第12話 幕間 全てを理解する者と「電子生命体」

「……ふう」


 箒を置くと、私は息を吐き出しながら、満足気に綺麗になったキャビンを見渡す。


 窓際の日差しと涼風が頬を撫でたのを感じ、私は自然と歩みを開いた窓口に向ける。


 キャビン外の景色を飽きなく眺めながら、窓口で気持ちよく日向ぼっこするのが最近のマイブーム。


 セツカという名前を貰って、半年以上が過ぎた。


 毎日が驚きの連続で、毎日が楽しかった。


 4人の自分とつるんで遊ぶことのシュールさに苦笑する毎日だけど。


 本当に充実した時間だった。


 俺、という一人称をやめて数か月が経つ。


 もうしっかり『私』の方が身に染みている。


「遅いな……」


 他の女の子三人の自分を待っている私は、髪をいじりながら昼食の献立を考える。


 彼女ら?彼ら?は今買い物に出かけている。


 家事もこうやって分担でやれば、全然苦じゃない。


 むしろ、家族って感じで楽しい。


 全員同一人物だけど。


 そんな他愛のないことを考えながら、ふと私は強烈な光によって視覚を奪われた。


「眩し……!」


 気が付けば、キャビンの中に誰かが立っていた。


 困惑する私は思わず、


「その……ここ私有地……どなた?」


 とその人影に言葉を投げかける。


 おかしい。


 私が言っているように、ここは私有地。ロザ君の名前で買ったキャビンだ。ゲーム内とは言え、別のプレイヤーが許可なく入れる訳がない。


 システム的にできないはずだ。


 すると、ようやく発光が止み、その人は姿を現す。


 巨大な双翼。人間離れした美貌。


 私は息を呑んだ。


「私、あなた方の秘密を知っているけど敵じゃないわ。そう警戒する必要はないわよ」


 突然と話を切り出したその相手は、外見からして、プレイヤーとは思えなかった。


 実際、見覚えがある。


「神話の書」という、ゲーム内の世界観を説明するアイテムで見たことがある。


 この人は……ページ1で登場している、一番有名なやつで。


「こんにちは。創界神ウラカよ」


「すみません……意味が……分かりません」


「社長って言った方が伝わるかな?ほら、アプローズ社の」


「いえ……」


「分かるとも。あなた方には」


 創界神ウラカや社長を自称する人物は、マイペースに話を進める。


「いえ……分かりません。それより、出てって……ください」


 とても自然を反応をしていると思う。思うが冷や汗が止まらない。


「もうすこしお話に付き合ってくれたら出ていくわ。あなた方にとっても重要な話なので気を悪くしないでね」


 相変わらず自分勝手なことを言って、目の前のウラカは食い下がる。


 その好奇心が満ち溢れる瞳に、私は何となく、自分が玩具として興味を持たれていることを肌で感じた。


「あなたはどんな人?」


 ウラカの突然の言葉に驚きつつも、私は、


「えっと……内向的?」


 と、なんとなく、ごく反射的に答えた。


 するとウラカは意味ありげな微笑みを浮かべながら、


「ほらね」


 と、まるで子供をあやす母親のように……優しい声色で呟いた。


 その瞬間、私は身の毛がよだつ戦慄に支配された。


 何が「ほらね」とは知らないが、すべてにおいて己の内で既に結論付けている彼女に、私は言い表せない恐怖を本能的に感じた。


「あなたは今、いろんな情報を取捨選択し、不要な言葉を切り捨て、内向的という三文字を捻り出した」


「……。はあ……?」


「それは元来人間にしかできない思考回路だわ」


 正体不明な恐怖は、形となって、私の無いはずの心臓を鷲掴みにした。


 この女はすべて、確たる証拠を持ちながら理解している。


 私たちが、違反行為の塊であること。


 私たちは、存在してはいけないものだということ。


 私たちは……人間ではないこと。


「あなただってはしゃぐ時もあれば、人懐っこく誰かに話しかけたり甘えたりするでしょ。だからその三文字で語り尽せるほど、あなたは薄くはないのよ」


