第32話 「人間の傲慢、美しく見せようぞ」.8

「アーニャさん。少々お待ちを」


「はい……クサモチ様」


「クサモチでいいよ」


「そんな……恩人であるあなた様を呼び捨てる何て」


「アーニャさん……」


「クサモチ様……」


「はよ戻れこのアホ」


 痺れを切らした俺のツッコミを受け、今も少し顔がポワポワしている色ボケ人妻から離れ、クサモチは大興奮した様子でこちらに戻った。


「見ましたかロザリアンさん!」


「はいはい見たぜ。色男色男。手際のいいことを」


「いやいやそんなところじゃないんですよ。ここのNPCのAIってどうなってます?流石隠しクエストですよ」


 言われて、俺も違和感を覚えた。


 アーニャとミーヤという母娘の挙動は余りにも自然だ。


 勿論、このゲームのNPCは、あらゆるプレイヤーが取る行動にそれ相応の反応を見せる大まかな行動パターンとセリフが入力されている。


 予想外の言動に辛うじて話を合わせるよう相槌を打つプログラムや、危害を加えてくるプレイヤーに反撃するなど、「命ある人間」を演出することに長けているが、所詮はNPC。演出にも限界がある。


「言われてみればAIが良く出来過ぎているな」


「ですよね!やっぱり!これって僕たちいきなり重要人物を引き当てたってことですかね?」


 途轍もなく多くのパターンを入力されている重要NPCならともかく、この様な人気のない山里の普通のNPC母娘に、プレイヤーの謎の口説きにこうも反応してくれるのはどう考えてもおかしい。


 だってプレイヤーが差し出すアイテムを飲み、その効能を確認し、「自分より子供を優先させる」行動と、「母親の体調を心配し、残りのアイテムの消費を推奨する」行動を見せた。あまりにもピンポイントだ。


 我々が運よく一発でこのクエストの核心NPCを引き当て、そしてたまたまこのNPCが高性能であるのか、それとも別の原因があるのか、確認する必要がある。


「話を振りながら反応を確認しよう」


「そうですね」


「じゃ、続き話を聞きに行こう」


「ああ!俄然やる気が湧いてきましたね!」


 今度は俺もクサモチの後ろに付いて、会話に加わった。


「アーニャとミーヤさん……でよろしいだろうか。ソードメイデンの春陽堂菫の仲間である、冒険者のロザリアンという者だ」


「巫女様のお仲間ですね。遠路はるばる、ご苦労様です」


 アーニャは俺に挨拶を返しながらも、隣にイケメンの笑みを浮かべているクサモチをチラチラと見ている。ミーヤはケモ耳をピクつかせながら、母親の馬の前足の後ろに隠れ、こちらに好奇な目線をよこしている。


「里の皆は、やはりこの謎の獣化現象に悩まされているのだろうか」


「はい。ビーストマジックの類はまともに発動されず、使えば使う程歪な形となり術者に跳ね返ってきます」


 あえて当たり前の質問をし、出方を見る。俺の問う価値もない問題にも、アーニャは設定上の解釈を付け加え、しっかりと答えてくれた。


 ここら辺は普通のNPCと一緒なんだが……


「ビーストマジックって何ですか?」


「菫も使ってる獣霊関連のスキルの総称らしい。憑依もその内に入ってる」


 クサモチの問いに俺は速やかに答え、次の質問を投げた。


「この強制獣化は一概にしてデメリットなのか?」


「流石巫女様のお仲間ですね。そうです。従来、獣霊と同一化して得られる筈の筋力の上昇や感覚の鋭敏化など、初歩的な恩恵も一切ありません。私たちに押し付けられたのはこの不慣れで、バランスの取れていない醜い体だけです」


 悲しげに目を伏せるアーニャに、クサモチは間を置かずに接近し、彼女の顎を左手で掬い上げる。


「そんなことはありません。アーニャさんは美しい」


「クサモチ様……」


「アーニャさん……」


 クッソ、突っ込む気にもならねえ。いつも俺にハーレム茶番を見せつけられる通りすがりのプレイヤー達はこんな気持ちだったのか。これは何かしらの因果応報なのか。


「ママ?このお兄さんは新しいパパなの?」


 無邪気なミーヤ君のクリティカルな質問に、慌てて離れるアーニャ。


「こ、こら、クサモチ様に失礼でしょ。ごめんなさいして、ミーヤ」


「ごめんなさい」


「いや、謝る必要はありませんよ、ミーヤちゃん。君、いいこと言いますね。僕、新しいパパに立候補しましょうか」


「く、クサモチ様……」


 程々満腹になった俺は我慢できずクサモチのケツを軽く蹴った。


「え、えっと。そう言えば、失礼な話を聞きますが、ミーヤちゃんのお父さんは?先ほど、大層お疲れの様子でしたし、もしかしてお一人でミーヤちゃんを育てていますとか」


 コホンと真面目モードに戻るクサモチはいきなり核心を突いた。


 それを聞かれ、アーニャは顔に陰りを帯びた。


「……ええ、夫はもう死んで六年になります。過労で……」


「過労?」


 のどかな農村風景とあまりにもかけ離れた言葉に俺は思わず仰天した。


「ええ、見ての通り、私たちの里は貧しい。都市との距離が遠く、資源も産業もありません。生きている分には農業と狩りで何とかなりますが、如何せん人口が少なく……」


 静かに語り出したアーニャの口から、俺たちは村の現状を理解した。


 もともと寒村であるこの里は、自給自足で何とかやっていた。人魔戦争が始まって以来、直接参戦こそしていないものの、獣神の守りを得るため農産品を献上する必要が生まれた。


 献上と言うか、魔族と戦闘し、疲弊する二匹の聖獣が余計なことに体力を使わないため、村の人が信仰対象である聖獣たちに食べ物を用意するという単純な話。だが聖獣たちはどうも燃費が悪く、里の収穫の大半はそこで消費されることになっている。


 アーニャの口振りから、聖獣たちは全然悪くないし、里の皆も感謝こそすれ、恨むなどとんでもない。恨みがあるとすれば、魔族にだ。


 次々とオーバーワークで倒れる村人を見て、聖獣たちが力を分けてくださった。それが様々なビーストマジック。


 村人は、獣霊憑依で人間を超越したフィジカルで働くことが可能となった。アーニャだって、馬の獣霊を憑依すれば、百キロの米袋を五六個馬車に積んでも、易々と運べると言う。


 それでも人口数が少ないせいで、村の経済的状況は厳しく、皆ギリギリのラインで生活している。


 そしてついに、先日起こった事件で、獣霊の加護を失った里の人々は酷く単純な理由でもう擦り切れる寸前の状態になっている。


 体力の問題だ。


 子供も皆若い頃から農作業や狩りの手伝いをしている程、人手不足に悩まされている里の生活はこれまで、獣霊憑依で辛うじて維持している。


 獣霊憑依すら失われた村人たちは、たったの三日で限界まで追い込まれていた。無理もない、俺から見れば、アーニャさんが説明してくれたこの数日の仕事内容は大の男四五人がやっても決して簡単に片付けられるような量ではなかった。


 幼いミーヤも出来ることを精一杯頑張ってお母さんを手伝ったのだが、クサモチの回復アイテムがなければ、疲労で病気になってもおかしくはない状態だったそうだ。

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