三本の矢


 長屋の差配人を務めている御隠居の元に、一人の男がやってきた。

 この男、名は熊五郎といい、その名の通りの体躯と粗暴さを持ち合わせている男であった。


「御隠居さんよぉ。ちょいと、ご相談があるんですがねぇ」


 熊五郎からすれば普通に話しかけているのだが、話しかけられている御隠居からすれば、まるで恫喝でもされているかのような迫力。御隠居は怯えながら聞き返した。


「な、なんだい、熊五郎さんや」

「いやね。俺んとこのガキのことで相談があるんですがねぇ」


 そう言われ、御隠居は肩をすくめた。熊五郎の子供と言えばまだまだ九つという歳のくせして、これまた熊五郎と同じような粗暴さを持ち合わせていることで、長屋中の評判となっていたのだ。しかも、それが一人だけならまだマシというものだが、熊五郎の子供は男の三つ子。御隠居ならずとも、長屋に住んでいる者なら誰でも頭を痛めていた。

 まぁた、あのクソガキどもが悪さでもしおったか……。

 やれやれと肩をすくめながら、御隠居は熊五郎に聞いた。


「それで、どのような相談かの?」


 すると、熊五郎は鍾馗しょうき様のような顔を、さらにくしゃくしゃにしながら御隠居に言った。


「御隠居さんも、うちのガキどもが長屋のやつらに迷惑をかけているのは承知でしょう?」


 ああ、知っておるよと即答するのもいかがなものかと、


「うん。まあ、そうだのぉ」


 と、御隠居は言葉を濁した。そんな御隠居の葛藤など知る由もなく、熊五郎はさっさと話をすすめはじめた。


「あいつらが長屋のやつらに迷惑をかけちまうのは、ちょっとした理由がありやしてね。あいつら、三つ子で顔も背丈もそっくりな癖に、どうも性格が似てねえんでさぁ。それが理由で、なにかあるとすぐに取っ組み合いのケンカをはじめちまう。なあ、御隠居さんよぉ。あいつらが仲良くなるような、いい案の一つでもねえもんですかねぇ?」

「いい案と言われてものぉ……」


 口で仲良くしろと言ったって、聞く耳もたぬだろう。なんせ、熊五郎から怒られても聞かぬガキなのだ。無駄に根性があるに違いない。

 さぁて、どうしたものか……。悩む御隠居の目に、ふと、とあるものが映った。


「そうじゃ。あれじゃ、あれじゃ」


 膝を叩きながら嬉しそうな声を出す御隠居に、熊五郎が訝し気に声をかける。


「何かいい案でも浮かんだんで?」

「うむ。うむ。まあ、待っておれ」


 御隠居は立ち上がって、神棚の方へと歩いて行った。そして、そこから三本の破魔矢をもって、熊五郎の前に座った。


「熊さんや。あんた、三本の矢の教えっていう話を知っているかね?」

「三本の矢の教え? なんです、そりゃあ?」


 まあ、こんな粗暴な男がしってるわきゃないわな。御隠居は苦笑交じりで説明をはじめた。


「三本の矢の教えっていうのはだね。昔、偉い戦国武将さんが、自分の三人の息子に結束が大事だと教える時に用いた例え話でね。一本の矢だと簡単に折れてしまうが、三本の矢ならばそう簡単に折れることはない。つまり、お前たち三人は仲良くしなきゃいけないんだっていう教えなのさ」


 それを聞いて、今度は熊五郎が膝を叩いた。


「そいつぁいい! まさにうちのガキどもにぴったりの教えだ!」


 さっさと熊五郎に退散してもらいたい御隠居、熊五郎に精一杯の愛想笑いを浮かべながら、


「早速、熊さんの子供たちに話して聞かせてあげるといい。この破魔矢は、熊さんにさしあげる。ほれ、頑張ってきなさい」


 と言うと、熊五郎は嬉しそうに声を弾ませて言った。


「何から何まで、ありがてえ。じゃあお言葉に甘えて、この破魔矢は頂いていきやさぁ」


 熊五郎は御隠居から破魔矢をひったくるようにして受け取ると、ずんずん肩をいからせながら部屋から出ていった。


「やれやれ……やっと帰ってくれたか。しかし、うまくいくといいねぇ」


 ため息交じりに御隠居はつぶやき、神棚にむかって長屋の平和を祈るのであった。





 さて、自分の部屋へと戻った熊五郎。早速、ガキどもに話を聞かせてやろうかと思ったが、部屋の中にその姿がない。


「おい、ガキどもはどこだ?」


 熊五郎が自分の嫁に怒鳴るようにして問いかけると、部屋の奥からこれまた熊のような嫁が現れて熊五郎に言った。


「知らないよ。また外でやんちゃしてるんじゃないかい。それはそうと、あんた、その手に持ってる破魔矢はなんだい?」

「ああ、これか。これはな、御隠居さんにガキどもの仲をよくするための教えを教わってきたんだ。それに使うのよ」

「ふぅ~ん? よくわかんないけど、あの子たちが少しは大人しくなるっていうんなら、あたしは大歓迎さね」

「まあ、見てな。きっとそうなるからよ」


 そうこうしているうちに、部屋の外から子供たちの、きぃ~きぃ~したがなり声が響き始めてきた。それを聞き、嫁が肩をすくめてこぼす。


「またケンカしてんだね。まったく、いい加減にしてほしいもんだよ」


 嫁がずんずんと部屋の障子戸に近づき、障子戸を、さっ! と開いた。すると、案の定というべきか、熊五郎の三つ子たちが取っ組み合いのケンカをしていた。それを見て、嫁が熊五郎でさえも恐れ慄く雷を三つ子に向かって落とした。


