作戦開始

 ――ゴブリンロード発見の調査報告をしてから二日後の朝。


 普段通り冒険者ギルドを訪れた俺が目にしたのは、いつもと違った様子のギルドだった。


 ギルド内は、これまでにないほどの喧騒に包まれていた。この喧騒の理由は、つい先程ギルド長がゴブリンロード発見の報告をしたからだ。


 冒険者たちは各々、今後の身の振り方を話し合っていた。耳を傾けてみる限り、大半の冒険者は街を出るつもりみたいだ。


 これは予想していたことなので、俺は大して驚くことはない。ただ、一部の冒険者たちは街に残って戦うと勇ましいことを言っているのは好感が持てた。


 カインなどは、街を離れようとする冒険者たちを呼び止め、「魔物前にして逃げるなんて、それでもお前たちは冒険者なのか!?」と説教をしていた。


 こういうのを見ていると、街を守りたいという気持ちがより一層強くなる。


 ギルドの職員も依頼の報酬をエサに頑張って冒険者を呼び止めていたが、結果は芳しくない。


 まあ、これは冒険者を責めるのは酷だろう。彼らだって命は惜しい。


「ふむ、アルバ殿の言う通りになってしまったな……」


 いつの間にやら隣に立っていたムサシが、目の前の状況に悲しげな声を漏らした。


「皆、聞いてくれ!」


 ギルド内の隅々まで響く大声。全員の視線が声のした方に集まる。


 視線の先には、冒険者たちを見下ろす巨漢の男が立っていた。彼はこのアンドラの街の冒険者ギルドの長だ。


 筋骨隆々の肉体は、見ているだけで威圧感を受ける。元冒険者らしいが、今でも現役でやっていけるんじゃないかと思うのは俺だけだろうか?


「先程話した通り、今この街にはかつてない脅威が迫っている! 正直、この街の戦力だけではゴブリンの軍勢と戦うには戦力不足だ。街の領主や他の街の支部にも応援を要請したが、それまでゴブリン共が街に来ないという保証はない」


 まずギルド長は残酷な事実を口にした。これによって冒険者たちの顔に絶望の色が浮かぶ。


 しかしギルド長は大して気に留めることもなく、話を続ける。


「誰だって命は惜しいたろう。だから、私はお前たちが逃げても責めはしない。しかしそうなれば、この街には力なき者たちしかいなくなる。彼らのことは誰が守る?」


「「「「…………!」」」」


「本来なら魔物の脅威から弱き者たちを守るのは、君たち冒険者のはずだ! その役目を放棄して、逃げてもいいのか? 悔しくはないのか? もし少しでも冒険者としての誇りを持つのなら武器を取れ! 魔物に立ち向かえ! 力の有無など関係ない! 自分は冒険者なのだと、戦って証明してみせろ!」


