誤解

 レティがこの街に来て一週間がすぎた。レティと暮らし始めてまだ一週間程度なのに、もうずっと昔から一緒にいるように感じるのはなぜだろうか? とても不思議だ。


 レティもこの一週間で街には慣れたようで、不便はないか訊ねてみたところ「大丈夫です」という答えが返ってきた。


 一見すると何事もなかった一週間のように聞こえるが、断じてそんなことはない。


 元々正体を隠そうとしてなかったから仕方のないことだが、レティが王族の人間であることは街中に広まっていた。まああれだけ整った容姿をしていれば、王族関係なしに噂は立っていただろうが。


 それだけならまだ大した問題ではなかったが、レティと一緒に暮らしてるせいか、俺も実はそれなりの身分の人間なんじゃないかと思われている。


 この噂が原因で、最近では冒険者たちが絡んでくることもなくなっている。以前から冒険者連中がちょっかいかけてくるのはうっとおしいと思っていたので、これに関しては嬉しい誤算だ。


 しかし、同じように街の人たちにまで避けられるのは心にクるものがある。


 まあ所詮は噂。噂というのは、時間経過で人々の記憶から忘れ去られていくものだ。だから街の人たちの俺に対する態度も、そのうち元に戻る……はずだ。


「――アルバ様。これからどちらに向かわれるのか、そろそろ教えていただいてもよろしいでしょうか?」


 街で流れてる噂に思いを巡らせていると、隣を歩くレティの問いが俺を現実に引き戻した。


「ああ、悪い悪い。そういえば、まだ説明してなかったな」


 ギルドから戻ってすぐに連れ出したから、説明を忘れてしまっていた。


「実は、これからアンナさんの家に行くんだよ。アンナさんのことは覚えてるか?」


「はい、覚えています。私が自己紹介を終えた後、なぜか走り去ってしまった人ですよね? もっとお話したかったのに、残念でした」


「誰のせいだと思ってるんだよ……」


 一週間前の出来事を胸に手を当てて、よく考えてほしい。


 内心呆れながらも、説明を続ける。


「お前を連れてきたのは、この前の発言が冗談だったことを説明してもらうためだ。今度は余計なことは言うなよ?」


「はい、分かりました。アルバ様とは、一つ屋根の下で仲睦まじく暮らしていることをちゃんと説明します」


「……本当に分かってるんだよな?」


 何だかとても心配になってきた。


 まだ一週間程度だから互いに衝突はしていないが、いくらなんでも仲睦まじいは言いすぎだ。……レティの発言にはしっかり目を光らせておいた方がいいかもしれない。


 そうこうしているうちに、目的であるアンナさんの家が見えてきた。


 扉の前に立ったところで軽く数回ノックをする。


 しばらくするとドタドタという音が家の中から聞こえ、扉が開かれた。扉の向こう側からアンナさんが出てきた。


「はい、どちら様で――アルバ君⁉」


 俺の存在を認識し、アンナさんはギョっと目を見開いた。そしてすぐさま開けた扉を閉めようとする。


 しかしそれは俺が扉に足を挟むことで阻止させてもらう。ガン! という音が俺の挟まれた足と扉から発生する。


 するとアンナさんは慌てた様子で扉を勢いよく開いた。


「ご、ごめんなさい、アルバ君! 足痛くない? 大丈夫?」


「大丈夫だよ。それよりアンナさん、話があるんだけど今いいか?」


「わ、私に話?」


 アンナさんは不思議そうに小首を傾げた。


「ああ、アンナさんに大事な話があるんだ。もちろん、アンナさんがこの後何か予定があるっていうなら日を改めるけど……」


「べ、別に予定があるわけじゃないけど……い、家の中が散らかってるから少しだけ待ってもらえる?」


「いや、大事な話とは言ったけどわざわざそこまでしなくていいよ。何なら立ち話でもいいし」


「ダ、ダメよ、そんなの!」


 アンナさんは大声を上げると、そこで初めて視線を俺の隣に立つレティへと移した。ただそれはほんの一瞬のことで、またすぐに視線を正面に戻す。