「こぉらぁ!! あんたたち!! いい加減にしなぁ!!」


 これにはさしもの熊五郎や三つ子たちも戦慄した。嫁は大人しくなった三つ子たちをふんづかまえて部屋の中へと放り込み、ぴしゃんっ! と障子戸が壊れるくらいの勢いで閉めた。

 そして嫁は、三つ子たちに一発ずつゲンコツを見舞ってから、もう一発雷を落とした。


「あんたたちがあまりにも仲が悪いから、おとうちゃんがあんたたちに話があるんだとよ!! しっかり正座して聞きな!!」


 三つ子たちは黙って熊五郎の前に正座したが、その表情は明らかに不満たらたらといった感じであった。そんな三つ子たちを、ジロリと睨み、熊五郎が話をはじめた。


「おめえら、なんでそうまで仲が悪いんだ? おとうちゃんに話してみろ」


 熊五郎のこの言葉に、三つ子たちが思い思いの言葉を熊五郎へとぶちまけはじめた。


「おっとう! おいら、ほんっとぉ~~~~にこいつらが嫌いなんだ! おいらが一番あんちゃんなのに、こいつら、ちぃ~~っともおいらの言うこと聞きゃしないんだもん!」


 と、長男が言えば、


「おっとう! おいらがあんちゃんと弟のケンカを止めようとしてるんだけど、二人とも、ちぃ~~っともおいらの言うこと聞きゃしないんだもん!」


 と、次男が言い、


「おっとう! おいらたちって三つ子だろ?! 一緒に生まれたのに、ほんのちょっとだけ生まれてくるのが早かっただけで、偉そうにあんちゃん面されたら気分が悪いよ!」


 と、三男が言う。

 それぞれに言い分があるようだが、それを一々まともに受け取っていては話がすすまないし、そもそも熊五郎が三つ子たちの言い分に耳を貸すわけもない。熊五郎は、顔をその名の通りの形相へと変化させ、


「つまり、お前たちは手を取り合って協力しようっていう気が微塵もねえわけだ。三人の中で誰が一番偉いかって、言い合ってるてえわけだな?」


 三つ子たちに言い放つと、三つ子たちは図星をつかれたか、お互いに顔を見合わせながら歯噛みをした。

 これに勢いを得た熊五郎、畳みかけてやるぞと御隠居から授かった有難い話を披露してやらんと、手に持った三本の破魔矢を三つ子の前に置いた。


「おめえら、これが何かわかるか?」


 さすがは三つ子、見事に同じタイミングで小首をかしげ、同じタイミングで熊五郎に言った。


「何って、弓矢の矢じゃないか」

「おう、その通り。で、その矢は何本ある?」

「見りゃあわかるよ。三本だ」

「おう、三本。つまりは、おめえらと同じだ」


 おとうはいったい、なにを言おうとしてるんだ? 顔を見合わせる三つ子。

 そんな三つ子を見て、身体を揺さぶりながら笑う熊五郎。


「いいか、この矢ってえのはな。一本だと簡単に折れちまう。そうだろう?」


 うんうんと頷く三つ子。


「じゃあ、この矢を三本重ねるとどうなる? ほれ、やってみろや」


 そう言って、熊五郎は破魔矢を三本重ねて三つ子の長男に手渡した。

 ふぅ~~~ん! と、長男は破魔矢を必死に折ろうと力を込めるが、破魔矢はびくともしない。

 あんちゃん! 貸してみろ! と次男と三男も破魔矢に力を込めてみるが、やはりびくともしなかった。

 熊五郎はそれらを見て、がははははは! と大声をあげて笑いながら、三つ子から破魔矢をひったくった。


「わかったか、おめえら。矢ってえのは、一本だと簡単に折れちまうが、三本だとそう簡単に折れちまわねえ。だから、おめえらもこの三本の矢のように協力してだな――――」


 話しているうちに力が入ってきてしまった熊五郎、思わず手に持った三本の破魔矢をひんまげると、熊五郎のクソ力で、三本の破魔矢はボキィッ!! と派手な音をたててへし折れてしまった。


「おっとう! 三本の矢が折れちまったよ!」


 三つ子が折れた破魔矢を指さしながら言うと、熊五郎は苦虫を嚙み潰したような表情になった。

 こいつぁ、いかん。これじゃあ、せっかく御隠居さんに教えてもらったあの話ができねえ。

 焦る熊五郎。しかし、三つ子たちは瞳を輝かせながら、


「さすがはおっとうだ! あの矢を簡単に折っちまった!」

「さすがはおっとうだ! やっぱり、おっとうがいっちばんえらいや!」

「さすがはおっとうだ! おいらもおっとうのような腕っぷしになりてえよ!」


 と、熊五郎の腕っぷしを喝采しはじめたのだ。

 すると、それを見た嫁が好機逃すべからずと、三つ子たちに言った。


「どうだい、おとうちゃんはすごいだろう。あんたたちもおとうちゃんのようになりたかったら、しっかりとおとうちゃんの言うことを聞くことだよ」


 三つ子たちは口をそろえて、おっとうの言うことを聞くようにするよ! と快活に声をあげ、また部屋の外へと駆け出して行った。それを見送った嫁が、熊五郎に言う。


「さすがは御隠居さんだね、あの子たちを素直にさせる良い方法を教えてくれたよ」

「……まあな」


 複雑な心境の熊五郎。三本の矢は確かに効果を発揮してくれたが、三本の矢の教えの内容というものは、どうやら人それぞれのようらしい。

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