第31話 「人間の傲慢、美しく見せようぞ」.7

 ようやくケンタウロス娘に追いつく頃に、俺たちは里の端に来ていた。遠目で観察したところ、どうやら娘は里の中でも貧困層らしく、小さな畑を耕して細々と生活しているらしい。


 この里の人間は主に農業と狩りで生活を賄っている。我々から見れば結構辛い生活だが、宗教的な理由があるのか、音を上げている人は殆ど見ない。


 せっせと労働に勤しむケンタウロス娘は、汗に濡れる灰色の頭巾を直しながら何かを収穫している。


 自然なパーマが掛かる肩まで伸びる黒髪と浅黒い健康的な肌。オリーブ色の瞳は力強い生命力を放ち、娘の強気な性格を物語っている。


 継ぎ接ぎのボロ布で出来ている村娘風装いは全体的に若葉色だが、黒、赤、ベージュと色んな布地が混ざっている。


 上半身は普通に人間だが、頭の天辺から馬っぽい耳が生え、下半身は見事な毛並みをしている黒い馬身。


 急な身体的変化に服装を整える余裕がなかったのか、馬の部分に着せる衣服類はなかった。これは……見ちゃいけない部分を我々の目から隔てる物は尻尾しかないので結構危うい。


 正直に言って、顔色はかなり良くない。疲労の色が見て取れる。それでも踏ん張っている理由はあるだろうか、手を休まずに仕事に集中している。


 話しかけるチャンスをクサモチに譲るべく、俺は無言で一歩引いて、娘の方へと掌で指した。


 これは普通にナンパをする雰囲気にないことを察知したクサモチは、覚悟を決め、空間袋から何かの容器を取り出した。


 チラッと見たところ、クサモチの空間袋は多分「暴食の海龍」の胃袋で作った高級アイテム。俺の空間袋の収納スペースの二倍はある。やはりこいつは結構実力がある冒険者であると再認識した。


 クサモチは水瓶らしき容器を地に置くと、空間袋から更にコップを取り出し、水瓶から何かを汲み取った。


 俺は鼻をスンスンして、水瓶の中身を憶測する。涼しいミントのような匂いがした。


 これは、多分高レベルプレイヤーがレベリングする時によく使う「アスタルテの泉」という消費アイテム。高くはないが安くもない、スタミナを大量に回復する言わばポーションの一種。


「こんにちは。お疲れ様です」


 声を掛けると同時にコップを差し出すクサモチ。


 それにギョッと顔を少し引いたが、娘は疲労困憊な表情を抑え、辛うじて笑顔を見せた。


「これは、町から来た冒険者の方。こんにちは。丁寧にありがとうございます」


「これは『アスタルテの泉』と言って、体力回復の効果がある、とある湖から湧き出る水です。どうぞ」


 コップを受け取ることに若干戸惑う娘を見て、クサモチが真剣な顔で解釈した。


 彼の誠意が伝わったのか、娘はコップを手に取った。どうやら人の好意を素直に受け取るタイプの大人のようだ。


「あ、こ、これは……」


 少し口に付けると、顔色が見る見るうちに好転する娘は驚きつつも、それを半分飲んだ。


 何故飲み干さないと俺が疑問を感じたところ、娘は声を張り上げた。


「ミーヤ!ミーヤ!どこにいるの?」


 畑の隣にいる小屋の扉の後ろから、チョコンと頭を出す幼い少女の顔が見えた。


 村娘と同様、綺麗な顔立ちをしている。将来有望な幼女だ。だが、さっきまでの村娘と同じ、顔色はよくない。村娘に呼ばれ、テクテクとこちらに歩いてきた彼女から、子供特有の元気が見当たらない。


 やはりと言うべきか、少女の頭に獣らしい耳が生えている。それ以外の獣の特徴はないが、クエストの事態の影響下にあるだろう。


「これを飲んで、早く」


「あい……」


 疑問を持つ気力もないのか、村娘にせがまれるままコップの中身に口を付けるミーヤと呼ばれた少女。コップを下ろす前に、ピコンと獣耳が天へと伸ばし、全身から喜びの色を示した。


「マ、ママ!こ、これ飲んだら、気分良くなるの」


「ええ、良かったね」


 気丈に振る舞っていた村娘は元気になったミーヤを見て、下唇を噛み、嗚咽を漏らすのを堪える仕草を見せたが、その双眸には雫で満ち、数秒も経たないうちに、二行の涙となって落ちてきた。


「ママ、辛いの?もうあのお水ない?飲んだら体よくなるよ」


「ううん、ママももう飲んだから大丈夫よ。ママは嬉しいから泣いているから」


 娘を抱きしめるケンタウロス娘は、両手が微かに震えていた。


 やはり生活苦で何かと苦労してきたのだろう。


「奥さん」


 ナンパ対象が子持ちと知るも、一ミリも態度を変えないクサモチは、速やかに二コップ目の『アスタルテの泉』を差し出す。


「い、いえ、冒険者様。流石にこれは」


「奥さん。私にとって、これは大した物ではありません。本当です。村の井から汲む生活用水のような物です。遠慮なさらずに」


 流石に言う程ありふれているアイテムではないが、それ程高価なアイテムでないことは事実。


 強い意志を見せたクサモチを見て、村娘はオドオドしながらコップを受け取り、まずミーヤに半分を飲ませ、そして残りを飲み干した。


 コップの大きさから見ると、二人共は60レベル相当の平均的な冒険者の体力も全快する量を飲んだ。さっきの陰気な雰囲気は一掃され、二人とも生き生きとした顔色を見せる。


「どう……お礼を申し上げたらいいのでしょうか」


 ケンタウロス娘は感極まったのか、突然クサモチの手を両手で包み、深々と頭を下げた。


「冒険者様は私たち親子の命の恩人です。このアーニャに何か恩返しが出来れば、何なりとお申し付けください」


 麗しき人妻にいきなり右手を握られるクサモチ。されど彼は動揺するところか、左手をアーニャさんの頬に添えた。


「顔を上げてください、アーニャさん。我々は里へ帰還した獣神の巫女の仲間です。元より皆さんの力になりたくて参じた次第。あなた方の笑顔が最上の報酬です。それが我々冒険者ですから。アーニャさんのような綺麗な女性が笑顔を向けてくれるのであれば、このクサモチ、魔神をも打倒して見せましょう」


「冒険者様……お戯れを」


 一秒でさっきまでのしんみりした感じから、背景に薔薇が咲いてもおかしくはない少女漫画の画風に持っていくクサモチ。


 娘の前なのに頬を染めるアーニャと、アーニャの瞳を凝視するクサモチ。それについて首を傾げ、何が起こっているのかよく分かっていないような幼女のミーヤ。


 おいおい、アーニャさん。あなた多分だけど主人いるじゃないのだろうか。その顔はよくないぞ。


 あとクサモチ。子持ちに向けて何でことするんだ。つええよお前。俺なんかより全然。


 やっぱ俺がこいつを師匠と呼んだ方が正しくないか?

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