ブラッディベアと対峙
「さてと、カインはどこにいるんだ?」
ギルドを出た俺は、ブラッディベアの出没する山まで来ていた。普段は薬草採取のため麓までしか来ないが、今日はカインを救出するために山の奥まで来ている。
「おかしいな……」
すでに山の奥に入って十分以上経過しているにも関わらず、俺は未だに魔物と遭遇していない。
無駄な戦闘を行わずに済むのはありがたいが、いくらなんでもこの状況は異常だ。もしかしなくても、ブラッディベアの存在が原因だろう。
もしかしたらすでに近くにいるかもしれない。最大限警戒を強めるとしよう。
しばらく周囲を警戒しながら歩いていると、不意に遠くの方から獣の如し咆哮が届いた。
この辺りであんな咆哮を上げる魔物を俺は知らない。間違いなくブラッディベアだ。しかもこの感じ、誰かと戦っている可能性もある。
その誰かがカインかもしれないと考えると、放ってはおけない。最悪、俺が戦うことも視野に入れておこう。
そう考えながら咆哮のしたところまで駆け足で向かう。するとそこには、
「はああああああああ!」
威勢のいいかけ声と共に、槍を片手にブラッディベアへと飛びかかる冒険者――カインがいた。
近くの草むらに身を潜め、慎重に周囲の様子を確認してみる。
周囲には他の冒険者はいない。まさかパーティも組まずにソロということはありえないだろうし……置いていかれたか、仲間を逃がすために留まっているかのどちらかだろう。
戦況は見た感じカインが不利だ。DランクのカインではAランクのブラッディベアに勝てないのは仕方のないことではあるが、その割にはかなりいい勝負をしている。
恐らくこれは、カインの持つ
恩恵。それは俺たち人類が神々から与えられし祝福。俺たち人種は五歳になると、教会で儀式を受けることにより恩恵を得ることができる。
恩恵には『剣術』などの戦闘系や『調合』のような生活に役立つものなど様々な種類が存在し、人によってどのような恩恵を授かるかは完全に未知数だ。
人類よりも高い身体能力を持つ魔王率いる魔物たちに勝てたのも、この力があったからだろう。
ちなみに俺がかつて勇者と呼ばれていたのも、勇者の証である恩恵を持っていたからだ。
「それにしても……」
未だに戦い続けている一人と一匹の様子を見る。
昔、まだ仲が良かった頃にカインの恩恵を聞いたことがある。確か『槍術B』だったか。恩恵にはSからFまでの等級があり、上にいくほど希少だ。
カインの恩恵は、こんな田舎街には勿体ないほどの希少なものだ。本来なら貴族の騎士として召抱えられてもおかしくない。
その恩恵が今、ギリギリのところでカインを生かしている。恩恵によってもたらされる技能が、カインにブラッディベアに対抗するための力となっている。
しかしそれもやがて限界を迎えた。
ギリギリのところでブラッディベアの攻撃を避けていたカインだが、隙を突かれ一撃もらってしまった。
「が……ッ!」
苦悶の声を上げ、カインはとてつもない速度で吹き飛んだ。
このままではマズいと思い、急いで吹き飛んだカインを追う。木々を破壊しながら吹き飛ぶカインの速度はかなりのものだったが、全力で走ることで何とか受け止めることができた。
「大丈夫か、カイン!? 生きてるか!」
「ぐ……ッ」
生死を確認してみると、微かではあるが呻き声が返ってきた。良かった、どうやら生きてはいるらしい。意識はないが、目立った大きなケガもないし命に別状もないようだ。
目的であるカインの救出はこれで完了。あとは逃げるだけ。
『グオオオオオオオオッ!』
ブラッディベアが雄叫びと共に、木々をなぎ倒してこちらに迫ってくる音が聞こえてきた。
……どうやら向こうは逃してくれるつもりはないようだ。
俺一人ならどうとでも逃げおおせるが、気絶したカインを背負ってとなるとそれも難しい。となると、俺に残された選択肢は一つだけ。
「仕方ないか……」
本当は嫌で仕方がないが、背に腹は変えられない。アンナさんのこともあるしな。こうなるとカインに意識がないのが幸いしたな。
