帰還

「カイン……」


 自宅にて、アンナは一人愛する弟の帰りを待っていた。


 ギルドから戻って早数時間。アンナはずっとカインの身を案じ続けていた。


 カインを助けてもらうためにギルドに行ったアンナであったが、結局それは叶わなかった。理由はギルド職員に懇切丁寧に説明されたので、納得している。


 アンナは冒険者ではないが、Aランクの魔物は小さな村ぐらいなら壊滅させるほどの力を有していることは知っている。この街にはAランクの魔物に対抗できる冒険者がいないことも。


 カインの生存は絶望的だ。実際、カイン同様ブラッディベアの存在を知らずに山に入ったものは誰一人帰ってきていない。


 しかしそれでも、アンナはカインの生存を願わずにはいられない。アンナにとってカインは、ただ一人残された大事な家族だから。


 幼い頃、流行病で両親を早くに亡くしたアンナにとって、カインは両親から託された最後の家族。これまで時に厳しく時には優しく、愛情を注いで育ててきた。


 そんなカインが冒険者になると言った時には、アンナは随分と反対したものだ。何せ冒険者というのは、常に死と隣り合わせの危険な仕事。


 これまで大切に育ててきた弟に、そんな危険なことはしないでほしい。カインまで失ってしまえば、アンナには生きる希望がなくなってしまう。


 だからアンナは何とかカインを思い留まらせようとしたのだが、結局カインは最後まで自身の意見を曲げることなく冒険者になってしまった。


 それからは毎日カインが無事であることを祈り続けてきたアンナではあったが、それも二年も続けば心配は安堵に変わっていった。


 もしかしたら自分は弟に対して過保護だったのかもしれない。そろそろ、自分の元を離れて自由に生きてもいい頃だろう。そう思った矢先に、今回のブラッディベア件。


「お願いします、神様。私はどうなっても構いませんから、弟だけは……どうか弟だけは」


 最早自分にできることは何もないことをアンナ嫌というほど理解している。だからこそ、アンナに残されたのはただひたすら神に祈ることだけ。


 カインの無事を祈っていると、不意にコンコンと控え目なノック音がドアの方からきこえてきた。


「カイン……!」


 一瞬、カインが戻ってきたのかと思ったアンナだったがすぐに違うと思い直した。


 もしカインならわざわざノックなんてしない。ただ一言「ただいま」と言ってドアを開けるはずだ。


 しかしそうなるといったい誰なのか。まさか居留守を使うわけにもいかず、何の用なのか確認するためにドアに向かう。


「……どちら様ですか?」


「アンナさんか? 俺だよ俺、アルバだ」


「アルバ君? どうしたの、私に何か用?」


「ああ、実はカインのことなんだけど――」


「カインに何かあったの……!?」


 弟の名前を耳にしたアンナは、慌ててドアを開けた。






「うお……!?」


 勢いよく開かれたドアに、思わず驚きの声が漏れた。


「アルバ君、カインがどうしたの!? 何かあったの!? お願いだから教えて……!」


「お、落ち着けアンナさん! カインは無事だ、生きてるから!」


 俺の両肩に手を置いて、ガクガクと何度も揺らすアンナさん。普段の彼女からは想像もつかない剣幕だ。


 余程カインのことが心配だったのだろうが、とりあえず一旦落ち着いてもらわなければまともに話もできない。


 俺の言葉が通じたのか、アンナさんは少しだけ落ち着きを取り戻してくれた。


「ご、ごめんなさい、アルバ君。つい取り乱しちゃって……それで、カインが無事って言ってたけど、どこにいるの?」


「ああ、カインならここにいるよ。ほら」


 後ろを向いて、背に抱えているカインを見せる。


「多少ケガはしてるけど、命に別状はないはずだ。数日安静にしてれば、多分大丈夫だよ……アンナさん?」


 返事がないな。てっきり喜んでくれると思ったんだが、いったいどうしたんだ?