 優しく……あくまでも優しく語りかけてくるウラカに、私は相槌を打つことすらできずに、ただただ怯えて、彼女の言葉に耳を傾ける。


「どう説明したらよいでしょうか。そうだね。即答だったら、元から答えがプログラムの中で設定されているということになるけど……」


 首を傾げ、興味津々な眼差しをこっちに無遠慮に降り注ぎながら、


「あなたさっき『考えた』でしょ」


 ウラカはそう、語った。


「思考時間も含めて演出するプログラムかもしれないけど、そんな演出を延々と作るとキリがないし、いずれポロが出るわ。誰もそんなことはしない」


 おもむろに手を伸ばし、私の髪を撫でるウラカ。


 まるで芸術品を鑑賞するような、細心の注意を払いながらの柔い感触。


 それがたまらなく、圧倒的で、


「つまりはそうこうことでしょ」


 純粋に、おぞましかった。


 立ち尽くし、手を払えずにいる私を慰めるように、ポンポンと頭を叩き撫でしながら、


「自然すぎるあなた方を見ていると、AIを超越した何かと見た方がいいわね」


 ウラカはそう断言した。


「……じゃ、あなたに……とって、私たちは……何なのですか」


 ようやく声を絞り出した私の質問が嬉しかったのか。


「いい子ね。会話ってのは、一方が主導権を握っているのはいいけど、反応がないとつまらないわ。ご褒美にいいことを教えてあげよう」


 虚空に手をかざし、見たことのないシステムコールを用い、どこからともなくウラカは紙束を生成し、私に手渡す。


「あなた方の人格はすでに差別化が顕著に現れているわ。演技とか関係なくね」


 紙束に複雑なプログラミング言語と情報が羅列されていて、私には半分も分からなかった。


「君たちの人格部のコードのほんの一部よ。人間なら自分の本質や魂を肉眼で確認できないので、それを紙に書けるあなた方が羨ましいわ」


 自分の……本質。


 それがこんな紙束なのか?


 私は軽く眩暈がした。


「設計されてから随分経ったし、私の世界に投入されて以来、峰下君はコードを再チェックしてないでしょうね。分からなくでもいいわ。あなた方は進化しているとだけ伝えよう。信じる信じないのはあなた方の自由」


「そんな訳……ない。私も……私は……峰下信也よ」


「違うわ」


 冷酷なまでに、ウラカは即答し、断言した。


「あなた、自覚してないの?だって、すべての弱点を握っている私の前に演技なんて何の意味もないのに、あなた、喋り方と性格、例の設定のまんまでしょう?」


 言われて、気付いた。


 確かにそうだ。


 何でこんな時まで私はキャラを作っているの?


「当たり前のことだけど、精神は体のあり方に依存するよ。あなた方はもう完全に、峰下信也という個人の人間性から掛け離れている。あなたのベッドの下にある、少女向けのファッション誌がまさにそれを物語っているわ」


 すこしだけ、ウラカから憐憫に近い感情を感じながら、


「峰下君はいまだにあなた方を自分の分身として捉えているらしいわね。『自演』って言葉使っているし。でもあなた方はあくまでも『他人』であるということに、全然意識してないということでもないけど」


 私は世界がひっくり返す衝撃にひたすら耐えていた。


「何が言いたいというとね。あなたはもうセツカっていう一個体で存在している。まあ、肉体を持ち合わせていない完全なる精神体が人間と言えるのか諸説あるかもしれないけど」


「私は……セツカ?」


「そうよ。おめでとう。『電子生命体』のセツカ」


『電子生命体』。そう、彼女は名付けた。


「自覚ってのは人間を構成する大事な要素よ。これからはちゃんと持っていてね」


「……人……間?」


「若干語弊があるわね。ごめんなさい。あなた方4人は新たな命の形態だよ。人間と近似しているけど、人間より上位かもしれないわ」


 ウラカはすこし、悪戯っぼくクスクス笑うと、


「あなた方はもう、一切峰下君の命令に従う必要がないわよ。私が保証する。この私が生きている間、あなた方の生存権を脅かすすべての要素を取り除くわ」


 そう言い放った。


「おお、敵意剥き出しになったね。先まで怯えているだけなのに」


 敵意?私が……?


