別れ
ムサシとの勝負を終えてから数日の間、ムサシは宿に引き篭もっていた。
というのも、抜刀術を使ったせいで身体が動かせず起き上がることすらままならないかららしい。
ムサシの抜刀術は身体にかかる負担が莫大らしい。
この前ゴブリンと戦った時にぶっ倒れていたのも、ゴブリンの群れに抜刀術を使ったからだったようだ。
あれだけの技だ。何の代償もなしに使えるほど甘くはないのは当たり前だ。
まあ死闘と呼んでも差し支えないほどの戦いを繰り広げておいて、命を失うこともなく済んだのだから、その程度は甘んじて受けるべきだろう。
そして完治から数日経過した今日、ムサシはアンドラを出て行く。
未知なる強者を求めて旅を再開するらしい。実にムサシらしい理由だ。
当然ながら街を救った英雄を引き止める声は多かったが、ムサシの決意は固かった。
だからせめてもの感謝の気持ちということで、昨日は街のみんなが協力して、ムサシの送別会をした。
楽しい飲み食いや笑い声は絶えることなく、夜が更けても続けられた。
ムサシは大勢に見送られるのは苦手だったらしく、まだ日が昇り始めないような時間に街を出ることに決めていた。
見送りに来たのは俺とレティだけだ。この場に俺たちがいるのは、事前にムサシからいつ頃街を出るのか聞いていたからだ。
目の前には、旅支度を整えたムサシが立っている。
「あー……ええとその、悪かったな、ムサシ」
開口一番に、謝罪する。
ムサシは突然の謝罪に、わけが分からないとでも言うように首を傾げる。
「ん? アルバ殿に謝罪されるような覚えはないぞ?」
「お前の刀、折っちまっただろ? それのことだよ」
「ああ、そのことか。あれほどの戦いをしたのだから仕方あるまい。アルバ殿が気にするようなことではない。どんなものでも、いつか終わりが来るのは当たり前のことだ」
「随分とあっさり言うな……」
あの戦いの後、ムサシはこの街で唯一の鍛冶屋に折れた刀を持って行った。理由はもちろん、折れた刀を新しく打ち直すためだ。
修復ではなく打ち直しなのは、一度折れた刀を修復することは不可能らしいからだ。
何でも、一度完成した刀に再び熱を与えると質が変化し、劣化してしまうらしい。そうやって質の変化した刀は、大抵の場合元のものより折れやすくなるとのことだ。
その点打ち直しだと丈の短い短刀になるが、質はそのまま維持できるらしい。
ただ残念なことに、この街の鍛冶師の腕では質を落とさずに打ち直すのは無理だった。
単純に剣と刀だと勝手が違うというのもあるが、それ以上にムサシの刀は並の鍛冶師では扱えないほどの業物らしい。
俺のツテでかつての仲間だった手先が器用なドワーフのバルドラを紹介してやりたかったが、残念なことにあいつとは連絡を取り合ってないから現在地が分からない。
故郷であるドワーフの里に帰ったかもしれないし、他の仲間二人と未だに行動を共にしているかもしれない。
まあ仮に居所が分かったとしても、二年前に何も言わずに去ってしまったんだ。頼んだところで断られるに決まっている。
「それにこういった時のために、脇差もある。だからアルバ殿もそう気を病まないでくれ」
ムサシが腰に差した二本目の刀に手を置く。
ムサシ曰く、脇差というのは主武器が使えなくなった時のための予備らしい。使っているところを見たことがなかったから、今まではただの飾りかと思っていた。
……本人もこう言ってることだし、あまり気にしすぎるのも良くはないか。俺は考えを切り替えることにした。
不意にムサシが、視線を街の方に向ける。
街はまだ夜の闇に包まれており、俺たち以外に人の気配は感じられない。
「……この街にいたのは、大体ニ、三週間ほどだったか。もう何年も住んでいたかのように感じてしまうな」
ムサシが感慨深そうに呟いて、目を細めた。
ムサシは一ヶ月足らずでこの街にとても馴染んでいた。右も左も分からない異国だったのに、凄い順応性だ。
「某は運が良かったのだろうな。異国に来て最初に寄った街が、こんなにもいい場所だとは思わなかった。アルバ殿、感謝してるぞ」
「……別に感謝されるようなことはしてない」
「はっはっは、相変わらずアルバ殿は謙虚な御仁だ。しかしアルバ殿がいてくれたおかげで、某はこの街での日々を楽しく過ごさせてもらったというのは事実だ。だからありがと、アルバ殿」
「…………」
どうしてこいつはこう……何でもまっすぐ言ってくるんだろうか。こっちは真正面から感謝されると照れ臭いってのに……。
「ふふふ。アルバ様、もしかしなくても照れてますね?」
「……からかうなよ、レティ」
「ふふふ」
クスクスと口元に手を当てて上品に笑うレティ。どうやら彼女に誤魔化しは利かないみたいだ。
ムサシがレティに水を向ける。
「レティ殿にも色々と世話になった」
「私の方こそ、ムサシ様の故郷の話はとても心躍るものばかりで、いつも楽しく聞かせていただきました。ありがとうございます、ムサシ様」
感謝の意を示すように、深々と頭を下げるレティ。
レティはムサシの故郷の話にいつも目を輝かせていたから、きっと内心ムサシがいなくなることを残念に思っていることだろう。
「……おいムサシ。これを持って行け」
二人の会話が一段落したところで、右手に持っていたものをムサシに手渡す。
「これは?」
「餞別代わりの弁当だ。一応お前の好きなものだけを入れたから、後で時間がある時にでも食え」
正直餞別に弁当はどうかとも思ったが、俺がムサシにしてやれることなど大してなかったので、結局は弁当にした。一応腕によりをかけて作ったから、味には自信ありだ。
「ほほう! それはありがたい。後で美味しく食べさせてもらうとしよう」
ムサシは歓喜の笑みを浮かべる。喜んでくれたなら何よりだ。
「……このままもう少し談笑していたいところだが、そろそろ日も昇り始める。もう行くとしよう」
「そうか。ならお前に言う必要はないと思うけど、気を付けてな」
「うむ。心遣い、感謝する。アルバ殿たちこそ、息災でな」
ムサシが背を向けて歩き出した――がしかし、数歩進んだところで不意にこちらに向き直った。
「そうだそうだ。某としたことが、大事なことを忘れていた。アルバ殿、一つだけいいか?」
「ん? 何だよ?」
これ以上何か言うことでもあったのか? と疑問に思いながらも、次のムサシの言葉に耳を傾ける。
「いつになるかは分からないが、某はいずれ再びこの街を訪れるつもりだ。アルバ殿、その時はもう一度、某の挑戦を受けて――」
「絶対に嫌だ」
俺は食い気味拒否した。
「ははは、実にアルバ殿らしい答えだ」
快活な笑みを作るムサシ。断ったというのに、残念がっているようには見えない。
「アルバ殿、レティ殿。いずれまた会おう」
ムサシは別れの言葉を告げ、今度こそ振り返ることなく歩き始めた。
――こうして、異国の武士はアンドラの街を去るのだった。
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