アンナの懇願

 教会を訪れた次の日。日課の素振りを終えて朝食を食べた俺は、いつも通りギルドに足を運んだ。


 しかしギルド内に入ると、普段に比べて活気がないことに気が付いた。


 冒険者はそれなりの数見受けられるのに、皆一様に黙りこくっている。


 この時間帯は依頼の更新がまだなので、依頼の取り合いなどで騒がしくなることはないが、それでもここまで静かなわけではない。ハッキリ言って、今の状況は異常だ。


 流石に気になるので、ギルドの職員に訪ねてみることにする。


「なあ、何で今日はこんなに静かなんだ? 何かあったのか?」


「あー……実はですね、つい先程入った情報なんですが近くの山にAランクの魔物が目撃されたらしくて」


「Aランクの魔物が? 何て魔物なんだ?」


「ブラッディベアです」


 ブラッディベア。血のような真っ赤な体毛が特徴の大型のクマのような魔物だ。


 獰猛な性格で、三メルドを超える巨体から繰り出される爪は人間なんて一瞬で肉塊に変えてしまうほどの威力を誇る。


「けど、ブラッディベアの生息域はここからは随分と離れた場所だろ? 何でこんなところに……」


「そちらの経緯はまだ調査中なんですよね。それよりも、今はブラッディベアの対処の方が優先ですから。ギルド長も今各支部に救援を求めているところですよ」


 この街の周辺に生息している魔物は、高くてもランクはCまでしかいない。当然ながら、冒険者もCランクの魔物が倒せる程度の実力が限界だ。


 そんなところにAランクの魔物に出てこられたら、対処のしようがない。


 他所の街からブラッディベアを倒せるほどの冒険者が派遣されるまでは、依頼を受けることができないだろう。この場にいる冒険者たちが暗い様子なのも納得だ。


 つまり彼らは、ブラッディベアが討伐されるまでの間一切の収入がないことになる。Aランクのブラッディベアを倒せるほどの者となると、いるのは王都ぐらいのものだろう。


 冒険者は常に死と隣り合わせの職業。いつ死ぬかも分からないのに、貯金なんてしてる奴はそんなにいない。


 そんな彼らにとって収入源の依頼が受けれないことは、死の宣告にも等しいだろう。


 ちなみに俺は、薬草採取の依頼の報酬をあまり使い道がなくて貯金しているので、しばらくは依頼なしでも問題ない。


「しかも問題はそれだけじゃないんですよ。この情報が入ってきたのはつい先程で、それよりも前に依頼で山に入った人たちは、このことを知らないんですよ」


「最悪じゃねえか……」


 つまりブラッディベアの存在を知らない彼らは、ブラッディベアに警戒をしてないということ。下手すると、山に入った冒険者は全員殺されてしまうかもしれない。


 とはいえ、俺たちにできることはない。山に入った冒険者たちが、ブラッディベアに襲われることがないよう祈るとしよう。


 依頼がない以上、ここにいても仕方ない。帰るとするか。


 ギルドを出ようと反転したところで、ギルドの出入口の扉が勢いよく開かれた。


 現れたのはアンナさんだった。普段彼女がギルドに来ることはない。いったいどういった用件だろう?


 などと考えている間に、とアンナさんはとてつもない剣幕で俺が話していたギルド職員に詰め寄った。


「Aランクの魔物が出たって本当!?」


「は、はい本当です。ブラッディベアの目撃情報がつい先程入りまして……」


「そんな……」


 ギルド職員の言葉を受けて、アンナさんはその場に崩れ落ちた。


「アンナさん、大丈夫か?」


 流石に放っておけるわけもなく、俺はアンナさんの元まで駆け寄り手を差し出す。


「あ、アルバ君……ありがとう。ごめんなさいね、みっともないところ見せちゃって」


「気にしないでくれ。それよりも、どうしたんだアンナさん? Aランクの魔物がいると、何か不都合でもあるのか?」


「それは……」


 短く呟いた後、アンナさんはポロポロと泣き出してしまった。


 これには俺も目を見張ってしまう。同時に、タダごとではないことも悟った。


「アンナさん、ゆっくりとでいいから話してくれ。何があったんだ?」


 泣き止むのを待ってから、訊ねてみる。


 するとアンナさんはポツリポツリとではあるが、語り始めた。


「じ、実はね……弟のカインが朝早くに依頼で街の外に出てから、まだ帰ってきてないの。だから多分、まだ依頼が終わってなくて……ううう」


 再び泣き出してしまうアンナさん。


 状況は結構マズいことになっているな。カインは確か現在Dランクの冒険者だ。まだ冒険者になって日が浅いが、実力的にはCランクはある。


 あの実力なら将来有望ではあるが、それでも今のカインにブラッディベアを倒すのは不可能。見つかれば間違いなく死んてしまう。


「お願いアルバ君! カインを助けて! 私にはもう、あの子しかいないの! あの子までいなくなったら、私……私……!」


「ア、アンナさん……」


 ……誰かに頼られるのは、勇者レオンだった頃以来だな。


 今の俺はレオンじゃなくてアルバ。人類を救った英雄じゃない。ただの平凡な冒険者……そのはずなのに、アンナさんの助けを求める声を拒むことができない。


 自分でも呆れてしまう。どうやら俺は、未だに勇者であることをやめられないらしい。


「無茶を言わないでください。この街の冒険者では、Aランクの魔物を倒すのは不可能です。弟さんのことはお気の毒ではありますが……」


「そんな……」


 流石にアンナさんの懇願を無茶だと思ったのか、ギルド職員が止めに入ってくれた。


 俺はギルド職員にアンナさんのことを任せ、未だに泣いてる彼女に背を向けて歩き出す。――カインを助けるために。

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