ほどほどの用心


 師走の肌寒い夜の中、


「火の用心――火の用心――」


 と、拍子木を叩きながら威勢のいい声をあげている夜回りがいた。

 この夜回り、名を三太といい、実直真面目で少々融通の利かぬ者であった。


「う~寒い寒い。今日は一段と冷え込みが激しいな……」


 ぶるぶるっ! と身体を震わす三太。しかし、こういう時こそ火の不始末による火事が起こりやすいというものだ。三太は使命感で気を持ち直し、


「火の用心――火の用心――」


 と、先ほどよりも大きな声で夜回りを続けた。

 すると、近くの長屋の障子戸が、すすっと開き、そこに住む御隠居が姿を現した。


「これ、三太さんや」


 御隠居から声をかけられ拍子木を叩くことをやめ、御隠居のそばへと歩み寄る三太。


「へえ、御隠居さん。いかがなさいやしたか?」

「こんな寒い中、夜回りご苦労なことじゃて。しかし、これだけ寒いと、三太さんが風邪でもひいてしまわぬかと、ちと心配になりましてな」

「いえいえ、これがあっしの御役目ですから」


 謙遜しながら答える三太に、御隠居は和やかな表情を浮かべて言った。


「そこでですな。せめて三太さんが寒空の中でも、身体が芯まで冷えてしまわぬように、ワシのところで少し暖をとってもらえぬかと思いまして」


 御隠居からのまさかの申し出に、三太は目を丸くした。


「長いこと夜回りをやっていやすが、こんな優しい言葉をかけてもらったのは初めてでございやす……」


 御隠居は、感激に身を震わす三太を部屋の中へと招き入れ、湯豆腐と日本酒の熱燗をふるまってやった。

 やがて、十分に身体全体を温め、そして心まで温まることが出来た三太は、御隠居に向かって深々と一礼した。


「本当に、ありがとうございやした。おかげさまで、しっかりと暖をとることができやして、これからの夜回りの寒さなんざ屁でもねえくらいでさあ」

「そう言ってもらえると、こちらも嬉しいものです」


 ニコニコと笑みを浮かべる御隠居を見て、三太はせめて何か御礼はできないかと必死に考えた。

 だが、夜回りくらいしか取り柄の無い自分には、御礼をしようにも先立つものがないし、あったとしてもクソ真面目な三太には気の利いたモノなどを選んで買ってくるのも難しいだろう。

 しかし、こんなによくしてもらって何の返礼もないなど、それこそ江戸っ子の恥。

 三太は必死になって考え、やがて御隠居に言った。


「ここまでよくしていただいた御礼と言っちゃあなんですが、御隠居に関しましては火の用心はほどほどで結構でございやす」

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