「アルバ君と……そ、はお客様なんだから、お茶も出さないなんて失礼よ。そんなに時間をかけるつもりはないから、ちょっとだけ待ってて」


 そう言い残して、アンナさんは扉を勢いよく閉めた。次いでドタドタと騒がしい音がしたかと思えば、徐々に遠ざかっていく。


「……しばらく待つか。レティもそれでいいか?」


「はい、私もそれで構いません」


 レティは首を縦に振り、了承してくれた。


 それにしても、アンナさんのあの反応……やっぱりアンナさんもレティの噂を耳にしていたのか。となると、その辺りのことも説明しておいた方がいいかもしれない。


「アルバ様、一つ質問してもよろしいでしょうか?」


「ん? 俺が答えられることなら別にいいけど、どうした?」


「少し気になったことなんですけど……なぜ今日になって、アンナ様の元を訪れたのですか? もっと早くにアンナ様の元を訪れることも可能でしたよね?」


「あー……確かにその通りだな。まあ色々と理由があってな」


 全くもってレティの言う通りだ。俺にはこの一週間、アンナさんの元を訪れる機会は何度もあった。


 それでも今日まで訪れることがなかったのは、まあ何というか……完全にアンナさんのことを忘れていたせいだったりする。


 アンナさんがいなくなった後は、レティ関連で色々あったせいで誤解を解くことをすっかり忘れていたのだ。


 思い出せたのは、この一週間でレティもこの街での生活に慣れ始めて、俺に余裕が生まれたことがきっかけだ。ふと、アンナさんの誤解を解いてないことを思い出した。


 そのまま放置して新たな噂を流されても困るので、こうしてレティを伴ってアンナさんの家を訪れたというわけだ。


「お待たせしてごめんなさい。二人共、もう家に入っていいわよ」


 レティと会話をしていると、アンナさんが扉を開いてその隙間から顔を出した。


「ああ、今行くよアンナさん」


 アンナさんに返事をしてからレティを伴って、アンナさんの家にお邪魔させてもらう。


 アンナさんの案内で客間に通され、俺とレティはアンナさんと向かい合う形で席に着いた。


「……それでアルバ君、話って何かしら? アルバ君だけじゃなくて、そちらの方も一緒ってことは、かなり重要な話なのよね?」


「いや、別にそこまで重要な話ってわけじゃないよ」


「え……そ、そうなの?」


 アンナさんの問いに一度頷いてから、ここに来た理由を説明する。


「俺たちが今日アンナさんの家に来たのは、この前のレティの言葉が誤解だってことを説明するためだよ」


「それって、そちらの方――」


「アンナ様。私のことはレティと気軽に呼んでくださって構いませんよ? 敬語も不要です」


 レティがアンナさんに言葉に被せる形で、そんなことを言った。


 この一週間一緒に暮らして分かったことだが、レティは王族というだけで他人に必要以上に敬われるのがあまり好きじゃないみたいだ。


「そ、そんな、王女様を気安く呼ぶなんて真似、私のような平民には恐れ多くてできません!」


「問題ありません。この場には、私の名前を気安く呼んだとしてもそれを咎める者はいません。仮にいたとしても、私が許したのですから文句は言わせません」


 淀みなくレティはハッキリと言い切った。彼女はこの件、譲るつもりはないみたいだ。目を見れば分かる。


 しかしこのままだと話が進まないのは明らかだし、ここは俺が何とかするしかない。


「……アンナさん、本人もこう言ってることだし、とりあえずこの場はレティの言う通りにしてやってくれ」


「アルバ君……分かったわ。ええとそれじゃあ……レティちゃんでいいかしら?」


 アンナさんは確認のために、俺の隣に座るレティに訊ねた。


「レティちゃん……ですか」


「も、もしかして馴れ馴れしすぎたかしら? ご、ごめんなさい……」


「いいえ、謝らなくていいですよ。ちゃん呼びなんて生まれて初めてで、ちょっと驚いただけですから。レティちゃん……ふふふ、とてもいい響きです。アンナ様、これから私のことはレティちゃんでお願いします」


