第5話 幕間 「お母さんはあなたが自分をコピーして美少女にしたことが分かったけど、大丈夫、理解があるから!」

「アプローズ」社。


 人工知能を始め、電子工学と医療機器、脳科学など様々な分野で研究をすすめ、世界最上級の人材を数あまた有する世界的企業。


 だが、その幅広い業務範囲より、圧倒的に知名度が高いたった一つの商品の方が、この企業の顔になりつつあった。


「クロノスリベレーター」。


 今まででも沢山な大企業が挑戦したジャンルであるVRMMORPG。その新たな時代の始まりを告げた、先駆者。


「もう一つの社会を築く」。


 その巨大な野心は、もはや一企業が到達できる限界を超えていた。


 そんな最先端を歩む大企業の日本本社における、人工知能の開発に携わる技術チーフのひとり、三十五歳の峰下錦香みねしたにしかは、豪華な個人オフィスでパソコンの画面を呆然と見ながら、口元から漏れ出るコーヒーに気付かずにいた。


「チーフ、NPCの知能向上の件についてなんですが、進捗は――うぉわ!チ、チーフチーフ!コーヒー!コーヒー!零れています!キーボードが!」


 ノックの返答を貰えずに、勝手に入室してしまった若い研究アシスタントは茫然自失とした錦香を見て、大慌てでタオルを見つけて、テーブルを拭いた。


「一体全体どうしたんですか?」


 研究アシスタントの至極当然な問いに、


「うちの息子は……」


 錦香は呟いた。


「恐ろしい程の天才かもしれない」


「え?息子さんが?」


「と同時にバカだ……」


 そしてため息をついた。


「はぁ……?」


「人体実験じゃん……」


 錦香は思わず頭を抱えた。


「え?!人体実験って何ですか?!」


 そんな不穏な単語を聞いて、慌てふためく研究アシスタントに目もくれず、錦香は常人では想像もつかない速度でパソコンが受信したデータに目を通していく。


 養子、峰下信也に玩具のように与えた普通の大学の研究者なら喉から手が出る程欲しがる簡易演算工房から、フィードバック資料が届いた。


 あろうことか、18歳の信也は自前で人間と近似した性能のAIを作り上げた。そのロジックはすべて自分の論文から由来する理論の元で構築されていることは、錦香には一目見て、理解した。


 そして、20年近くこの領域にいて、世界最高峰の天才の一人として謳われ、今や年収の額が億単位になった錦香でも、ここ数年どうあがいても届かなかった高みに、息子の幼稚でふざけた発想の数々は、奇跡的に噛み合って機能している。


 不要な情報を判別することのできるAI。


 何ら指示も受けていないのに自前で目的を発見するAI。


 これは……倫理観のアルゴリズム?人間の価値観を理解している……?


 何だこれは……何なんだこれは。


 自分のこの3年間がバカバカしく思いながら、錦香は笑いが止まらなかった。


「モンスターだな……社長並みに」


 天才の度合いで言えば、世紀の怪物であるアプローズ社社長といい勝負であると錦香は思った。そして問題を起こす能力も同じレベル。


 ゲームの運営方針に反した禁止行為のことはいくらでも対処できる。記録を見たところ、息子は律儀にも4人のAIが稼げて来たゲーム内通貨をリアルマネーに変換し、アプローズ社の息がかかっている孤児院に寄付しているらしい。


 それでやったことが許される訳ではないのだが、実際にゲームの運営に意見する権利を持っている錦香から見れば、あの自由すぎる社長は多分っていうか絶対に、責め立てるより息子をいじり倒しながらその成り行きを見守るだろう。


 けど、自分の人格をコピーするところに実際とんな法律を犯しているか、錦香にも見当がつかなかった。


 そんなことより……もっと単純な事実が一つ、錦香の心に影を落とした。


 こんな高度なAIを作り上げて、そしてそれを自分の遊び仲間にする息子。


 錦香はひどく複雑な気持ちになった。


 自分は息子にそれ程に寂しい思いをさせたのか。


 親戚の忘れ形見である信也を引き取ったのは7年前。ちょうど研究が軌道に乗った時期だった。


 中学卒業までは毎日顔を合わせていたが、段々忙しくなった錦香は高校生だし大丈夫だろうという思いで、金だけ大量に与える養育方式になった。


 それがいけなかったのだろうか。


「チーフ?」


「あ、いや、人体実験云々は言葉の綾だよ。気にしないでくれ。それよりコーヒーをもう一杯お願いできる?」


「あ、はい……分かりました」


 退室する研究アシスタントの後ろ姿を確認し、錦香は唇を噛みながらパソコンのモニターと睨めっこを再開した。


 息子のAIのアルゴリズムさえあれば、かねてより開発チーム全員の野望の一つである、「全NPCに命を吹き込む」ことができる。


 この成果はどうしても活用して欲しい。


 でもどう話を切り出せばいいんだ?


「お母さんはあなたが自分をコピーして美少女にしたことが分かったけど、大丈夫、理解があるから!それよりAIのアルゴリズムについて話しよ?」


 だめだ……惨すぎる。自分なら腹を切ると錦香は確信した。


 じゃあ黙ってフィードバック資料を研究して使う?


 いや、自分の息子の研究成果を盗む程錦香も落ちぶれてはいない。


 いろいろと思考を巡らせている内に、息子のゲームのキャラ名をデータの中から出てきた。


「ロザリアン」。


 薔薇が好きな人、って意味で昔息子に教えた単語。


 何故か、錦香はそんなキャラ名から、息子なりの親愛の気持ちが窺えた。


 微かな胸の温かみを感じながら、錦香は決意した。


 そうだとも。


 悩んでいるだけじゃなんにもならない。行動あるのみ。


 まずは息子の社会復帰を手伝い、この件がもう思い出したら親子二人で爆笑する、そんな過去の笑えるエピソードとして昇華する前に、AIのことは胸に秘めておこう。


「ねえ、愛花ちゃん」


「はい、チーフ?」


 コーヒーを持って戻ってきたアシスタントに、錦香は言葉を投げた。


「今年何歳?」


「二十歳ですけど……それがどうかしましたか?」


「そ。年も近いしちょうどいいわ」


「何がですが?」


「ゲームを、作るのではなくってやるのも好き?」


「それはもちろん……一体何なんですか?」


「そ。それは……実にいいことを聞いたわ」


 憧れではあるが振り回されるばかりの、変人で評判の上司の謎の企みと邪悪な微笑みに怯える、今年二十歳の研究アシスタント蘆屋愛花の引き攣った顔を見ながら、


「いい仕事があるわ」


 錦香は大きな笑顔で、そう言い放った。

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