馬鹿の正論


「おぉ~~いっ! ちょいと金づちを持ってきてくんなっ!!」


 長屋の屋根の上から、大工の親方の小粋な声が響き渡る。それに答えるのは、


「へっ、へぇ~~いっ」


 という、屋根の下から響く、なんとも間の抜けた声。声の主は、親方の使い走りの一人で、馬鹿の異名名高い留吉という男であった。


「おい留吉っ!! さっさと持って来やがれ!!」

「へっ、へぇ~~いっ」


 親方から大声で急かされ、慌ててはしごをかけあがってくる留吉。


「おい、留吉!! 手ぶらであがってくるたぁ、何事だ!! 金づちを持って来いって言っただろうが!!」

「あ、ああ、そうでした、親方、面目ねえ」

「謝る暇があったら、さっさと金づちを持って来やがれ!!」


 親方にせっつかれて、急いではしごを降りる留吉。ほどなくして、留吉が戻ってきて、


「へ~いっ、おまちどおさま」


 と言うが、留吉が手に持っているのは金づちではなくかんなだった。


「このバカヤロウがっ!! 誰が鉋を持って来いって言った!! 金づちだよ!! 金づち!! さっさと持って来い!!」

「へっ、へぇ~~いっ」


 親方に大声でどやしつけられ、転がるようにして、はしごを降りていく留吉。ほどなくして留吉は戻ってきて、


「へいっ、へいっ、おまちどおさま」


 冷や汗をたらしながら、手に持った金づちを親方へと差し出した。親方、差し出された金づちをひったくるように受け取ると、


「まったく、てめえはいつまで経っても使い物にならねえやつだな!! こんな猫の手も借りたくなるようなクソ忙しい時に、てめえのような馬鹿しか手伝いがいねえなんて、災難としかいいようがねえや!!」


 べらんめえ!! と息巻く親方。


「留吉!! もういいから、てめえは家に帰って寝てな!!」

「へっ、へぇ~~いっ」


 間の抜けた声を出して頭をさげる留吉。しかし、留吉は家路につこうとせず、親方の後ろで、うぅ~ん? と唸り声をあげて首をひねっているばかり。

 ええい、うっとおしい。このクソッタレが、さっさと帰りやがれと、留吉に怒声を浴びせかけようとする親方に、


「おっ、おやかたぁ。おひとつ、おたずねしてえことがごぜえやす」


 と、留吉が声をかけた。


「なんでえ!! こちとらクソ忙しいんだ!! くだらねえこと聞きやがったら、ただじゃおかねえぞ!!」

「そっ、そう声をあらげねえでくだせえよ。おやかたぁ、さっき猫の手も借りたいっておっしゃいましたが、どうやって猫の手を借りるおつもりなんですかい?」

「はぁ?!」

「ですから、おやかたぁ、どうやって猫の手を借りるおつもりなんですかい?」


 首をかしげながらそうのたまう留吉に、親方の雷が落ちた。


「てめえ、俺を馬鹿にしてんのか?! 本当に猫の手なんざ借りるわきゃねえだろうが!! ありゃあ例え話だ!! 馬鹿のてめえにもわかりやすく言やあ、死ぬほど忙しいっていう例え話なんだよ!!」


 親方の凄まじい剣幕に、留吉はたじろぎながらも、


「へっ、へぇ。そういうことだったんですかい。でも、その猫の手も借りたいっていう例え話はあんまりいいもんじゃありやせんぜ。だって、どうやっても猫の手を借りることなんか、できないんだもの」

「だから例え話なんだよ!!」


 血管が切れそうなほどに顔を紅潮させて激怒する親方に、留吉はいつもの間の抜けた声で親方に言った。


「へ、へえ。しかし、おやかたぁ。猫には手がねえんですぜ? 猫についてるのは前足と後ろ足で、手なんかありやせん。だから、そもそもその例え話自体がいけねえってあっしは思うんですがね」

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