乞食の生活


 真夏の強い日差しも、夕焼け空と共に下火となってきた時分、河原の橋の下では、数人の乞食たちがたむろしていた。


「おぉ~やっとこさお天道様もお帰りになってくれたなぁ。まったく、暑くてかなわん」


 ぼろきれのような衣服をばたつかせながら一人の乞食が言うと、周囲の乞食たちもまったくだまったくだと同意した。しかし、その中で一人だけ同意の言葉を発せずにうつむいている一人の乞食がいた。


「おぉ? 新入り、な~に浮かない顔してるんだい」


 そう、うつむいている乞食は、ひと月前になって乞食となってここに流れ着いた新参者。いうなれば、初心者乞食というような者であった。

 先輩乞食の言葉に反応せず、ただうつむいてばかりいる初心者乞食。どうしたよと先輩乞食たちが初心者乞食の周りに集まり始めた時、初心者乞食が口火をきった。


「おれぁ……この先が不安でしょうがねえんだ……あんたたちを卑下するわけじゃねえんだが、乞食になっちまって、これからうまくやっていける自信がねえ……」


 この世の終わりのような雰囲気を醸し出す初心者乞食。しかし、そんな初心者乞食とは裏腹に、周囲の先輩乞食たちは陽気にゲラゲラと大声で笑い始めた。その笑い声に、まるで自分がバカにされてるような気がして、初心者乞食が怒って言った。


「なにがおかしいんだ!!」

「いやぁ、すまんすまん。お前さん、どうやら色々と勘違いをしてなさる。乞食ってぇのは、なってみると意外と悪くないもんだ」

「なにを言ってやがる!! 人に物乞いして明日をも知れぬ毎日を送る乞食の生活のどこがいいってえんだ!!」


 ますます憤っていく初心者乞食に、先輩乞食の一人が諭すような口調で話しかける。


「まあまあ、そういきりなさんな。ところで、お前さん、乞食になる前は何を生業にしてたんだい?」

「油売りよ。今はこんなナリだが、前は江戸じゃあちったあ名の知れた油売りをやってたんだぜ!!」

「ほうほう。そうだとすりゃあ、今の乞食稼業が中々馴染めねえのも仕方のねえ話かもしれないなぁ」


 ふんふんと頷く先輩乞食。すると他の先輩乞食が初心者乞食に問いかけた。


「で、そんな名のある油売りのお前さんが、どうして乞食になっちまったんだい?」


 この問いかけに、初心者乞食は待ってましたとばかりに声を大きくしてわめき散らしはじめた。


「俺がこんな乞食風情に落ちぶれたのも、全てはクソッタレの御上のせいだ!! あいつら、てめえの気分次第で市場の値段を軽々に変動させやがって、そのせいで俺はあっという間に仕入れが立ち行かなくなってこのザマだ!! 脳無し役立たずの役人共め!! いくら恨んでも恨みきれねえってもんだ!!」


 初心者乞食以外の一同は、神妙な顔をしてうんうんとうなずいて見せた。そしてそのうちの一人が初心者乞食に向かって、出し抜けにこう言った。


「でもよ、考えようによっちゃあ、お前さん、楽になったのかもしれねえぜ」

「なんだと?! てめえ、俺を馬鹿にしやがんのか?!」


 今にもくってかかりそうな初心者乞食を、先輩乞食たちが、どう。どう。となだめながら口々に投げかけた。


「俺たち乞食ってのは、見た目はこんなシケたなりしてるが、毎日お気楽に生きてるもんだ」

「そうよ。まず第一に、住む場所に困らねえ。雨んときはこの橋の下で雨宿りしながら寝りゃいいし、さみい時は、皆で寄り添って寝りゃあなんてことはねえ」

「それに食うもんにも意外と困らねえ。シケたなりして景気の悪い顔を浮かべ、哀れな声を出してお恵みくだせえって地べたに土下座すりゃあ、大概の人は何か食わしてくれる。食いつきが悪い時は、御上の連中の悪評をでっちあげてそのせいで乞食になりやしたって泣き崩れりゃあ、地獄の鬼でもお恵みしてくれらぁ」

「食うもんにも住むところにも金が必要ねえから、金の心配をしなくていい。さしもの御上も、乞食にゃ年貢や税金の取り立てなんてするわきゃねえ」

「おうとも。つまるところ、御上がどれだけ変わろうが時代がどれだけ変わろうが、悲壮感漂わせてヘコヘコ土下座をすりゃあ、俺たち乞食って仕事は一生安泰。こんな気楽な商売はねえぜ、どう思うよ、おまえさんよ?」


 ふざけんな!! と声を荒げそうになる初心者乞食だったが、言われてみて、はたと気がついた。

 確かに、そうかもしれねえ。乞食に落ちぶれて、はやひと月。食うにも困ったことねえし、なんだかんだで住居にも困ったことねえし、御上のクソッタレにゃあ一銭も税金をやったこともねえし、汗水たらしてはたらいたこともねえ。

 それに比べて…………。

 油売りをしてた時はどうだ。毎日毎日、仕入れや交渉で頭を悩ませ、御上の動向にびくびくし、うるせえ客からごちゃごちゃ文句をぬかされ、確かにそれなりの稼ぎはあったかもしれねえが、毎日毎日クソ忙しくて、結局それを使う暇もなく全てはオジャンだ。

 初心者乞食はここに至って、愕然とした。


「なんてこった!! こんなことなら、最初はなから乞食になってりゃ楽な人生を送ってこれたかもしれねえじゃねえか!!」


 大声でわめく初心者乞食に、先輩乞食の一人が、しぃ~~~~!! と人差し指を立てながら小さい声で戒める。


「バカヤロウ、そんな大声で乞食の素晴らしさを喧伝けんでんしちまうと、皆が乞食になりたがって辺り一帯乞食だらけになっちまって、俺たちの商売あがったりになっちまうじゃねえか」

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