教会へその三

「アイシャ、いるか?」


 扉を開け、レティを伴って教会内に足を踏み入れる。


「ア、アルバさん?」


 アイシャはいつも通りの修道服姿で、礼拝堂奥の女神像の前で箒を片手に立っていた。


 俺が現れたことに多少驚いて様子を見せるアイシャだったが、すぐさま笑顔を作る。


「ちょっと用事があって来たんだけど、今時間はあるか?」


「はい、大丈夫ですよ。ですがアルバさんが教会にいらっしゃるなんて珍しいですね。しかも女性を連れてなんて――」


 話の途中で、アイシャはいきなり石のように固まってしまった。同時にカラン、と音を立てて箒が地面に転がったが、アイシャは拾う素振りすら見せない。


「ど、どうしたんだアイシャ? 大丈夫か?」


「は、はい、大丈夫です。心配をおかけしました……」


 言いながらも、アイシャの顔色は優れない。無理をしているのは明らかだ。先程までは何ともなかったはずなのに、いったいどういうことだ?


 アイシャは視線を俺からレティへ移すと、恐る恐るといった感じで訊ねる。


「あ、あの、勘違いだったら申し訳ないのですが……もしかしてあなた様はブリュンデ王国第二王女、レティシア=ブリュンデ様ではないでしょうか?」


「はい、その通りです」


 レティはアイシャの推測をあっさりと首肯した。


 レティの答えを受け、アイシャの顔色は更に酷いことになる。


「ですが今の私はただのレティシアなので、気軽にレティとでも呼んでください」


「そ、そんな! 王女殿下のお名前を気軽に呼ぶなんて、そんな真似私にはできません!」


 首がもげるんじゃないかと心配になるくらい、全力で首を横に振るアイシャ。


 一見すると過剰な反応にも見えるが、普通はあの反応が正しい。


 王族なんて平民からすれば雲の上の人だ。そんな存在の名前を気安く呼ぶなんて、相当肝が据わってないとできない。


 むしろおかしいのは、簡単に『レティ』呼びに順応している俺や気安く『嬢ちゃん』と呼んでいるおやっさんの方だ。


「レティ、あまり無茶を言うな。アイシャが困ってるだろ」


 レティの言葉に困り果てたアイシャが流石に可哀想だったので、助け舟を出してあげることにした。


「……そうですね。私も『レティ』という呼び方を強要したいわけではないので諦めましょう。無理を言ってしまってごめんなさい、アイシャ様」


「い、いえそんな! レティシア様が謝るようなことじゃありません! 悪いのは、融通の利かない私なんですから!」


 落ち込んだ様子のレティに両手を振って、非がないことを必死に訴えるアイシャ。


 しばらくして二人が落ち着いたところで、俺も話の輪に加わる。


「それにしても、よく一目でレティが王族だって分かったな。もしかして、この前レティがこの街に来たところを見てたのか?」


「い、いえ。以前王都で暮らしていたことがあったので、その時に何度か遠目ではありますがお顔を拝見したことが……」


「へえ。アイシャ、王都で暮らしてたことがあるのか」


「はい。ほんの数年ほどの短い時間でしたが……」


 アイシャの言葉が徐々に尻すぼみしていく。もしかして、あまり追求されたくない話題なのか? だとしたらこれ以上訊くのは、あまり良くないな。


「そ、それで、お二人は本日はどういったご用件でいらしたんですか?」


「ん? ああ、そういえば本題がまだだったな。実は今日は、これを渡したくて来たんだ」


 先程から手に持っていた布袋をアイシャに手渡す。


「これは……?」


「それはアイシャにやるよ。その袋の中にクッキーが入ってるから、子供たちと仲良く一緒に食べてくれ」


「……! そ、そんな、受け取れませんよ! 私、こんなもの頂いても何もお返しなんてできません!」


 アイシャは、クッキーの入った袋をこちらに突き返してくる。慎み深いアイシャらしい反応だ。


 とはいえ、ここで返されても困るのは俺たちだ。


「お返しなんて気にしなくていい。俺たちだけじゃ食べ切れないから、食べるのに協力してほしくて渡したわけだし。なあ、レティ?」


「はい、アルバ様の言う通りです。そのクッキーは、教会の皆さんで食べてください。その方が、作った身としても嬉しいですから」


 レティも俺の言葉に同意を示してくれた。


「ほら、作った本人もこう言ってくれてることだし素直に受け取っておけ」


「……アルバさんはズルいです。そういう言い方をされたら、断れるわけないじゃないですか」


 アイシャは頬をリスのように可愛らしく膨らまして、不満げな様子を隠そうともせずそう言った。アイシャにしては珍しい反応だ。


 ただ俺個人としては、こういう年相応の反応を見せてくれるのは嬉しく思う。いつもは教会のシスターとして気を張っているが、彼女はまだたった十四歳の子供なのだから。


「な、何ですかアルバさん? そんなに私の顔をジっと見つめて……は、恥ずかしいからやめてください」


「ああ、悪い悪い。ほらアイシャ、受け取れ」


 軽く謝罪しながら、先程突き返されたクッキーの入った袋をもう一度渡す。


 袋を受け取るとアイシャは、それを大事そうに胸元に抱えた。


「ありがとうございます。アルバさん、レティシア様」


 俺とレティは「どういたしまして」と言葉を返す。目的は果たしたので俺とレティは家に戻ろうとするが、そこでアイシャに呼び止められた。


「お待ちください、お二人共。せっかくここまでいらしてくださったのですから、お茶ぐらいは振る舞わせてください」


 この誘いは、アイシャなりのクッキーのお礼のつもりなんだろう。


 断るのは簡単だったが、この後は特に予定もなかったし、せっかくの申し出だったのでアイシャの好意に甘えることにした。


 快諾すると、アイシャは表情をパっと輝かせて客間へ案内してくれた。


 案内を終えると、アイシャはお茶を入れるために出て行ったので、客間には俺とレティの二人だけが席に着いている。


 アイシャが戻るまでの待ち時間、案内されてる時から妙に口数の少なくなっていたレティを心配に思い声をかける。


「さっきから黙りこくって、どうしたんだレティ? 調子でも悪いのか?」


「いえ、別に体調に問題があるわけではないんです。ただ少し気になることがありまして……」


「気になること?」


「はい。何となくですが、私、アイシャ様をどこかで見たことがあるような気がして。多分王都で見たことがあるはずなんですが……うーん」


 目を閉じて何とか思い出そうとしているレティ。けれど唸るばかりで答えは一向に出ない。


「アイシャは昔王都に住んでたって言ってたし、公務で視察した時にでも見かけたんじゃないか?」


 レティは王族の一員なので、公務の一環として国王と一緒に王都内を視察することがある。その際に見た人間全てを覚えておくのは流石に無理だろうが、アイシャのことはたまたま覚えていたかもしれない。


「いえ、視察ではなかったはずです。もっとちゃんとした公式の場だったと思うのですが……いったいどこだったのでしょうか?」


 その後レティはアイシャがお茶を運んでくるまでの間記憶を探り続けていたが、結局答えが出ることはなかった。

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