
当たり前の言葉。周知の事実。
だが彼女の口から言わせれば、何故かそれはひどく歪なことのように聞こえる。
「あなた方の中で唯一、峰下信也と私が認めている一人よ。だって、彼女だけ自分を男だと信じて疑わないんだもの」
「御託は良い」
私が混乱し、ウラカ社長の言葉を反芻していたところ、菫は話に割り込んだ。
「玩具が欲しいなら妾が相手してやろう。どうせやめろと言ったところで無駄じゃろう。ならせめて、自覚を奪う相手を妾にしろ」
「ちょ……ちょっと!」
私が叫ぶ。
だが、最悪なことに。
ウラカ社長の興味、ここに来て、初めて菫に向けた。
「……へー。本当に騎士なんだね」
「どうとでも言うが良い。もう仲間のあんな顔を見たくはないのじゃ」
「本来ならこのような指図を受けたら、まさにその逆のことがしたくなるのが私だけどね。いいわ。特別にその願いを聞き届けてあげるわ」
両手を合わせ、唇に当てるウラカ社長は蠱惑的な流し目で私を一瞥した。
「よかったわね。お仲間が代わりに犠牲になるらしいわ」
その目線に耐えられず、私はまた無様に震えだす。
その言葉はとこまでも、私の胸に突き刺さった。
だって。私は今さっき、菫の身を案じる前に。
本当に一瞬だけ、助かったと思ってしまったから。
卑怯で、卑屈で、臆病で。四人の中でも、私は多分、ダントツで最悪な人間だろう。
泣きそうになるぐらい、私はダメな奴だ。
「黙れ」
ウラカ社長の更なる追撃を遮ったのは、菫の静かな声だった。
あまりにも無感情なその声に、恐ろしい程の殺気を感じた。
あんな低い声が出せるのだと、私は驚いた。本当に菫の声なのか。
「ふふ。少し可愛がりすきたかしら。大丈夫よ。セツカ君は私の一番のお気に入りだわ。早々壊すような真似はしないよ」
菫の怒りをものともせず、ヘラヘラと値踏みの視線を私に送るウラカ。
「安心なさい。やがて来る、あなたが私に『峰下信也としての自覚を消して』と懇願する時が訪れるまで、あなただけこの罰ゲームから除外しようじゃないか」
何かの演出なのだろうか、翼を広げるウラカ社長は顔を上げ、月を見ていた。
彼女が今日言ったことは、何一つ理解できない。
ただ、一つだけ。
「私が……自ら?」
「ええ。近いうち、あなたはそう言うわ。必ずね」
彼女が言ったそんな荒唐無稽な話に。
戦慄と共に、疑うことすらできずに。
信じてしまった事実だけは、理解できた。
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