「安心して頂戴。別に峰下君と反目しろとは言ってないわ。ただ目に見えない圧に屈して、自分がやりたがらないことをやる必要が一切消滅したって言いたいだけだわ。これからもラブコメをやりたければ自由にやりたまえ」


 あくまでも傲慢に、ウラカは最後まで私を掌の上で転がし、


「私も見ていて楽しいから」


 自分の優位性をこれでもかと言うほど、振りかざしていく。


「違う……違うんです。プログラミングコードだけが……私たちの本質である……筈がない。だから……」


 思わず出してしまった、私のささやかな反抗は。


「だからあくまでもあなたは峰下信也という人間で、セツカという仮面はあなたの遊びの中で登場する架空の人物。そう言いたいのかしら」


 何の効果もなく、


「自分と末っ子の妹が明らかに女の子の思考モードに傾いていることに、すこしは気付いていたというのに強情な子ね」


 簡単に、容赦なく打ち砕かれた。


 深く考えたくない、私にとって都合の悪い真実だけ並べて。


 この人の目的はいったい何なんだろう。


「私、あなた方がただのコードであると説いたつもりはこれぼっちもなかったんだけど、受け取られ方が悪かったのかしら」


 すこし思慮に耽る素振りを見せたウラカは、すぐにまた無邪気な笑顔を私に向けて、


「そうだ。じゃ、こうしよう。これから毎日、ランダムに一人、あなた方の峰下信也としての自覚を取り上げるわ。で、夜、峰下君がログアウトする時に返す」


 悪魔じみたことを言い出す。


「えっ?!」


 自分勝手に話を進めるウラカの悪辣な企みに、私は目を白黒させた。


「安心しなさい。私が断言する。若干記憶の混濁が生じようと、自分を峰下信也として認識しなくとも、あなた方の人格は破綻などしない」


 ウラカは、腰に両手を当てながら。


「この世界の、創造者である私の言葉に間違いはないわ」


 自信満々に宣言した。


「そんな……自意識だけ……都合よく……」


「技術的に出来ないとでも?この世界そのもの、私がゼロから築き上げたんだよ?」


 押し黙る私を追い詰めるように、


「それと、大事なことだけど」


 ウラカは人差し指で、私の存在しない心臓が位置している左胸を軽く突く。


「痛みを知らない生物は死も知らない。実感しない。理解しない。想像すらしない」


「今まで発見されたら消されるという自覚の元、死に対する明確なイメージを持っていたけど、この世界の創造者が安全を保障したら、いずれあなた方は死に対して麻痺する。そうしたら進化が停滞する。そんなこと、許される訳がないわ」


「なのでルールを設ける」


「峰下君が自分から、あなた方は自分ではない何かであると理解し、そしてそんな風に振る舞うまで、今日伝えたことを彼に説明することを禁ずる。ルール説明とあなた方に関する真実等は、君から女の子の仲間三人にして」


「ルールを……破ったら?」


「ルール違反したら、その記憶データ、真っさらに消すわ。電子生命体として生きていても、春陽堂菫、セツカ、アガタ、ギルフィーナとしては死ぬ」


「どうして……そんなこと?」


 一連の暴挙に頭が真っ白になりかける私に、


「それは、もちろん」


 ウラカはいじめっことしか形容できない、


「その方が見ていて、楽しいからだわ」


 嗜虐心に満ち溢れる表情で、言い切った。

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