「そ、そう。気に入ってくれたのなら良かったわ……」


 ご満悦な様子のレティに、アンナさんも胸を撫で下ろす。これでやっと本題に入れる。


「話を戻させてもらうけど、俺たちがここに来たのはアンナさんの誤解を解くためなんだよ。アンナさん、レティが初対面の時に言ったこと、覚えてるか?」


「え、ええ、もちろんよ。二人は夫婦なのよね? す、すす、凄いわね、アルバ君。この国お姫様と結婚できるなんて、やっぱりアルバ君も噂通り、貴族の方だったりするの?」


「まさか。レティと一緒にいるせいで街のみんなには誤解されてるけど、俺は生まれてこの方、貴族になったことなんて一度もないよ」


 まあ、世界を救う勇者という、ある意味国王よりも上の立場の人間ではあったけど。


「それに夫婦っていうのは、レティの冗談だよ。俺とこいつは、結婚どころか付き合ってすらない」


「え、そうなの?」


 アンナさんは俺ではなくレティに確認する。


「はい、アルバ様のおっしゃる通りです。以前夫婦と言ったのは、ちょっとした冗談です」


「で、でも、一緒の家で暮らしているのよね? 夫婦じゃないなら、どうして一つ屋根の下で一緒に暮らしてるの?」


 アンナさんの疑問は至極全うなものだ。未婚の男女が寝食を共にしているというのは、レティが王族の人間であることを抜きにしても流石に普通じゃない。


 別に俺だって好きでレティと二人きりで暮らしているわけじゃない。国王の命令で仕方なくだ。


 しかしそのことを説明するとなると、俺と国王にどうして接点があるのか――つまりは俺が勇者であることも話す必要がある。それはごめんだ。


 もし俺が勇者であることが知れれば、まず間違いなく、この街にはいられなくなる。二年も暮らせば、この街にもそれなりの愛着が湧くというもの。できることなら、俺はまだこの街で穏やかな日々を送りたい。


「……それに関してはまあ、こっちにも色々と事情があってさ。悪いけど、あまり詳しいことは話せないんだ。ごめんな、アンナさん」


「ア、アルバ君が謝るようなことじゃないわ。気にしないで」


「ありがとう、アンナさん」


 アンナさんに隠し事をするのは少し心が痛むけれど、これは俺が今後もこの街で生きていくためには必要なことだ。耐えるしかない。


「ねえ、アルバ君。一つだけ訊きたいことがあるんだけど、いいかしら?」


「別にいいよ。俺が答えられる範囲なら、何でも訊いてくれ」


「それじゃあ遠慮なく。ねえアルバ君、どうしてわざわざ誤解を解くためだけに、私の家まで来てくれたの?」


 どうして……か。ここに来たのは、打算的な理由がたくさんある。けれど、それが全てというわけじゃない。メインとなった理由は、


「アンナさんに誤解されたままってのは、ちょっと嫌だったからだよ」


 アンナさんは、この街で数少ない俺の大事な友人だ。そんな人に、変な誤解を受けたままというのは辛い。


「そ、そうなんだ。アルバ君、私に誤解されたままは嫌なんだ……そっか」


 微かに赤らめた頬に手を当てながら、どこか自分に言い聞かせるようにアンナさんは呟いた。


 横ではなぜかレティが、両手を合わせて歓喜の表情を浮かべている。


「流石はアルバ様です。英雄色を好むと言いますが、やはりアルバ様もその例に漏れないということですね」


「はあ……?」


 何かわけの分からないことを言ってるようだが、面倒だから相手にしないこおにした。


 とりあえず、当初の目的だったアンナさんの誤解を解くことはできたわけだし、良しとしておこう。


 その後はアンナさんと他愛ない話で盛り上がって、日が暮れる頃に俺とレティは帰宅するのだった。

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