千手観音の足


 江戸の外れにひっそりと建っているお寺があった。

 このお寺、住職は正直者の人格者でしっかりとしているのだが、いかんせん人格者故に仏の教えを忠実に守りすぎて、お足(お金)のやりくりがあまり思わしくなかった。

 さすがにこのままではいかんと住職は思っているのだが、どうすればお足を稼げるかが思いつかぬ。

 いや、実のところお足を稼ぐ方法がないわけではないのだが、それをやるには仏の教えが邪魔をしていた。


 このお寺には、それは見事な秘蔵の千手観音像が祭られてあり、それを御開帳して拝観料をとれば困窮を脱することができるのはまず間違いないことだった。

 しかし、人々をお救いする千手観音様をお足を儲けるために使っていいものか。

 悩みに悩む住職だったが、ここにきてついに進退窮まるといった状態まで追い詰められ、泣く泣く千手観音像の御開帳をする運びとなった。

 そしていざ御開帳をするということを周囲に伝えると、いや、来るわ来るわの人だかり。

 連日ひっきりなしに訪れる拝観者の御布施で、お寺は窮地を脱するどころか、数年は安泰だというくらいのお足が転がり込んできたのだった。

 だが、住職の顔は喜びよりも戸惑いの色の方が強かった。

 当初は、これも観音様の御利益だと素直に幸運を享受していたのだが、想像以上にお足が転がり込んできて、住職の心の中に別な気持ちが沸き上がってきたのだ。


(果たして、観音様を御開帳して本当によかったのだろうか。観音様に救いを求める人々から搾取するような行為をして、本当に観音様は拙僧を御許しになられるのだろうか)


 心に重いものをひきずりながらも、本日も御開帳の時間がやってきた。

 いつものように、千手観音像を祭っている御堂は、拝観者で埋まるような勢いであった。

 その中には涙交じりに必死に懇願している者の姿もあり、それがまた、住職の心に暗い色を落とし込むのであった。

 やがてこの日の御開帳の時間が終わり、御堂の門を閉めたところで、住職に声をかけてくる者があった。


「ご住職様。ご住職様」


 呼ばれた住職が振り向くと、そこには近辺の村で一番のウスノロと評判の与太郎の姿があった。


「どうかなさいましたかな、与太郎さん」

「いえ、ね。ご住職様にお聞きになりたいことがございまして――今、御時間はよろしいでしょうか」

「ああ、かまいませんよ。して、どのようなことをお聞きなさりたいのですかな?」

「ええっと、それが、お聞きしにくいことでして……この御堂の、千手観音様のことなんですよ」


 千手観音像で悩んでいた住職は、はっと息をのんだ。しかし、ウスノロの与太郎がそんなことに気づくはずもなく、与太郎は住職に疑問を投げかけた。


「こんなことをお聞きすると、ま~たお前はウスノロなことをと仰られるかもしれませんが、どうにも気になってしかたねえんです。住職様、千手観音様はあれだけの御手があるのに、どうして御足は二本しかないのです? 千本の御手に二本の御足じゃあ、御足が少なすぎると思うんですが?」



 与太郎のこの言葉をうけ、住職は突然大粒の涙を浮かべて地に正座した。慌てて与太郎が、


「どっ、どうされましたご住職様?! どこか御身体の御具合が悪いのですか?!」


 住職に駆け寄ったが、住職はそんな与太郎に両手を合わせ、嗚咽混じりの声で懺悔をはじめた。


「いいえ、いいえ、与太郎さん。決してあなたはウスノロなんかではございません。それどころか、拙僧の煩悩を見事にしてきしなすった。おっしゃる通り、観音様を御開帳したのは、拙僧のお足が少なくなったためで…………」

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