第20話 みんなの優しいお姉さんアガタちゃんは今日もしっかりみんなの面倒をみるよ!.8

 生死を彷徨った自覚はあったのか、青ざめた顔のままの青年。


 だが、この機を逃すと後がないのかもしれないという恐怖心に後押しされ、猛然と彼は立ち上がり、そのまま勢い付いて手に握っている斧の柄を目の前のオークの心臓に向けて刺突を試みた。


「『復讐の詩ニーベルンゲン』!」


 これ以上ない完璧なタイミングで、スキルは完成された。


 まるで恋人の懐に帰るように、静かにオークの両腕の中に納まった青年。


 目をやられ蹲っているオークに、加速された刺突を躱す術などなかった。


 断末魔を上げる暇もなく、オークは灰となり霧散した。魔物が死亡する際の共同現象だ。


 腹部に浅からぬ傷を負っている自分と、足を切断され立つことさえままならない瀕死のリーダー。


 自分に置かれている状況を認識する知能はあるのか、最後の機を掴もうと、傷口を塞いていた手をも動員し、両手で棍棒に力を加え青年に殴りかかる後方のオーク。


 だがワカメさんはそんな悪足掻きを許すほど甘くはなかった。


「ふんっ!」


 青い光の帯を両手に纏い、パーフェクト演奏の『不滅の刃デュランダル』で防御を上げた青年は白刃取りが如く棍棒をがっちりと握り止めた。


 打ち水をするように、ワカメさんは数度右手を流暢に振り上げる。


 透明の音の刃は水沫を掻き上げるのではなく、赤い血潮をもたらした。


 オークは、一瞬信じられないという顔をしたように見えた。腹を完全に切り裂かれ、灰となり風に吹かれ消滅する寸前まで、奴は現実を理解できなかったのだろう。


 それもそうだ。


 数時間前、奴の前に無様に泣き叫んだワカメさんの横顔は、もうすっかり冒険者が持つべき凛としたものになっていた。


 仰向けに倒れている最後の一匹のオークに照準を合わせるワカメさんは、何を思ったか、自分に『復讐の詩ニーベルンゲン』を掛け、そしてバイオリンを下げた。


 もしや戦闘能力を失った最後の一匹を見逃すつもりなのかと思ったが、彼女はゆっくりとオークの棍棒を拾い上げた。


 弱弱しく威嚇の唸りを上げているオークだが、ライフポイントバーはもう風前の灯火。


 立つことすらできないオークは、何故か最後は静かになり、ただ平静に、自分を見下ろしているワカメさんと目を合わせていた。


 森の入り口に静寂が戻ってきた。


「因果応報だ。悪く思わないでくれ」


 棍棒を振り下ろすワカメさんの顔には、すでに激情の痕が見られなかった。


 ただただ、冒険者の役割を果たす。それだけだった。


 最後のオークの消滅を確認するやいなや、俺たち五人は駆け出した。


「ワカメちゃんかっこよかったー!」


「最後のハードボイルド処刑は熱盛だったよ」


「よくぞ完勝したじゃのう」


「おめでとう……ございます」


 仲間たちの勢いに押され、目を白黒させるワカメさんだが、やがて自然と俺の方に視線を向けた。


 俺は何も言わず、ただ誇らしげに親指を立てた。


 何だか魂が抜けていたワカメさんは段々正気に戻り、複雑な顔を見せるも、最終的には大きな笑顔を綻ばせた。


「リベンジ大成功!皆さんのお陰だよ」


 感極まる表情で、目に涙を溜めたワカメさんはNPCの青年を気に掛けていた。


 オークが霧散した後何故か残された村娘の破れた衣服を力一杯抱きしめ、無言の涙を流す青年。


 それを見て、ワカメさんは再びバイオリンを肩に掛けた。


 静かな曲が周囲の空気を震わせ始め、俺たちはそれを黙って聞き入れた。


 何だか夏の木漏れ日と子供の笑い声を連想される、そんな純粋で暖かく、思いやりに満ち溢れている優しい曲だった。


「本当に弾けた……もしや出来ると思って試してよかった」


 曲を終わらせ、まじまじと自分の手を見て、まるでそれは他人のもののように再三に確認するワカメさんの姿は、少し微笑ましかった。


「これが『クロノスリベレーター』だ」


 俺の説明に一瞬で納得するワカメさん。


「別のゲームのBGM曲なんですけどね、これ。脳内でリプレイしたら、手が勝手に演奏してくれた。言ってもあなたは分からないか……でも、奥さんへの気持ちです」


 青年に声を掛けるワカメさんは、寂しい笑顔を浮かべたが、


「ありがとう、冒険者の方。本当に……本当に美しいレクイエムだった。これで妻も思い残すことはないだろう」


 まさかまさかの、青年は会話に応じた。


「ちょ、い、今の見た?私の、その、アドリブを」


「こういうゲームだよ、『クロノスリベレーター』」


 この説明で何でも片付けられるほど、このゲームをデザインした方々は作品に心魂を注ぎ込んだ。


「ちなみに、ネクロマンサーなら村娘さんの魂を仲間にできるよ」


「ええっ?!」


 俺が付け加えた説明に、開いた口が塞がらないワカメさん。


「若干死体蹴りのような感じがするので賛否両論だけど、村娘さんを『ファントム』という幽霊型のアンデッドに転化することはできる。勿論夫との特殊会話イベントもあり、『ファントム』としては上位のステータスの個体になっている。正直村娘さんを『スペクター』という最上位幽霊系アンデッドにまで育てた人も一杯いるんじゃないかな」


「そんなことも出来るんだ、『クロノスリベレーター』……」


「NPCとストーリーに真摯に応えようとするプレイヤーに思わぬ褒美を授ける。このゲームは一貫して心がこもったロールプレイを推奨し、自分がしたどんなことにも意味はあると教えてくれる」


「これは……皆が夢中になるのも頷けるな」


 ワカメさんは目をパチクリさせ、NPC青年が求めた握手に応じた。


「冒険者の方。あなたにはバードという職業の素質があると、勝手ながら私は思う。もしその気なら、あなたの音楽によって心を救われた一人の人間として、是非バードギルドへの紹介状書かせてくれ」


 それを聞いて、ワカメさんは無言で振り返って俺の方を見た。


「そういうことだ。戦闘にだけでなく、音楽を元の意味で何らかの形でストーリー中に使えたプレイヤーは、バードへジョブチェンジするクエストをスキップ出来る上、上級スキルを一つ先んじて習得できるようになっている」


「すごい隠し要素だね……」


「習得できる上級スキルのことなんだが、ワカメさんの場合は大当たりの『涙の日レクイエム』かな。パーフェクト演奏なら、チーム全員に掛かっている精神系のデバフを一気に消す強力なスキルだ。ちなみに、範囲内に敵対状態のアンデッドモンスターがあると、それらに対してはダメージがいく。味方のアンデッドモンスターなら、体力を回復させる。ソウルプレイヤーなら必須級の強スキルだよ」

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