ゴブリンの大軍

「……見えてきたぞ、アルバ殿」


「……ああ、分かってる」


 囁くような小さな声で話しかけてきたムサシに、短く応じる。


 視線の少し先には、二日前の調査でも見た洞窟があった。二日前と変わらず……いや、あの時よりも数が多い。


 道中ゴブリンと出会うことはなかったから、もしかしたら、この場に山のゴブリン全てが集まっているかもしれない。


 流石にあの数が一度に襲いかかってきたら面倒だ。


 唐突だが、俺たちが夜を選んだのにはちゃんとした理由がある。


 とは言っても、そんなに大層な理由じゃない。俺とムサシは夜目が利くというだけだ。暗闇において目が見えるというのは、大きなアドバンテージになる。特に奇襲などには最適だ。


 眼前でやることもなく暢気にしているゴブリンたちを見ていると、目論見が上手くいったことが実感できる。


 ただ以前と違ってゴブリンロードが見当たらない。今回の目的はゴブリンロードの討伐が一番重要だ。見つからないのは、かなり困る。


 今こうしてゴブリンがまとまりを見せているのは、ゴブリンロードの存在があってこそだ。


 つまり集団の長であるゴブリンロードさえいなくなれば、ゴブリンは烏合の衆。上手くいけば、勝手に瓦解してくれる。


 だから何をおいても、まずはゴブリンロードの所在を確認しなければ、何もすることができない。


 視線を周囲にくまなく巡らせるが、それらしき影は見当たらない。あれだけの巨体だ、隠れるのは不向きのはずだ。


「……ムサシ、ゴブリンロードはこの辺りにいるか?」


「いや、見当たらないな。小鬼の王は……恐らく洞窟の中だろう。通常の小鬼のものにしては大きすぎる足跡が、洞窟の方に向かっている」


 ムサシの言う通り、洞窟の方に向かって大きな足跡が続いていた。大きさからして、ゴブリンロードのもので間違いないだろう。


「となると、あのゴブリンの群れに気付かれないように洞窟まで行かないといけないわけか」


 口では軽く言ってみたものの、あれだけの数のゴブリンが洞窟の前にいるのだ。正直気付かれないようにというのは不可能だと思っている。


 かといってあの数のゴブリン共の相手をすれば、その間にゴブリンロードに逃げられてしまう。


「アルバ殿、どうする? もしアルバ殿に案がないのなら、某に一つ考えがあるのだが」


「俺は特にないな。お前の考えを聞かせてくれ」


 俺の方は何もいい案が思い浮かばないので、すぐさまムサシを頼る。ムサシは以前もゴブリンロードの相手をしたことがあるらしいから、何か妙案を出してくれるはずだ。


「某が囮をやるから、その隙にアルバ殿は洞窟に行ってくれ」


「却下だ」


 期待した俺がバカだった。


「むう、なぜだ? 妙案だと思ったのだがな……」


「どこがだよ……」


 いくら個の力が強くとも、あれだけの数の前では無に等しい。あんなのを相手に囮なんて、命を捨てるのと同義。無謀もいいところだ。


「お前、自殺願望でもあるのか?」


「いや、そんなものはないぞ? 死ぬならば戦いの中でと常に思ってはいるが、この後はアルバ殿との勝負が待っているからな。それまでは死ぬつもりは毛頭ない」


 中々説得力のある言葉だ。特に俺と戦うまで死ぬつもりはない、というのは実にムサシらしいと言える。


「ならどうして囮なんて提案をしたんだよ? あんなゴブリンの集団の囮を一人でするなんて、死ぬつもりとしか思えないぞ」


「問題ない。某には秘策があるからな」


 そう言って、ムサシは獣の如し獰猛な笑みを刻む。


「アルバ殿と二人で共闘というのも少し惹かれるものがあるが、それだと時間がかかりすぎる。小鬼共の相手をしている間に、小鬼の王に逃げられでもしたら面倒だ。それはアルバ殿も分かっていよう?」


「それは……」


 ムサシの言う通りだ。ここでゴブリンロードを逃がせば、ゴブリンロードはいずれ力を蓄え再び牙を向く。


 そうならないためにも、ゴブリンロードだけはここで確実に仕留めなければならない。


 つまり二者択一だ。街の人々を取るか、ムサシを取るか。どちらを選んでも、俺にとっては最悪の二択だ。


 ――勇者時代にも、似たような決断に迫られたことがあった。俺の下した決断のせいで、今生の別れになった者も多い。俺はそれを何度も後悔してきた。


 まさか平和になった今の世でも、同じ決断をしなければならないとは驚きだ。できることなら、二度と経験したくはなかった。


 ……どうする? 俺はどうすればいい? 単純な計算なら、単純な数だけで決めるなら、優先すべきは数の多い街の人々を守ることだろう。


 けれど、人の命は単純な数だけで計っていいものじゃない。何より俺は、この一週間と少しの間でムサシのことを好きになっていた。こんな気のいい友人を失いたくはない。


「心配するな、アルバ殿。先程も言っただろう? 某はアルバ殿と死合うまでは絶対に死なん。約束だ」


 俺の葛藤を感じ取ったのか、ムサシは自信に満ちた声音で、そう言ってくれた。


「……その約束は、ちゃんと守る気はあるのか?」


「当たり前だ。武士は約束は命に代えても守る。某を信じてくれ、アルバ殿」


 とても力強い言葉だ。ムサシならやってくれると、そう信じてしまうほどに。


「……死ぬなよ」


「無論だ。某は死ぬならば、小鬼共の手によってではなくアルバ殿の剣がいい」


 物騒なことを楽しげに言うな、とツッコみたい衝動に駆られたか、逆にムサシらしくて俺は少し笑ってしまった。






「某の名はムサシ、貴様ら小鬼を殺す者だ! かかってこい!」


 ムサシと別れてから十数秒後。ムサシは大声をで名乗りを上げた。


『『『『…………!』』』』


 ゴブリンたちが一斉にムサシの方に振り向く。そしてムサシの姿を認識すると、雪崩の如くムサシへ殺到する。


 瞬く間にゴブリンに囲まれてしまい、ムサシの姿は見えなくなってしまった。


「…………!」


 あれだけの数に囲まれたらひとたまりもない。今すぐにでも引き返して加勢したい衝動に駆られたが、すんでのところで思い留める。


 ムサシは俺がゴブリンロードを倒すと信じてくれたからこそ、あの場に残って囮役を引き受けてくれたんだ。


 ここで戻ろうものなら、ムサシの信頼を裏切ることに繋がる。それだけは絶対にしてはいけない。


「すぐに終わらせるから、無事でいてくれ……!」


 視線を後方から前に引き戻す。


 ムサシが引き付けてくれたおかげで邪魔者のいなくなった洞窟へ、俺は全力で駆ける。

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