朝の来客

 俺は毎日、日が昇り始めたぐらいの時間に起きる。この時間帯はまだ寝てる人間が大半なので、かなり静かだ。


 次に俺はこの人が少ない時間を利用して、外に出て木剣での素振りをする。


 これは勇者時代からの習慣だ。この街に来て薬草採取しかしなくなったので必要ないとも思うが、やらないと何となく落ち着かないので続けている。


 普段なら一時間程度の素振りを終え、朝食を食べてからギルドに向かうのだが、今日は素振りの最中に俺の元へ来客があった。


「おはよう、アルバ君」


 挨拶しながら俺の元まで一人の女性が薬箱片手に駆けてきた。


「ああ、おはよう、アンナさん」


 素振りの手を止め、こちらも挨拶を返す。


 彼女の名前はアンナ。昨日俺を殴り飛ばしたカインの姉だ。


 栗色の長い髪を一本にまとめ上げており、服装は白のシャツとロングスカートとありきたりな街娘のもの。顔立ちは見ていて和むどこか優しいもの。とてもではないが、昨日俺を殴ったカインと兄弟とは思えない。


「それで、何の用だよアンナさん。こんな朝早くからなんて、何かあったのか?」


 アンナさんとはカイン繋がりで知ったが、そこまで深い仲ではない。せいぜい、街中で会ったら挨拶する程度のものだ。


 そんな彼女がこんな早朝から、わざわざ家まで来るなんて、余程のことがあったのだろう。


 俺の問いにアンナさんは一瞬気まずげに視線を逸らしたが、次の瞬間にはこちらをまっすぐ見つめてきた。


「ええと、そのね……ごめんなさい、アルバ君!」


「ア、アンナさん!?」


 突然頭を下げてきたアンナさんに目を剥く。


 なぜアンナさんはいきなり謝罪をした? 俺はアンナさんに謝られるようなことをされた覚えはない。そもそも、アンナさんに会うのも久しぶりだ。


 突然のアンナさんの謝罪。なぜこんなことをするか訊きたいところではあるが、


「と、とりあえず顔を上げてくれよ、アンナさん!」


 まずは頭を上げさせることに専念する。


 早朝なのであまり人はいないが、万が一にでも誰かにこんなところを見られればどんな噂が立つことか。


 アンナさんは街一番の美人だから、狙ってる奴も多い。そういう奴らから怒りを買うのだけはごめんだ。


 ――その後何とかアンナさんに頭上げさせることに成功した俺は、事情を訊くことにした。すると、


「昨日カインが俺を殴ったことの謝罪?」


「そうなの。昨日あの子が不機嫌そうな顔で帰ってきたから、気になって訊いてみたの。そしたらアルバ君のことを殴ったって言うものだから、私驚いちゃって……本当にごめんなさい」


「いいよ別に。アンナさんが謝ることでもないし……」


 というか、何も悪いことをしてないアンナさんに謝られると、こっちの方が妙な罪悪感を抱いてしまうからやめてほしい。


「本当はあの子に直接謝らせたかったんだけど、『あんな奴に頭を下げるなんて死んでもごめんだ!』って言って……」


「あー……」


 確かにあいつなら間違いなく言うな。容易に想像できるわ。


 あいつの場合、素直に謝る方が不気味だ。


「……それでアルバ君、カイン殴られたところは大丈夫? もし酷いようならと思って家から薬を持ってきたんだけど……」


「ケガなら寝たら治ったから大丈夫だよ。ほら、この通り」


 昨日殴られた左頬を指差してみせる。すでに殴られた跡は綺麗さっぱりなくなっている。


「だからもう気にしないでいいよ、アンナさん」


「でも……」


 尚も食い下がるアンナさん。こっちとしては、昨日のことはさっさと忘れたいので、この話は早く終わらせたいところだ。


「アルバ君、お詫びとして何か私にしてほしいことはない? 私に可能な範囲なら何でもしてあげるわよ?」


「……アンナさん。そういうセリフは、年頃の女が気軽に言っていいものじゃないと思うぞ?」


「え……あッ! ご、ごめんなさい! 別にそういうつもりじゃないのよ!? ただその……!」


 一瞬何を言ってるのか分からないという感じの表情だったが、すぐに意味を理解したのか顔を真っ赤に染め上げたアンナさん。


 ちょっと可愛らしい姿で、からかいたくなるがグっと堪える。


「落ち着いて、アンナさん。アンナさんが簡単にそういうことをする人じゃないのは、俺ちゃんと分かってるから」


「そ、そう? それなら良かったわ……」


 胸に手を当ててホッと安堵の息を吐くアンナさん。


「でも、本当にごめんなさいね。カインも昔はあんな子じゃなかったんだけど……どうしてかしら? 私の育て方が悪かったのかしら?」


「いや、悪いのはカインだけじゃない。冒険者なのに薬草採取しかしてない俺にも原因はあるよ。多分カインの目には、俺は魔物と戦う度胸のない臆病者に映ってるんじゃないか?」


「だからって、それは人を殴っていい理由にはならないわ。むしろ人々を魔物の脅威から守る冒険者だからこそ、簡単に人に手を挙げてはいけないと思うの」


 確かにアンナさんの意見には俺も同感だ。魔物と戦うための力を人に振るうなんて、冒険者としては最悪だろう。


 だからといって、俺はカインが全部悪いとは思わない。考えてもみてほしい。自分と同期の冒険者がいつまでも薬草採取なんて楽な依頼しかこなさず、それを周囲からバカにされても何も言い返さない。


 向上心のある奴からすれば、見ていてイライラするのは仕方のないことだろう。まあ、それでも殴るのはどうかと思うが。


「それにアルバ君、薬草採取だって立派な依頼よ? 教会のシスターや薬屋のおじいさんは、あなたにとても感謝していたわ。この街はずっと薬草が不足していたから」


 アンドラは王都から遠く離れた街だ。そのため、新人冒険者が生まれることが稀で薬草採取のような依頼が受けられることは滅多にない。


「別に薬草採取なんて誰でもできる簡単な依頼だ。わざわざ感謝されるようなことじゃないよ」


「でも、その簡単な依頼を未だに受けてくれているのはアルバ君だけよ? 他の冒険者はみんな、割のいいモンスター討伐の依頼をしてるわ」


「それは……」


「もう、アルバ君ってとても謙虚よね。でも謙虚もすぎると嫌味になるわよ? あなたの仕事はこの街のためになるものなんだから、もっと誇りなさい」


「アンナさん……」


 俺は魔物の討伐依頼は、昔のことを思い出すから避けていただけだ。それなのにここまで俺のことを褒めてくれるのは、純粋に嬉しい。


 この二年間、同業者にバカにされ続けてきたのが報われた気がする。


「ありがとな、アンナさん」


 だから俺は、アンナさんに感謝の言葉を告げるのだった。

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