ややこしい手紙


 今では識字率ってのはとても高いございますが、その昔はそれはもう字が読めない書けないなんてのは至極当然のことで…………。




 長屋の御隠居さんのところに、同じ長屋に住んでいる与太郎がやってきた。


「おや、御隠居さん、何をしてらっしゃるんで?」

「なに、熊五郎さんに手紙を書いておるのです」

「熊公に手紙ですって? そいつぁ、またどうして?」

「それがですね、先日の祭りの際に、熊五郎さんに羽織を貸したのですが、それをまだお返しにこられてないから、ちょっとその催促をしようかとね」


 御隠居の言葉に、与太郎はため息交じりに言った。


「かぁ~まったく、熊公の野郎、不義理にもほどがあらあ」

「まあまあ、そう言わず。忘れてるだけかもしれませんから」

「人から物を借りといて忘れるなんざ、不義理としか言えませんでしょうが。熊公の顔見知りとして、これは放っちゃおけねえ。ようごす。熊公への手紙、あっしが届けることにいたしやしょう」

「そうしてくれるとありがたい。では、書き終えるまで少々お待ちください」


 やがて御隠居が手紙を書き終えた。


「それでは、こちらを熊五郎さんにお届けください」

「へい、かしこまりやした」


 手紙を受け取り御隠居の部屋から出る与太郎。


「さて、それじゃあちょいとこいつを熊公に届けるとするか」


 与太郎はひとっ走りして、熊五郎の部屋へとやってきた。


「おおい、熊公、いるか?」

「その声は与太郎かい? まあ、入れや」


 与太郎が部屋の中に入ると、熊五郎という名にふさわしい、筋骨隆々としたひげもじゃの男が部屋の中に座っていた。


「ちょいとおめえに届けもんがあってな」


 そう言いながら熊五郎の前に、どっかりと座り込む与太郎。そして懐から御隠居からの手紙を取り出して、


「こいつを、御隠居さんから預かってきたんだよ」


 熊五郎の前へと差し出した。

 熊五郎は手紙を受け取り、それを開いてふんふんと目を通し始めた。やがて読み終わると、熊五郎は複雑な顔となっていた。


「この野郎、御隠居さんからの羽織をかえしてくれっていう催促の文をもらってるってえのに、そのツラぁなんだ?」


 与太郎が怒ると、熊五郎は、はっとした声をあげた。


「あ、そうだったのか。俺ぁ、字がよめねえから、一体何が書かれてるんだってわからなかったんだ。そうだった、そうだった。御隠居さんから羽織を借りてたんだった」

「まったく、抜けてるにもほどがあらあ。で、羽織はどこなんだ?」

「それが、ちょいとここにはねえんだ。だからすぐには返せねえ」

「なんだと? じゃあ、どこにあるってんだ」

「いやよ、祭りの時に俺のダチが俺にもその粋な羽織を貸してくれってんで、ついつい貸しちまったんだ。で、そのダチは風邪ひいちまってまだとりにいけてねえんだ」


 与太郎は気色ばんで熊五郎に言った。


「おい、じゃあどうすんだよ?」

「本来なら今すぐ俺が御隠居さんのところに詫びいれに行くところだが、ちょいと俺はこの後集まりがあってな。よし、じゃあ俺も御隠居に手紙を書くことにするか」


 そう言って、熊五郎が筆をしたためはじめたが、そんな熊五郎に与太郎が訝しげに言った。


「おめえ、字が書けんのかよ?」

「おう。こう見えて、七夕祭りの短冊は俺が書いてるんだぜ。まあ、見てろって」


 熊五郎は得意気にそう言うと、軽快な手つきで手紙をしたためていった。やがて手紙を書き終わるとそれを与太郎に渡して、


「すまねえが、こいつを御隠居さんに届けてくれや」

「ふん。一度関わっちまったからにゃあ、途中で投げ出すわけにもいかねえ。よしきた、届けてやるよ」


 与太郎は熊五郎の手紙を懐に入れ、御隠居の部屋へととんぼ返りをした。部屋に戻ってきた与太郎を見て、御隠居は柔和な笑みを浮かべて言った。


「これはご苦労様です。して、熊五郎さんはなんと?」

「それを預かってきたって次第でして」

「ふむ?」


 首をかしげる御隠居に、与太郎が懐から熊五郎からの手紙を手渡した。


「おや、返信のお手紙というわけですか?」

「へい、柄にもねえことですが、そういうこってす」


 ふむふむと頷きながら熊五郎からの手紙に目を通していく御隠居。すると、温和だった表情を引っ込め、厳しい目つきになって言った。


「ううむ。なんということだ。不義理極まるとはこのこと。これは直接に物申してやらねば気が収まらぬ」

「どうしやした御隠居?」

「どうもこうもない。熊五郎のバカタレが今どこにいるか知っておるか?」


 普段の御隠居からは想像のできぬ剣幕に、与太郎はうろたえながら御隠居に言った。


「へ、へえ。なんか集まりがあると言ってやしたから、いつもの集会所かと」

「うむ。ならば今すぐそこに案内しておくれ」


 そういて御隠居と与太郎が集会所に行くと、果たしてそこには集まった若者たちと気持ちよく酒を飲んでいる熊五郎の姿があった。

 それを見て、御隠居はずかずかと中へと入っていき、開口一番、


「これ、熊五郎! この文面はいったいどういうことだね!!」


 と一喝した。

 驚いた熊五郎、いくらかすすんでいた酔いもすっかり醒めたと見え、たじたじしながら御隠居に言った。


「な、なんのことでございやしょう?」

「なんのこともあるか。この手紙の内容はなんだ。わしが貸した羽織を質にいれるとは、なんという不義理者だ!」


 御隠居のこの言葉に一番驚いたのは、他でもない熊五郎。


「へぇっ?! あ、あっしは、御隠居の羽織を質にいれた覚えなんざありやせんぜ!!」

「ではこの文面はなんだ!!」


 御隠居が熊五郎の前で手紙を開き、とある文面を指でなぞりながら言った。


「ほら、この文面だ。お借りした羽織は、ダチのところのしちにいれてありますとあるぞ!!」


 すると熊五郎、快活な笑い声をあげて御隠居にこういった。


「御隠居も早合点ですな。それはしちなんて読みませんよ。七夕たなばたたなでございやす。ですから、御隠居の羽織は、俺のダチんとこの棚にいれてありやすんで」

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