腰の剣を抜く。こうして木剣ではなくちゃんと斬れる剣を手に取るのは、魔王と戦って以来か? まだ二年程度しか経ってないのに、随分と昔のことに感じられるな。
久々の戦闘だし、身体が鈍ってないといいけどな。まあ、もし鈍っていたとしても徐々に感覚を取り戻せばいいだけか。
などと考えている内に、ブラッディベアが視界に入る範囲まで迫ってきた。
ここで戦えば気絶しているカインを巻き込んでしまう。俺は、木々などお構いなしでこちらへ直進するブラッディベアへ向けて駆け出した。
まずは挨拶代わりに一撃。大した速度も力もない軽い一撃のため、ブラッディベアは片腕を盾にして軽々と防いでしまった。
ブラッディベアの鋼鉄並の硬度を誇る体毛のせいか、剣を振るった腕がビリビリと震える。
……ブラッディベアの硬さは大体分かった。この程度なら、今の身体が鈍った俺でも十分倒せるな。唯一問題があるとすれば、それはこの剣が戦いに耐えられるかどうか。
元々この剣は冒険者登録をする際、武器の携帯が義務だったから買った安物。とてもじゃないが、ブラッディベア相手に使えるようなものじゃない。下手するとあとニ、三回振るっただけでへし折れる可能性すらある。使いどころはしっかりと見極めなければ。
俺は即座に飛び退き、ブラッディベアをこの場から引き離すために背を向けて走り出した。
今の一撃でブラッディベアも敵意をカインから俺に移し替えたのだろう。倒れているカインには目もくれず、俺を追いかけてきた。
よしよし。これでひとまずカインの無事は確保されたな。他の魔物たちもブラッディベアを恐れてこの辺りには来ないだろうから、気絶しているカインが襲われる心配はないだろう。
そこからしばらくブラッディベアと鬼ごっこをすること数分。木々のない開けた場所で足を止める。ここなら、俺も思う存分やれる。
「さてと、やるか」
ボソリと呟いてから、足を止めた俺に飛びかかるブラッディベアの攻撃を横に飛び退いて回避する。
しかしブラッディベアの攻撃はそこで終わりではなかった。ブラッディベアは巨体に似つかわしくない機敏な動きで、俺を追う。
ブラッディベアの攻撃は苛烈の一言に尽きる。生半可な攻撃を通さぬ体毛があるがあればこその戦い方ではあるが、それが通用するのは格下だけ。
かつては勇者として名を馳せた俺を相手にするには、間違った戦い方だ。
俺目がけて突き出された右の凶悪な爪。俺はそれを余裕を持って避け、ピンと伸び切った腕を容赦なく下から剣で切断。
『グオ……ッ!?』
切り飛ばされた断面から、とめどなく血が溢れる。恐らく、ここまでの攻撃をされたのは初めてなのだろう。動揺が目に見えて分かる。
その隙を見逃す俺ではない。腕を切られ動揺しているブラッディベアの首元まで跳躍。そして――剣を横凪に一閃。
ボトリと音を立てて、ブラッディベアの首が地に落ちる。次いで、首なしとなった身体が盛大な音を立てて倒れる。
「ふう……終わったか」
久しぶりの戦闘ではあったが、案外呆気なく終わったな。とはいえ、身体の方は予想していたよりもかなり鈍っているな。この二年間薬草採取しかしてなかったツケか。
別に今後魔物と戦うつもりはないので、勇者時代のような戦闘能力は必要ないが、せっかく積み上げてきたものが失われるのは少し惜しいな。
「ん……?」
剣を鞘にしまおうとしたが、剣が妙に軽いことに違和感を覚えた。視線をチラリと剣の方に向けてみる。
するとそこには、剣が半ばからポッキリと折れていた。ブラッディベアの体毛に耐えられなかったのか、それとも俺の力に耐えられなかったのか。はたまたその両方か。
まあ正解はどちらでもいい。剣はまた買えばいいからな。
それよりもさっさとカインを回収しよう。きっとアンナさんが心配してるはずだ。
俺はブラッディベアの死体を放置して、その場を後にした。
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