 怒涛の勢いで吐き出すように言葉を並べたギルド長。


 一瞬、静寂が場を包む。しかし次の瞬間、


「「「「うおおおおおおおおッ!」」」」


 割れんばかりの雄叫びが生まれた。先程までの暗い雰囲気など嘘のようだ。今の彼らの瞳は、強い熱意に満ちていた。


 流石はギルド長と褒めるべきだろう。冒険者たちを鼓舞するのが上手い。


「はっはっは、ギルド長もやるではないか。こんなものを見せられたら、某も滾ってしまう」


 隣でムサシは楽しげに目の前の光景を見つめているのだった。






 ――ギルド長が冒険者たちを鼓舞した数時間後。普段の静けさはどこへやら、アンドラの街は大勢の人々が行き交う騒がしい状況になっていた。


 この状況の原因は、ゴブリンロードが現れたという情報が街中に広まったからだ。


 瞬く間に広まった噂は街の人々に例外なく恐怖を与え、大半の者は逃げ出してしまった。


 今残っているのは街に愛着を持つ者、街を離れたら生きてはいけない者など、理由は様々だが街を離れようとしない者たちだけだ。


 そういった者たちは冒険者の力になろうと、自分たちから協力を申し出た。そしてギルド長はその申し出を受け入れた。


 とは言っても、戦力としてではない。守るべき存在の街の人々に戦わせるなど、本末転倒もいいところだ。


 物資の提供といった非戦闘員でもできるような範囲で、協力してもらっている。現在街の中行き交っているのは彼らだ。


 俺は街がそんな慌ただしい状況の中、俺は我が家で淡々とこれからすることの準備を進めていた。まあ準備と言っても、大したことはしてない。ただ腰から剣を下げるだけだ。


「……そろそろ行くか」


 窓から外を覗いてみると、もう日は暮れ始めていた。山に登る頃には、すっかり夜になっていることだろう。


「アルバ様、もう行かれるのですか?」


「ああ」


 玄関まで行くと、レティが俺のことを待ち構えていた。


「……? そんなに私のことを見つめて、どうかしましたかアルバ様?」


「ん? ああ、ちょっとな……」


 レティは当たり前のようにここにいる。その事実に対して、少々思うことがあった。


 同時に、今それについて口を出すべきか迷っていた。……いや、後で後悔するくらいなら言っておいた方がいいか。


「あー……レティ。お前は念のため街を出てろ」


「……どうしてですか? 理由を聞かせてください」


 普段よりいくらか鋭い目付きで、どこか不服そうな様を隠そうともせずレティはそう訊ねてきた。


「危険だからだよ。万が一俺たちがゴブリンロードの討伐に失敗したら、この街は危険だ。だから安全な場所まで逃げてくれ。その方が俺も安心だ」


「つまり、私の身を案じてくださっているのですか?」


「当たり前だろ」


 もしレティの身に何かあれば、国王陛下がどういった行動に出るのかは容易に想像できる。国一つを敵に回すような真似はごめんだ。


 だからレティだけでなく俺の命を守るためにも、レティには安全な場所に避難していてほしい。


 街に残る決断をした者の中でも女子供は、馬車を何回かに分けて近くの村に避難させることになっている。まだ馬車はあるだろうし、今からでも遅くはないはずだ。レティには、それで逃げてもらおう。


「そうですか、アルバ様が私のことを……ふふふ」


 口元に手を当てて、レティは上品に微笑んだ。俺、何かおかしなこと言ったか?


「アルバ様、私の身を案じてくださってありがとうございます。ですが、私はこの場を離れるつもりはありません」


「……お前、人の話をちゃんと聞いてたのか?」


「もちろんです。アルバ様が私の身を案じてくださったことは、とても嬉しく思います。ですがだからこそ、私はこの街に残りたいと思っています。だって――」


 そこで一度言葉が途切れた。しかしレティは恥ずかしそうに頬を朱色に染めながらも、再び口を開く。


「だって、私がいないとアルバ様が戦いを終えて戻ってきた時、誰がアルバ様に『おかえりなさい』と言って労ってあげるんですか?」


「…………!」


「それに私はアルバ様がゴブリンロードを倒し、無事帰ってくると信じてます。だから、この街から逃げる必要なんて微塵もありません」


 澄んだ瞳が、確信の色を込めて俺を捉える。俺のことを心の底から信頼してくれてることが、よく分かる。


「はあ……ワガママな奴だな」


「ふふふ、知りませんでしたか? 女の子は少しワガママなくらいが可愛いんですよ? お母様が言ってました」


 王妃様、娘に何てことを教えてるんだ……。内心呆れてしまう。


 ただまあ、女にここまで言わせたんだ。これ以上何か言うのは野暮というものだろう。ここから先、レティの言葉には結果で答えるべきだ。


「行ってくる」


「はい、いってらっしゃいませ。お帰りをこの家でお待ちしています」


 満面の笑みで送り出してくれたレティに背を向け、俺は家を出た。


 外に出るとすぐ隣にムサシが立っていた。……なぜか壁に耳を当ててるような形で。


 俺が家を出たのに気付いて慌てて取り繕おうとしたムサシだが、もう遅い。。


「……盗み聞きなんて趣味が悪いぞ」


「はっはっは、すまんな。もうしないから許してくれ」


 ムサシは悪びれた様子もなく、形だけの謝罪をした。


「……まあいい。ここにいるってことは、お前ももう準備はできたってことでいいんだよな」


「無論だ。武士は常駐戦陣。いついかなる時も戦う準備はできる」


「ならいい。行くぞ」


「おう」


 俺とムサシは山を目指して歩き始めた。

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