 疑問に思い、振り向いてみると、アンナさんがその場にへたり込んでいた。


「ア、アンナさん、どうしたんだ? 大丈夫か?」


 アンナさんの身を案じて慌てて駆け寄ろうとするが、


「良かったよおおおおおおおお! カインが、カインが生きてたああああああああ!」


 アンナさんが大声を上げて、周囲に憚ることなく泣き出した。きっとカインの無事が分かって緊張の糸が解けたのだろう。


 幸い周囲には人がいないので、誰かに見られる必要もない。しかしそれは同時に、アンナさんを泣き止ますことができる人間も俺しかいないということ。


 かつては勇者と呼ばれた俺だが、流石に泣いてる女性を宥める方法は知らない。……ある意味魔王討伐以上の難易度かもしれないな。


「はあ……」


 少し話したいこともあるし、このまま放ってはおけない。とりあえず、泣き止ませるところから始めるとするか……。






「ええと、その……ごめんね、アルバ君。お見苦しい姿を見せて……」


「気にしなくていいよ。大切な弟が無事だったんだから、あのくらい別に変じゃない」


 どうにかアンナさんを泣き止ませた後、俺はアンナさんに誘われて彼女の家でお茶をごちそうになっていた。


 カインはベッドに運んだのでこの場にいない。特に大きなケガもないので、多分明日には目を覚ますだろう。


「それよりもアンナさん。一つ頼みたいことがあるんだけど、いいか?」


「もちろんいいわよ。あなたはカインの命の恩人。私ににできることなら何でも言って」


 すぐ様そう答えてくれたアンナさん。


 この様子なら、きっと俺のお願いもちゃんと聞いてくれるな。


「ありがとう、アンナさん。頼みたいことっていうのは、今回俺がカインを助けたことを誰にも言わないでほしいんだ。もちろんカインにもな」


「え……!? どうして?」


「こっちにも色々と事情があってな。あまり目立つような真似はしたくないんだ」


 ここで変に目立って俺の正体がバレるのは、可能な限り避けたい。だから、今回の件はできるだけ他の人の耳に入らない方が俺にとっては都合がいい。


「第一、俺が倒れているカインを見つけられたのは運が良かったからだ。カインを見つけられたのは、偶然だったんだよ。だから俺は、大したことはしてないんだ。それに俺なんかに助けられたって分かったら、プライドの高いカインはきっと落ち込むだろうし」


「そんなこと……」


「だからさ、頼むよアンナさん。俺のお願い、聞いてくれ」


 俺は頭を下げて頼み込む。嘘を吐いたのは罪悪感が込み上げてくるが、まさか真実を言うわけにもいかない。


 アンナさんはそんな俺に戸惑うような表情を浮かべ、訊ねる。


「……アルバ君はそれでいいの? 今回のことが伝われば、あなたをバカにしていた他の冒険者たちを見返せるのよ? カインだって、あなたのことを……」


「アンナさん、そんなことまで知ってたのか……」


「カインがね、いつも話してくれたの。あれでもあの子、アルバ君のことは認めていたのよ? 『あいつはやればできるんだ!』っていつも言ってたわ」


 普段、あんな態度を取ってたカインがな……これが昔魔法使いの仲間が言ってた『ツンデレ』というやつか?


 まあ、あいつの言うことは大抵意味が分からなかったから、あまり正しいという自信はないけど。


「そっか……教えてくれてありがとうな、アンナさん。けど、やっぱり今回のことは誰にも言わないでくれ」


「分かったわ。アルバ君がそこまで言うのなら、私も今回のことは誰にも言わない。でも、その代わりに一つだけ聞かせて。どうしてカインを助けてくれたの?」


「どうして……か」


 改めて訊かれると、答えるのが難しいな。それでも強いて言葉にするとしたら、勇者時代のクセというのが妥当か?


 勇者だった頃の俺は、勇者の義務としてたくさんの人々の助けるを求める声に応えてきた。だから助ける理由なんて、あまり考えたことがない。


 それでもあえて理由を付けるとすればそれは、


「アンナさん、ギルドで俺に言ってただろ? 『カインを助けて!』って。俺がカインを助けた理由は、それだけだよ」


「……それだけのために、ブラッディベアがいるかもしれない山に入ったの?」


「別に大したことじゃない。結局ブラッディベアとは遭遇しなかったしな」


 実際のところは遭遇どころか討伐までしてしまったわけだが、そこまで手間もかからなかったしな。


「そう……あの時の言葉だけで本当に助けてくれるなんて、アルバ君はまるで勇者様みたいね」


「…………! そ、そうか? 俺なんかがあの魔王を倒した勇者様みたいなんて、光栄だな」


 ビ、ビックリした……正体を見破られたのかと思ったぞ。


 アンナさんに気取られないよう何とか取り繕っているが、内心メチャクチャ驚いている。まさかこのタイミングで勇者なんて言われるとは予想外だ。


 俺が内心動揺していると、アンナさんは居住まいを正した。


「アルバ君、改めてお礼を言わせて。――弟のカインを助けてくれてありがとうございます。このご恩は決して忘れません」


 普段とは違う丁寧な言葉遣いと共に深々頭を下げたアンナさん。


「ア、アンナさん……」


 そんな彼女に戸惑いながらも、俺はカインを助けて良かった。心の底からそう思うのだった。

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